映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、その時期に合わせた映画を「2本立て」(日本映画、外国映画)で紹介していただくコーナーです。秋も深まってきましたが、そんな時期にふさわしい映画を取り上げていただきました。フランソワ・トリュフォー監督の『華氏451』と木下惠介監督の『楢山節考』です。共に冬の情景が印象的な異色作の世界に浸ってみませんか。
紹介作品
華氏451
製作年度:1966年/上映時間:113分/監督:フランソワ・トリュフォー/原作:レイ・ブラッドベリ/撮影:ニコラス・ローグ/音楽:バーナード・ハーマン/出演:オスカー・ウェルナー、ジュリー・クリスティー、シリル・キューザック、アントン・ディフリング、ジェレミー・スペンサー、アレックス・スコット
楢山節考
製作年度:1958年/上映時間:98分/監督:木下惠介/原作:深澤七郎/撮影:楠田浩之/長唄作曲:杵屋六左衛門/浄瑠璃作曲:野澤松之輔/出演:田中絹代、高橋貞二、伊藤雄之助、三代目市川団子、東野英治郎、宮口精二
急に秋の気配が深まり、うかうかして気がついたらもう冬になっているような感じで、あまり季節はずれにならないように、冬景色が印象的な映画(たくさんあるけれども)の邦洋2本立てとして、DVDでも見られる作品のなかから、木下惠介監督の『楢山節考』(1958年)とフランソワ・トリュフォー監督のイギリス映画『華氏451』(1966年)を久しぶりに見てみたいと思う。
雪のシーンが忘れがたい人間と本の愛の物語
ともに冬の映画としては実は異色作なのだが、『華氏451』のほうは、つい最近、「現代文明を痛烈に諷刺する」レイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』が「世界的名著、初の漫画化」という新聞広告を見て、漫画化以前にすでに映画化されている不幸な名作として思い出されたのだった。
「本を持っているだけで家を焼き尽くされる近未来の社会」を描いた1冊の初の映画化がどんな作品だったか、改めて見直してみたいと思ったのである。
フランソワ・トリュフォー監督のイギリス映画と最初に述べたように、英語がまったくわからないフランス人の監督がイギリスのスタッフ・キャストと言葉も通じない、心も通じないという孤独な条件をひきうけざるを得なかった不幸な映画づくりがどんなものであったかは、撮影中に書かれた日記(拙訳『ある映画の物語』、草思社文庫)にあますところなく記されている——「わたしはイギリス映画を撮っている。あまりにイギリス的すぎてイギリス人も気づかないようなイギリス的特徴というものがあるけれども、それだけはできるだけ避けるようにしてきた。そんなわけで、セットには赤レンガの壁だけはやめてほしいと伝えてあったのだが、なんと黄色いレンガが運ばれてきた。問題はレンガだというのに! 出演者もできるだけアメリカ的なというか、むしろアメリカ映画的容貌、顔の左右の均斉がとれた整った顔立ちの俳優たちを選んだ。それでもときとして、小さな役でわたし自身がえらぶことのできなかった俳優が出てきたり、あるいはわたしがえらんだ俳優が出られなくなって急きょ代わりの俳優を使わなければならなくなったりするときに、突如ぬっと大英帝国が顔をだすのである」といったように。
温度の高低を測る尺度には摂氏と華氏があって、欧米では日常生活には華氏目盛が、科学的には摂氏目盛が用いられているということだが、日本では周知のとおり摂氏目盛だけである。華氏温度の華氏はドイツ人ファーレンハイト(G.D.Fahrenheit)の中国語表記「華倫海」に由来するとのこと。温度を測定する単位が水の氷点を32度、沸点を212度とし、その間を180等分した温度目盛で、1724年、ファーレンハイトが制定した。華氏451度は紙に火がつき、本が燃え上がる発火点。トリュフォーはブラッドベリの小説の映画化の動機をこのように語っている——「華氏451度というのは本のページに火がつき、燃え上がる温度なのです。それは本を読むことが禁じられた近未来社会の物語で、消防夫が書物を焼く焚書係になっている。この奇抜な発想がわたしにたちまちインスピレーションを与え、なんとか映画化したいと思ったのです。ブラッドベリの発想のすばらしさは、書物が禁じられたら書物を暗記してしまえばいいのだということを戦術として考えだしたことです。人間が生き抜くための知恵としては最もすばらしいものの一つだと思いました」
映画『華氏451』は、まさに書物を禁じられた世界で書物をまるまる暗記して書物そのものになりきってしまう「ブック・ピープル(書物人間)」の物語だ。セルバンテスの『ドン・キホーテ』からジャン・ジュネの『泥棒日記』まで、フローベールの『ボヴァリー夫人』からマルキ・ド・サドの『美徳の不幸』まで、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』からドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』まで、サマセット・モームの『月と六ペンス』からジェイムズ・ハドリー・チェイスの『ミス・プランディッシの蘭』まで、さまざまな本が焼かれる。但し、双葉十三郎氏いわく、「マンガ本は暗誦できないよ」(『ぼくの採点表Ⅱ』、トパーズプレス)。
本を燃やすことが仕事で、本を読んだことなどなかった焚書係の消防夫モンターグ(オスカー・ウェルナー)が初めて読書のたのしさ、歓びを発見する本はディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』。夜中にこっそり起きて読みふけっていたのだが、妻のリンダ(ジュリー・クリスティー)に発覚、密告され、逮捕に来た消防隊の隊長を火炎放射器で焼き殺す。焚書から救うためにこっそり盗む本は野生児についての研究書『カスパール・ハウザー』。懸垂式モノレールで消防署に出勤中、妻とそっくりの少女クラリス(ジュリー・クリスティー2役)と知り合ったモンターグは、彼女の誘いで「書物人間」の森へ逃亡する。そこではエミリ・ブロンテの『嵐が丘』、バイロンの『海賊』、バニャンの『天路歴程』、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』、マキャベリの『君主論』など多くの「書物人間」が生きのびている。
イラスト/池田英樹
SFや怪奇幻想といったファンタジーものが苦手なトリュフォー監督は『華氏451』の撮影日記にこうも書いている——「わたしの映画はその手の怪奇幻想、SFもののファンを失望させるかもしれない。これは『シェルブールの雨傘』(ジャック・ドゥミ監督、1964年)式のSFなのだ。
ミュージカル・コメディーやシネ・オペレッタというのではもちろんない。ごく正常な物語のなかで人々がふつうに話す代わりに歌っているというのが『シェルブールの雨傘』なのである。同じ原理にもとづいて、『華氏451』も、ごく正常な物語のなかで、ただ一つ異常なことは読書が禁じられているというだけのSF映画なのだ」。
レイ・ブラッドベリもトリュフォーのそんな大胆な映画化についてこう分析している——「まず、トリュフォーはテクノロジー(科学技術)あるいはSF(空想科学)——言うまでもなく小説においてはテクノロジーとSFは同義語である——の仕掛けのいくつかを思い切って捨て去った。映画『華氏451』には私の小説に出てくるスカイ・ロケットも飛ばないし、機械性シェパードが唸り声を上げることもないし、四方の壁がテレビになるテレビ室もない(テレビは出てくるが、1台の壁テレビだけである)。一見無謀な削除かと思われたが、そこにこそトリュフォーならでは映画的なイメージのパワーがあるのだ。(中略)
それは愛の映画になったのである。愛する者と愛される者との物語だ。だが、奇妙なことに、男と女の愛の物語ではない。まったく予期せぬことだったが、すばらしいことに、それは本を読む人間と読まれる本の愛の物語になったのである。人間は愛する者であり、愛される者は本なのである。それはトリュフォーも言ってくれたように、すでにわたしの原作のなかにあった要素であるにちがいないが、わたし自身はあまりにも近づきすぎていて、その真実がわたしには見えなかったのである。(中略)
ラストシーンに至って、さらにもう一つのトリュフォーのすぐれた映画的才能をわたしたちは発見することになる。撮影終了前に突然の大雪に見舞われるというハプニングが起きた。天候の回復を待つ余裕もなかった。そこでトリュフォーは急きょ、雪のシーンを映画のなかに書き込んだ。こうして奇跡とも言える美しいラストシーンが出来上がったのである。寒空の下、降りそそぐ雪の白さにささやくように愛を語り、詩をうたう人間たち——それが大雪という予期せぬ不幸な天候異変を神の幸福な贈り物に変えたトリュフォーの映画のラストをしめくくる感動的な情景である」(映画『華氏451』を見て、『ある映画の物語』所収)。
静かに雪が降りそそぐ湖水のほとりを何人もの「書物人間」が各自の書物をそらんじながら歩き、すれちがう。オスカー・ウェルナー扮する主人公のモンターグも1冊の本(エドガー・アラン・ポーの『怪奇と幻想の物語』)を手に持ち、一所懸命暗誦する——「私がこれから語ろうとするのは、一つの恐怖に満ちた物語である…」
忘れがたい雪のラストシーンである。
様式美のなかで描かれる老母と息子の悲しい別れ
多種多様な実験作、異色作の多い木下惠介監督作品のなかでも、『楢山節考』は、最大、最高の異色作と言えるだろう。内容(物語)も形式(技法)も異色中の異色、おどろくべき作品だった。今見ても驚異的な作品だ。
老人は70歳になると山——楢山——に捨てられるという姥捨(うばすて)の伝説にもとづく深澤七郎の小説の映画化で、伝説とはいえ、この世にもせつなくて恐ろしい物語を全篇(ラストのワンシーンをのぞいて)御伽噺のような民話風のセットでかやぶき屋根の農家や小川に添った細い道や林に囲まれた人工的な風景、空や遠景は絵に描いたようなホリゾントや書割、照明もすべて人工のライト、といったぐあいに歌舞伎調に構成という様式化に徹した意欲作なのである。
黒・柿・萌葱(もえぎ)の3色の縦縞模様のある歌舞伎舞台で用いる正式の引き幕、定式(じょうしき)幕の前に拍子木を打ち鳴らしながら立つ黒子(くろこ)の口上から映画ははじまる——「東西、東西、ここにご覧に入れまするは本朝姥捨の伝説より、楢山節考、楢山節考」。映画音楽(BGM)ではなく三味線がバックに流れるクレジットタイトル(スタッフ・キャスト)が終わったところで定式幕が右に引かれて、セットの情景が現れる。
三味線伴奏による浄瑠璃の語りや長唄が調子よくドラマを進行させていく——〽山また山の信濃路に/人に知られぬ谷間(たにあい)の/流れも細き糸川の/川蝉の声哀れなる/日陰の村の物語…。
楢山参りの年齢になっても現世に未練があって「お山に行きたくない」という老人が多いのは当然だが、田中絹代が扮するおりん婆さんは丈夫な歯を自ら石臼(いしうす)にぶつけて欠いたりして(鬼気迫ると言いたいくらいのそんな場面のために田中絹代は自分自身の前歯を抜いて挑んだとのこと)、もう役立たずの年になってきたのだからと、息子の辰平(高橋貞二)にも嫁(望月優子)をもらい、そろそろ神様の待つ楢山に連れて行っておくれとせがむ。しかし、孝行息子の辰平は別れがつらくて、なかなか老母を山に捨てに行かない。そんな息子をせかすように働き者の老母は障子を張り替えたり、板戸を1枚ずつ丹念に雑巾でふいたりして、楢山へ親たちを運んで捨ててきた経験者5人を集めて酒をふるまい、楢山参りの作法や掟をうかがう。暗い室内で死の準備をいかにすべきかを講じる静かな恐怖の場面だ。
ついに息子は荷物をかつぐための背負子(しょいこ)に老母をのせて楢山参りに出発することになるが、母を思う子の悲痛な気持ちを歌う哀切きわまりない長唄からはじまって、楢山に通じる長い長い道のりを進むにしたがって三味線の嫋嫋(じょうじょう)たる音色が響き、何度も何度も「おっかあ」「おっかあ」と呼びかける息子に老母は押し黙って答えず、ただ前へ進めと手で合図するだけ。涙なくしては見られないシーンの連続である。
イラスト/池田英樹
山頂に着くと古びた鳥居が立っていて、そこが死の世界への入口であることがわかる。一瞬、歩みをとめて戸惑う息子に背中の母の手が早く進むように催促する。白骨と化した死骸が散乱し、あちこちにカラスが不吉に止まっているといった荒涼たる風景である。御座を敷いて老母を残して去る前にしっかりと抱きしめ、泣きながら背負子だけを持って、息子の辰平は逃げるようにその場を去る——「けっしてふりむくな」という掟を思い出しながら。途中で楢山参りをいやがって抵抗する隣人の老父(宮口精二)に手こずっている倅(せがれ)(伊藤雄之助)に出会うが、親子は激しく争い合い、老父は崖から谷底へ突き落とされる。親不孝の倅も転落。カラスの群れが谷底から飛び立つ。雪が降ってくる。「おっかあ、雪が降ってきたよう。よかったなあ」と辰平は叫ぶ。雪が降ると寒さで老人はすぐ死んで苦しまずにすむ。運がいいといわれていたからである。いったん捨てたら運び手はけっして老人のそばへ戻ってはならぬという掟も忘れて、辰平は下りかけた山をまた駆け上がり(その間に雪はどんどん降り積もって一面美しい雪景色になる)、老母を拝むように「よかったなあ」「よかったなあ」と叫びつづける。遠景でとらえられた老母は雪をかぶって小さく静かに正座したまま合掌し、まるで生きながらにして神(いや、仏)と化した生き仏さながらに崇高なイメージである。「田中絹代の入神の演技」と長部日出雄は絶賛する(『天才監督 木下恵介』、新潮社)。
そして、いまはスキー場になっている「姥捨」の駅に列車が走り、夢からさめたように、すべては昔話であったことを示唆する映画的なラストシーン。古色蒼然たる山間の寒村のドラマなので豪華絢爛とは言えないものの、絵巻物のように描かれ、綴られる色彩(フジカラー)、大型スクリーン(グランドスコープ)の見ごたえある大作である。
1958年のヴェニス(ヴェネチア)国際映画祭に出品された『楢山節考』は、当時まだ映画批評家だったフランソワ・トリュフォーに次のように絶賛された——「この凄絶な美しさをもつ絵巻はできたら夜もふけて、眠りに就こうとする瞬間、それも永遠の眠りに就こうとする瞬間にこそ見るべき映画だ。神よ、なんという美しい映画だ!」(『アール』紙1958年9月13日号)。
イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。