映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。日本映画は、前回の『ある殺し屋』に引き続き、市川雷蔵の主演作で傑作の誉れ高い『薄桜記』。そして外国映画はミュージカル『マイ・フェア・レディ』の原典となったイギリス映画『ピグマリオン』を取り上げます。かたや凄絶で美しさが際立つ時代劇、かたや皮肉たっぷりの軽妙なコメディという絶妙な2本立てとなっています。

紹介作品

薄桜記(はくおうき)

製作年度:1959年/上映時間:110分/監督:森一生/原作:五味康祐/脚本:伊藤大輔/音楽:斎藤一郎/撮影:本多省三/出演:市川雷蔵、勝新太郎、真城千都世、大和七海路、北原義郎、島田竜三、千葉敏郎、舟木洋一、伊沢一郎、須賀不二夫など


ピグマリオン

製作年度:1938年/上映時間:96分/監督:アンソニー・アスキス、レスリー・ハワード/脚本:ジョージ・バーナード・ショー、W・P・リップスコーム、セシル・ルイス/音楽:アルテュール・オネゲル/撮影:ハリー・ストラドリング/出演:レスリー・ハワード、ウェンディ・ヒラー、ウィルフリッド・ローソン、メアリー・ローア、スコット・サンダーランド、ジーン・キャデル、デヴィッド・トゥリーなど

 今回の「2本立て」は前回に引きつづいて日本映画が市川雷蔵のもう1本の忘れがたい異色の時代劇『薄桜記』(森一生監督、1959年)、外国映画がイギリスを代表する名優ジェームズ・メイスンのもう1本の、これも忘れがたい幻想的で華麗なメロドラマ『パンドラ』(アルバート・リューイン監督、1951年)の予定だったのだが、何よりも美しい色彩の魅惑が取柄だった『パンドラ』のビデオが私の保存の不注意もあってカラーがすっかり褪色してしまっていて、とても見るに堪えない代物になっていたこともあって、急きょ、1938年の日本未公開でモノクロのイギリス映画だが、いずれ取り上げたいと思っていた名作の1本、『ピグマリオン』(アンソニー・アスキス/レスリー・ハワード共同監督)に切り替えることにした。久しぶりに見てその面白さを堪能できた。戦前から戦後にかけて、1930年代後半から40年代、50年代にかけて、イギリス映画は全盛期と言ってもよかった。ハンガリー生まれの国際的映画人(プロデューサーであり監督でもあった)アレクサンダー・コルダが1932年にロンドン・フィルムを設立して以来、イギリス映画はハリウッドをしのぐと言ってもいいくらいの勢いで名作の数々を生み出したのである。ロンドン・フィルムに次いで、J・アーサー・ランクによるランク・オーガニゼーションの設立(1946年)がさらにイギリス映画の隆盛をもたらすことになる。

●早世した市川雷蔵を悼むかのような切ない時代劇

 時代劇スターとしての市川雷蔵が虚無的で妖麗凄絶な『眠狂四郎』シリーズ以上に、ほとんどカルト的な魅力を放ちつづけている異色作といってもいい作品が1959年の『薄桜記』(森一生監督)だ。前回取り上げた現代劇の異色作『ある殺し屋』(これも森一生監督、1967年)とともに、私にとっては(だけではないと思うけれども)最も忘れがたい雷蔵映画である。粉雪の舞い落ちる庭先で、愛に生き、武士道をつらぬいた薄命の侍の凄絶にして悲愴な非業の死(見るだにあまりにも痛ましい死に様である)を描いたシーンがあまりにも美しく、せつなく、あたかも市川雷蔵という俳優の若すぎる死(1969年、37歳で癌のためこの世を去った)そのものへの哀惜の念と記憶のなかで重なり会って感動が増幅しすぎたということもあるのかもしれない。この映画1作だけでも森一生監督の名を不滅のものにする傑作と確信して、同じ思いの山根貞男氏とともに森一生監督にインタビューしたとき(「森一生映画旅」、草思社)、まるで市川雷蔵だけの主演映画のようにこのシーンを中心に市川雷蔵のことばかり質問したものだった。
 と、こんな思い出をあえて語るのも、この映画、『薄桜記』はそもそも当時まだ新進気鋭と言っていいくらいの2大若手スター、市川雷蔵と勝新太郎の顔合わせで撮られた時代劇巨編で、美丈夫の市川雷蔵はもちろん、勝新太郎も若き美男スターとして売り出し中だったことがわかる。勝新の愛称とともに盲目の汚れ役『座頭市』シリーズで人気スターになるのはこのあと、1960年代に入ってからである。『薄桜記』には純真な若侍の勝新太郎が想いを寄せる女性にふられてこらえきれずに泣きくずれるといったシーンもあって、いま見てもちょっと信じられないようなおどろきを味わうことになる。
 五味康祐の赤穂浪士外伝小説に基づき、『大岡政談/丹下左膳』シリーズなどで知られる戦前からの時代劇の巨匠監督・伊藤大輔が書いた脚本は、森一生監督によると、「五味康祐さんの原作も読みましたが、全然違うんですね。伊藤[大輔]先生の脚本のほうが全然いいです」とのこと。市川雷蔵と勝新太郎の「二人を狙って書いた」ものと思われ、「勝ちゃん[勝新太郎]が伊藤先生のところへ行きましてね、『どっちが主演だ』聞いたそうですがね(笑)、したら、伊藤先生が『[演技の]うまいほうが主演や』。いい答えでしょう」と森一生監督はたのしそうに笑った。「しかし、雷蔵が得してますね。結局そちらを描くための勝ちゃんでしょうね。勝ちゃんがおるから雷蔵も生きてくるんですね。だから『薄桜記』は青年の出会いですよね。それと女の子との出会い。して、彼女が一方の嫁さんになったあと、男たちに犯されるという事件に対する二人の姿勢と運命を描いていますね。」

イラスト/池田英樹

 映画は吉良邸討ち入りに向かう赤穂浪士のひとり(シルエットだけだが勝新太郎であることがわかる)の回想から始まる(ラストシーンも赤穂浪士たちの討ち入りである)。若き日の浪人・中山安兵衛が叔父の助太刀に高田馬場へ駆けつける途中、若き旗本の丹下典膳(隻眼隻手の怪剣士としてあまりにも有名な丹下左膳と1字違いで間違えそうな役名だが、左膳と同じように右腕を切り落とされる運命にある)と知り合い、その助言によって相手を討ち果たす。典膳は同門の知心流の加勢をしなかったことから破門され、安兵衛も堀内流を破門される。というようなことから、独立不羈のふたりの剣士の運命的な出会いが親友同士になるふたりの男の心意気とともに展開していくのだが、同じ女性を愛し合うという不運(というか、悲しさ)は勝新太郎の中山安兵衛だけが背負うところにもしかしたらドラマチックな弱さ、欠点(などと言うと失礼にあたるけれども)があるような気もする。
 森一生監督も「あの時代の勝ちゃんはまだ軽いですよね(笑)。で、ぼくは勝ちゃんの悲しみを出すのは、橋の上ですね、あれしかないと思ったんです」と語っているのだが、その「橋の上」のシーンというのは、想いを寄せている千春という女(真城千都世)が親友の丹下典膳と縁組みすると知って勝新太郎の安兵衛が雨の降る橋の上で男泣きするところへ堀部彌兵衛がそっと雨傘をひらいて差し出すところ(その後、中山安兵衛は堀部家の婿養子となり、堀部安兵衛となる)。対照的に、雷蔵の丹下典膳が橋の上で敵対する5人の剣士たちをそれぞれ体の部分だけ斬り落としてしまうあざやかな立回りのシーンなどは背景を真っ赤な夕陽に染めた様式的なセットで、それだけに演出も鮮烈にきわだつのはやむを得ない。「勝ちゃんあっての雷蔵」という印象がどうしても強くなるのである。
 片眼を斬られたり、片耳を斬り落とされたり、鼻を斬り落とされたりした5人の男たちが丹下典膳を恨みに恨んで大勢の仲間の応援をたのみ、復讐を誓う。公儀御用のため典膳が旅立った留守中、男たちは屋敷に忍び込み、新婚の妻を襲って犯すのである。妻の千春を5人の男たちに犯された典膳は愛する妻を離婚し、それを誤解されて千春の兄に怒りとともに一刀両断、片腕を斬り落とされるが、それにもめげず、妻を犯した男たちを追い求める。鉄砲で片脚を射抜かれて立ち上がることもできなくなり、最後は戸板に寝かされたまま、刀を抜いて迫る男たちを相手に片腕片脚のまま地面を這いずり、転げ回りながら闘うという悲壮なすさまじさだ。俯瞰でとらえられた構図のなかで、粉雪が舞い落ちる。「むごたらしいというふうには感じないでしょう。キャメラの位置とかも考えて、わりあいきれいに撮ったんですよね」と森一生監督は言った。「殺陣とか立回りというより、歌舞伎でいう所作とか踊り、それに近いもんをねらった。雷ちゃんも『うん、俺はこれで死ねる。よし!』ちゅう勢いでやってました。」
 妻の千春も倒れ、這いつくばって寄っていき、典膳の手を取って握り、ともに死んでいく。相愛の男女が連れ立つ道行さながらの名場面が現出して、いま見ても市川雷蔵のはかなくも早すぎた死を悼むかのような、せつなく感動的なシーンだ。

●粗野な花売り娘が一人前のレディになるまで

 1938年の白黒のイギリス映画『ピグマリオン』は、大ヒットしたハリウッドのカラー・70ミリ超大作ミュージカル『マイ・フェア・レディ』(ジョージ・キューカー監督、1964年)の原典というだけですべてが言い尽くされる感じだ。ロンドンの貧民街の粗野な花売り娘イライザ(ウェンディ・ヒラー)のひどい下町訛りに興味を持った言語学者(映画の共同監督も担当しているレスリー・ハワード)が音声学の研究室兼用の自宅にひきとって半年がかりで発声から正しい標準語のしゃべりかた、レディ(淑女)としての立居振舞、礼儀作業に至るまで特訓で教え込み、どん底の「腐ったキャベツ」のようなむさくるしい女から上流階級の洗練されたレディに仕立て上げる。木琴の伴奏に合わせて歌うようにリズムのある発声法を教えたり、舌がもつれて言葉が乱れないようにビー玉を3個も4個も口にふくませて発声させたり、「スペインの雨は主にプレイン(平野)に降る」とか、「ハンプシャー、ハットフォードではハリケーンが起きない」とか、PやHの音に気をつけて発音させたり、これらはミュージカル『マイ・フェア・レディ』では歌のナンバーになっている発声の訓練のせりふが次々に出てきて、苦業のありさまが面白可笑しくくりひろげられる。
 ピグマリオンはギリシア神話でキプロス島の王。象牙でつくった女の像に恋をしてしまい、愛の女神アフロディーテがそれに生命を与えて結婚させたという。イギリスの近代劇に新風を起こしたジョージ・バーナード・ショーがこのギリシア神話を辛辣なタッチで現代風に劇化し、映画化のための脚本も書いた。

イラスト/池田英樹

 言語学者ヒギンズ博士は下町の花売り娘のイライザを音声学の実験材料にして、彼女をしごきにしごいて、まるで女中あつかい、奴隷あつかい、その特訓にめげずにこたえてイライザは見事に変身して誰もが淑女と認めるまでの美しい女になるが、その成果に有頂天になった男は女の献身と愛になかなか気がつかない。神話的なロマンスは女の逆襲(?)によって生まれ、めでたしめでたしという結末になるのだが、女の巧妙な策略の勝利なのか…封建的な男の甘えを皮肉っぽく認めたようなラストシーンでもある。
 ロンドン・フィルムを設立してイギリス映画の黄金時代を築いたアレクサンダー・コルダと同じハンガリー生まれの国際的映画人、ガブリエル・パスカルがジョージ・バーナード・ショーからその劇作の映画化権を取得(1945年にはジョージ・バーナード・ショー原作の『シーザーとクレオパトラ』という歴史喜劇を自ら製作、監督する)、『ピグマリオン』は舞台で成功した芸達者の俳優たちを起用して大ヒットした。つづいてミュージカル化のアイデアもガブリエル・パスカルの提案で実現し、歌も歌えるレックス・ハリスンのヒギンズ教授、そして新人のジュリー・アンドリュースのイライザという配役で大成功。ともに当たり役で人気沸騰、そのままニューヨークのブロードウェイでも続演、次いでハリウッドで『マイ・フェア・レディ』として映画化された。周知のように、ヒギンズ教授はレックス・ハリスンが演じたが、イライザはジュリー・アンドリュースではなく、オードリー・ヘップバーンに取って代わられた。但し、イライザ役のオードリー・ヘップバーンの歌は吹き替えで、『王様と私』(ウォルター・ラング監督、1965年)で家庭教師の「私」役のデボラ・カーの歌を吹き替えた歌手のマーニ・ニクソンの声だった。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

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