映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。前回に引き続き、若き日の加山雄三の颯爽とした姿が堪能できる岡本喜八監督のアクションの快作『顔役暁に死す』と、第2次大戦直後のベルリンを舞台にしたサスペンス映画の佳作『二つの世界の男』を取り上げます。共に現在ではあまり語られない映画ではありますが、埋もれさせておくにはあまりにも惜しい作品の2本立てです。

紹介作品

顔役暁に死す

製作年度:1961年/上映時間:96分/監督:岡本喜八/脚本:池田一朗、小川英/音楽:池野成/撮影:太田幸男/出演:加山雄三、島崎雪子、水野久美、中谷一郎、柳永二郎、平田昭彦、田中邦衛、田崎潤、中丸忠雄、村上冬樹、堺左千夫、ミッキー・カーチスほか


二つの世界の男

製作年度:1953年/上映時間:102分/監督:キャロル・リード/脚本:ハリー・カーニッツ/撮影:デズモンド・ディッキンソン/音楽:ジョン・アディソン/出演:ジェームズ・メイスン、クレア・ブルーム、ヒルデガルト・クネフ(ヒルデガード・ネフ)、ジェフリー・トゥーン、エルンスト・シュレーダー、アリベルト・ヴェッシャー、ディーター・クラウゼ、カール・ヨーン、ヒルデ・セッサクほか

 映画は時代の産物であり、時代の状況を反映したものなのだ、いや、映画はたしかに時代とともに生まれるが時代を超えて輝きつづけてこそ傑作になるのだと批評的評価はうるさく手厳しいけれども、さらに映画の好みとなると人によって千差万別で、これだけはいつ果てるとも知れぬ論争の的とはいえ、解決されそうにない問題だ。
 今回の「2本立て」に取り上げた映画はもしかしたら時代にひきずられて埋もれてしまってもしかたがないとも思われたが、なんと、いまなおDVDで発売されて生きつづけていることを知って、久しぶりにどうしても見たくなった2本である。

●加山雄三が躍動する徹底した娯楽作品

 日本映画はまたまた若き日の加山雄三の元気いっぱいの(あまりにも元気すぎると言いたいくらいの)アクションもの、日活映画でなく東宝映画だが、日活アクション映画に近い「無国籍」(と言っていいような)ギャング映画『顔役暁に死す』(岡本喜八監督、1961年)。俳優としてデビューしたての2年目で、動きは敏捷、喧嘩もめっぽう強く、拳銃も素早く、口も八丁手も八丁、何をやってもタフでさっそうたるカッコよさだ。和製ハードボイルド小説『火制地帯』(大藪春彦原作)の映画化で、当時まだかけ出しの、といっても1958年に監督としてデビューした岡本喜八の9作目か10作目の会社からのお仕着せ作品だったが、「映画生活何十年、演出作品何十本というベテランに比べたらぼくの仕事などまだまだものの数ではない。目下勉強中、修行中。いずれにしてもぼくの狙うのはしゃれたスタイル、スマートなセンスのあふれた作品だが、こんな映画をつくることができたら、といつも思うが——ああ、そんなことより、今のぼくに必要なのは、一にも勉強、二にも勉強、会社から与えられた企画の中で腕をみがかせていただくことだ」と謙虚にも新人のようにへりくだって当時の「キネマ旬報」誌上に書き綴っているくらいだから「修行時代」のつましくも若々しい意欲が感じられ、「外国ダネ的な話なので、その点は新味があったから、[やってみるかと声をかけられて] やってみようと思った」とのこと。「外国ダネ風にやれば素直にいけるんじゃないかと考えたわけです」。というわけで、「外国ダネ」といえばまずハリウッドの痛快な娯楽作品で、たぶん、映画化題名も戦前のアメリカのギャング映画の傑作『彼奴(きゃつ)は顔役だ!』(ラオール・ウォルシュ監督、1939年)と『我れ暁に死す』(ウィリアム・キーリー監督、1939年)を足して2で割ったような、『顔役暁に死す』になったのだろう。
 外国ダネ風にやっても古い日本家屋の路地裏などでドンパチやるという奇妙な暗黒街の情景が印象的である。

イラスト/池田英樹

 娯楽アクションものとはいえ、もしかしたら池田一朗と小川英の脚本のせいもあって、悪と悪とが血なまぐさい縄張り争いをしている原色の観光都市に半年前暗殺された市長の息子(加山雄三)が5年間アラスカの森林で伐採監督として働いたあと帰ってくるという出だしからして、ちょっとややこしい筋書きの映画だ。市長殺しの真犯人は誰なのか、当然その犯人さがしに息子の加山雄三が乗り出すであろうことだけは予測できるといったところ。東京から来たやくざの後藤組(ボスは平田昭彦)と地元のやくざの半田組(ボスは田中邦衛)の利権争いで恐怖の街と化している観光都市だが、現市長(柳永二郎)は温厚な人柄で(というのは見せかけにすぎないのだが)暴力団の抗争には目をつぶっている感じだ。加山雄三は持ち前の正義心から幼馴染みの警部(田崎潤)の協力を得て、父を殺した犯人を捜し求めることになるのだが、そこに父の後妻で暗黒街とかかわりを持つ悪女(島崎雪子)やら父を殺したウィンチェスター銃の持ち主(村上冬樹)の娘でこれまたしたたかな美女(水野久美)やら半田組の幹部(中丸忠雄)やら後藤組の殺し屋(中谷一郎)やら悪徳刑事(堺左千夫)やらあちこち嗅ぎまわる新聞記者出身らしいトボけた情報屋(ミッキー・カーチス)やらがからみ、ついに深夜の遊園地ですさまじい銃撃戦になる。おたがいに相手に一目置いて射ち合いになる加山雄三と中谷一郎がにらみ合うクライマックスでは心意気を見せる中谷一郎が「割に合わねえぜ」と名せりふをつぶやいて死んでいくシーンがちょっと泣かせる名場面として忘れがたい。
 といった感じで、あれやこれや見せ場はたっぷりあるものの、いま見るとここひとつ全体的に迫力を欠き、正直のところ、やや時代遅れの感無きにしも非ずなどと言っては失礼ながら、「修行時代」の岡本喜八監督作品のファンとしてはぜいたくな感慨か。それというのも、岡本喜八監督が自ら企画・製作して「戦争」という体験をシリアスに映画に描きはじめる本格的なプロの時代のキャリアを分析したドキュメンタリー(2024年12月7日放映のNHKテレビ番組)「ETV特集 生誕100年 映画監督 岡本喜八が遺(のこ)したもの」を見たこともあって、たのしく映画技術をみがいていた「修行時代」の岡本喜八監督の徹底した娯楽作品にばかりうつつをぬかしていた単純な映画ファンの心情を、だからといって、あえて恥じるというわけではないのだが!

●名監督キャロル・リードのサスペンス演出が冴える

 キャロル・リード監督の『二つの世界の男』(1953年)は、第2次世界大戦直後の東西両陣営に分割占領されて紛争の絶えなかったベルリンを舞台にした無数の(と言ってもいいくらいたくさんつくられた)映画の白黒作品としては最後の1本で(カラー作品では1966年のアルフレッド・ヒッチコック監督『引き裂かれたカーテン』がある)、たまたま新聞(2024年11月19日の「朝日新聞」夕刊)の第1面に「ベルリンの壁 崩れきったのか」という大見出しで東西冷戦の象徴だった「壁」の崩壊35年後になお残る東西格差について書かれた記事が目につき、なつかしく思い出した映画だ。「ベルリンの壁」が崩壊されたのは1989年、もはや東西分割という政治的状況もなくなって35年、いま映画を見たらサスペンスも危機感もなく、ただもう時代遅れの感じがするだけかと思って、おずおずとDVDを見たのだが(DVDでいまなおこの映画が見られるとは思わなかったので)、時代の状況(というか、映画の背景)を把握するのは今となってはかなり面倒でつらいのだが、東西分断の間(はざま)にはさまれて(映画の原題は《The Man Between》でBetweenは東ドイツと西ドイツの間であるとともに生と死の間でもあり)、その「間」に運命を左右される男をジェームズ・メイスンが演じるという設定だけは明快なので、いずれにしてもにっちもさっちも行かなくなる悲劇的なラストに向かってサスペンスが盛り上がっていくプロセスをかなり重苦しいけれどもそれなりにたのしむことができた。できたら、キャロル・リード監督とジェームズ・メイスンが最高のコンビを組んだ(少なくともジェームズ・メイスンの出世作になった)名作『邪魔者を殺せ』(1947年)を先に紹介したかったのだが(これもDVDで見られるのだ)、キャロル・リード監督作品におけるジェームズ・メイスンの切羽詰まった悲壮な(といってもけっして大げさではなく、のがれようのない運命的な)死が心に残るという点では共通しているので、とりあえずDVDが入手できた『二つの世界の男』のほうを先に紹介させていただくことにした。

イラスト/池田英樹

 映画は若いイギリス女性クレア・ブルーム(1952年、チャップリンに見出されて『ライムライト』に出演した)が西ベルリンに飛行機でやってくるところからはじまる。兄がベルリン駐在の英国軍の軍医で、そのドイツ人の妻(ヒルデガルト・クネフ、のちハリウッドに招かれ、ヒルデガード・ネフになる)が空港へ迎えに来てくれる。自転車に乗ってあちこち見張る少年(ディーター・クラウゼ)、東ベルリンからの亡命者を援助する秘密結社のような組織のボス、東西のスパイなどが暗躍。1953年3月にスターリンが死去し、56年にフルシチョフがスターリン批判をおこない、東西冷戦が雪解けに向かう直前の緊張状態にあり、ベルリンの壁がまだ建設される以前のベルリンである。街のあちこちにはまだ戦禍の残骸が散乱しており、東と西のベルリンの国境にはスターリンの肖像のポスターが目立つ。雪に覆われたベルリンの廃墟がドラマの重要な背景になる。全面雪に包まれた雪ダルマのような自動車がワイパーで前窓から雪を拭い取り、そこだけが見開かれた両眼のようになって、まるで怪物さながら車が動き出し、クレア・ブルームを壁ぎわに追いつめて、ドアが開き、彼女を車にひきずりこんで誘拐するシーンなど、これぞサスペンス映画といった味わいの胸を突くすばらしさだ。

 キャロル・リードは、もちろん世界的な名作『第三の男』(1949年)の名監督である。『二つの世界の男』は『邪魔者は殺せ』と『第三の男』を混ぜ合わせたような映画だと双葉十三郎氏は「ぼくの採点表」(トパーズプレス)に記している。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

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