映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、その時期に合わせた映画を「2本立て」(日本映画、外国映画)で紹介していただきます。今月は昨年 12月に亡くなった2人の偉人を追悼する特集です。「松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手」の一人で、国内外で高い評価を受けていた映画監督の吉田喜重さんと、「サッカーの王様」と呼ばれたペレさんが出演した映画について書いていただきました。
紹介作品
秋津温泉
製作年度:1962年/上映時間:112分/監督:吉田喜重/キャスト:岡田茉莉子、長門裕之、芳村真理、清川虹子、東野英治郎、山村聡
勝利への脱出
製作年度:1981年/上映時間:110分/監督:ジョン・ヒューストン/キャスト:シルヴェスター・スタローン、マイケル・ケイン、ペレ、マックス・フォン・シドウ、キャロル・ロール、ダニエル・マッセイ
いまなおフレッシュな文芸映画の馥郁(ふくいく)たる香りとゲームの規則など知らなくても心躍るスポーツ映画のダイナミズムに魅惑される2本立てである。
できたらなるべく季節に合わせて(というような口実で)邦洋の2本立て映画をたのしむようにしてきた連載だが、今回は、新年を迎えての「おめでたい」番組などといった趣向よりも、昨年末に亡くなった2人の人物(ひとりは映画人だが、もうひとりはスポーツ界のレジェンドである)の追悼を機に思い出の(といっても、そんなに遠い思い出ではない)2作品をどうしても見たくなって、いまビデオ(DVD、ブルーレイ)でも見られることもたしかめて、取り上げることにした次第だ。
日本の映画監督、吉田喜重(2022年12月8日、89歳で死去)のごく初期の名作『秋津温泉』(1962)とブラジルのサッカー選手で世界の王者となったペレ(2022年12月29日、82歳で死去)が出演した劇映画『勝利への脱出』(ジョン・ヒューストン監督、1981)である。
戦中戦後を通して貫かれる純粋な恋愛を描き切った名作
『秋津温泉』は松竹DVDコレクション「あの頃映画」シリーズの1本で、本でいえば名作文庫の1冊といったところ。DVDならではの特典映像で私は初めて『秋津温泉』の劇場予告篇を見て、それだけでもう感無量である。「あの暗い時代に美しい山あいの風景のなかであなたに出会い、そして…」というような男のつぶやきが入り、「一人の男を救う事に/青春を賭けた/女の魂の哀しい物語」「澄明 秋津の谷間に/流れゆく17年間の愛の歳月」、そして「生命(いのち)の火花の燃えつきる時——」という惹句が予告篇の画面に次々に出てくる。さらに、「岡田茉莉子 映画出演百本記念」「日本映画のホープ 吉田喜重監督が/現代の愛の断絶を描く」と映画『秋津温泉』のすべてを見事に言い切っているかのような宣伝文句である。
あの頃——戦後、日本映画の上映プログラムも週替りで、岡田茉莉子ぐらいの人気女優となると、次から次へと休みなく映画に出演、ときには2本あるいは3本もかけもちで撮影するといった忙しさだったとはいえ、1951年の『舞姫』(成瀬巳喜男監督)でデビューして以来、すでに100本もの映画に出演というキャリアがあり、その「映画出演百本記念」に彼女自らの企画として新鋭監督(1960年に『ろくでなし』でデビュー)の吉田喜重を起用、1955年以来の念願の映画化だったと、自伝「女優 岡田茉莉子」(文藝春秋)にも思い入れたっぷりに語られている。「映画スターとして認められる時期が来れば、『秋津温泉』のヒロイン、新子を演じることを、いつしか心に決めていた」企画だった。「山深い温泉を背景に、湯治客の青年と温泉宿の娘が、戦時中であることを忘れようとするかのように、恋をし、それを守りとおし、こうしたふたりの男女の関係以外にはドラマらしい出来事はなく、純粋に恋愛だけを描こうとする」(と岡田茉莉子がずばり要約する)物語で(原作の小説はのちに『罪な女』で直木賞を受賞する藤原審爾の出世作だった)、これを映画化するに当たって吉田喜重監督は「原作には主人公ふたりの恋愛のほかにドラマらしいものがありませんから、戦争末期、敗戦、そして現代に至るまでの戦後17年史を、いまひとつのドラマにしたい」と述べ、「私はそれに答えて、17年という長い時間、そのときどきの年齢に応じた女を演じることができるのは、女優として本望です、と私の女優としての素直な気持ちを伝えて賛成した」とまさに息が合ったところを見せる。「さらに吉田監督によって大きく改変されたのは、映画のラストだった。原作では主人公の男女が結ばれるところで終わっていたが、映画では最後に、女は自殺する。それを演じる女優としては悲劇で終わるほうがドラマチックであり、望ましいことだった」とヒロインを演じる女優が監督の意図をこれほど親密に汲み取って映画が傑作にならないはずがないと言いたくなるくらいだ。
イラスト/池田英樹
こうして、女優・岡田茉莉子は企画のみならず、「吉田監督の考える『秋津温泉』を実現し、監督も自由に作品をつくれるように」「プロデューサーまで私が担当する」ことになった。映画のメイキングそのものが美しい愛の物語のようだ。「監督のイメージするように、戦後17年を描くには、四季折りおりの変化が欠かせない。そのためにはまず冬の雪のシーンだけを、年明けの1月下旬に撮影することになった。そして私の主演が予定されている2本の作品(木下恵介監督の『今年の恋』と中村登監督の『愛染かつら』)と重なり合うこともあって、時間に追われる日々が続くことになる」。
『秋津温泉』は女優・岡田茉莉子の入魂の「映画出演百本記念」になった。
岡田茉莉子自身も誇らかに自伝に書いている。
「『秋津温泉』は完成し、試写が行われた。
私はこの作品を見て、私自身のすべて、映画女優としての岡田茉莉子のすべてがこの映画のなかにある、そうした強い思いを抱きながら、見終わることができた。
1962年の6月15日、私の百本記念映画『秋津温泉』は全国で公開された。幸いなことにヒットし、多くの観客に見ていただくことができた。
1951年の6月、私が18歳のとき、『舞姫』の撮影に入って以来、それは11年目のことだった」。
『秋津温泉』撮影中から噂されていた吉田喜重監督と岡田茉莉子の結婚はすでに時間の問題だったのだろう。1963年に婚約が発表され、64年に結婚ということになる。
映画ならではのハラハラドキドキの展開が堪能できる面白さ
スピード、技術、抜群の身体能力、左右どちらの足でもボールを手なずけ、バネを生かしたヘディングシュートも得意だった「サッカーの王様」、ペレが出演した映画(ドキュメンタリーではなく、俳優として出演した劇映画である)、『勝利への脱出』の痛快な面白さは、すでにテレビでも放映されて見ている人もいると思うけれども。小さな画面でも大いにたのしめたことを忘れてはいないだろう。サッカー映画らしく、試合のシーンがふんだんに出てきて、もちろんペレ自身も出演しながら試合の攻守を操るゲームメーカーとしての才も生かしてテクニカル・アドバイザーになってシーンを組み立てたということだから、その見どころたっぷりの試合展開のすばらしさたるや、筆舌に尽くしがたい。まるで敵中突破の戦争活劇や脱走冒険活劇のような心おどる面白さだ。
イラスト/池田英樹
第2次世界大戦のさなか、ナチス・ドイツの捕虜となっていた連合軍兵士とドイツ代表とのサッカーの親善試合がおこなわれる。ナチス・ドイツはこれを戦争宣伝(プロパガンダ)の絶好のチャンスとみなして、占領下のパリで、5万人の観客を集めて大々的な国際試合を盛り上げようとする——もちろんドイツ代表チームの絶対的な勝利のための工作を準備して。連合国側はパリのレジスタンス(抵抗運動)のグループと連絡を取って大規模な脱走を計画(ハーフ・タイムを利用した脱走の一瞬が「最後まで試合をつづけよう」というスポーツ精神によって克服され、見逃される心意気の感動!)。こうして裏では虚々実々のかけひきと死闘が展開するという、よくあるハリウッド的アクション・メロドラマの筋立ては、ハリウッド育ちの古参のプロフェッショナル、ジョン・ヒューストン監督(当時74歳)の力強い演出で、これぞ映画ならではの醍醐味といったすばらしさである。ペレを中心にした世界のプロサッカー選手の混成軍による連合軍捕虜チームは、もちろん世界最強のチームに決まっているが、それがドイツ側の八百長や審判の不当な判定もあって、どんどん点を取られて負けそうになるという、まさに映画ならではの心ときめく嘘(!?)に、ハラハラ、ドキドキさせられ、そしてラストの勝利への脱出に向かうクライマックス(空中のボールを自分の頭越しに後方へ蹴るというペレの曲芸的なオーバーヘッド・キックも見せてくれる)は、私のようなサッカーなどまったく知らない映画ファンにもゲームをたっぷりたのしませてくれ、息づまるようなサスペンスを味わわせてくれる。
連合軍捕虜チームのリーダーでサッカーの元全英選抜選手のマイケル・ケインと、サッカー狂のドイツ軍情報将校マックス・フォン・シドウの交遊も印象的で、ヨーロッパ混成軍のなかで唯一アメリカ軍大尉としてチームのゴールキーパーになるシルヴェスター・スタローンがいかにもタフでストレートなヤンキー青年を好演。
イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。