映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、その時期に合わせた映画を「2本立て」(日本映画、外国映画)で紹介していただきます。その組み合わせの妙もお楽しみください。今回は8月15日の終戦記念日に合わせて、亀井文夫監督の記録映画『戰ふ兵隊』と、旧ソ連でつくられたグリゴーリ・チュフライ監督の『誓いの休暇』を取り上げます。ともに反戦の思いが込められた名作です。

紹介作品

戰ふ兵隊

製作年度:1939年/上映時間:66分/監督:亀井文夫

商品情報

『戰ふ兵隊』
価格:4,180円(税込)/発売元:コアラブックス
※2022年8月時点の情報です


誓いの休暇

製作年度:1959年/上映時間:88分/監督:グリゴーリ・チュフライ キャスト:ウラジーミル・イワショフ、ジャンナ・ボロホレンコ、アントニーナ・マクシーモワ、ニコライ・クリュチコフ

商品情報

『誓いの休暇』
価格:5,280円(税込)/発売元:アイ・ヴィー・シー
© Mosfilm Cinema Concern 1959
※2022年8月時点の情報です

77年目の終戦記念日を迎えて、忘れてはならない(などとあえて言うまでもなく)、忘れがたい戦争映画/反戦映画の数々の名作のなかから、テレビでも放映されない、映画館でも上映されないけれども、かろうじて市販のDVDで見られる今回の邦洋2本立てが、日本映画『戰ふ兵隊』(1939年)と旧ソ連映画『誓いの休暇』(1959年)。国家のあらゆる政策を戦争に役立つように組織立て、戦争によって国威を高めようとする軍国主義一点張りのさなかに国策映画としてつくられたが、その「厭戦気分」「反戦的哀感」ゆえに公開禁止になった亀井文夫監督の記録映画と独裁的人民委員会議長スターリンの死後のソ連の、いまとなっては束の間の雪どけの時代につくられたグリゴーリ・チュフライ監督の反戦ヒューマニズム映画である。

静かに鮮烈に反戦をうたいあげる「呪われた記録映画」

日本軍の強さを讃え、日本必勝をうたい上げていた日本の戦争中の映画界にあって、ただひとり、戦争反対の危険思想の持ち主として、1938(昭和13)年に改正・強化された治安維持法により逮捕・投獄されたのが亀井文夫監督であったという。その容疑のもとになったのが1939年につくられたまま公開されなかった記録映画『戰ふ兵隊』だった。1時間20分の作品を戦後1時間5分に短縮された改訂版が公開されたらしいのだが私は見ておらず、その後、幻の映画になったまま1975年になって元の完全版が「発見」されたというような経緯があって、1995年に新装なった東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)における「フィルムは記録する――日本の文化・記録映画作家たち」特集で35ミリ版ニュープリントによる上映がおこなわれたときに私は初めて『戰ふ兵隊』の完全版を見た。「戦後50年幻の名作復刻版シリーズ」全18巻のビデオ(VHS)も出て、『戰ふ兵隊』もその1巻としてビデオ化された。

完成と同時にオクラ入りになって、短縮版がわずかに上映されただけということもあって、ネガも傷(いた)んでおらず、プリントはみずみずしく、フィルムで上映された作品もビデオ化された版も美しい白黒の鮮明な画面で感動した覚えがある。前線の兵隊が銃を持って見張りに立つシルエットのかなたの夜空に三日月がポツンと浮かぶ構図の美しさなど、じつに印象的で忘れられない。撮影は三木茂である。

古関裕而作曲の、戦争映画といっても勇ましい行進曲でなく、どこか物悲しく抒情的なメロディーとともに画面いっぱいに煙をはく汽船の煙突をとらえたタイトルバックから、すばらしい出だしだ。海上をすべるように汽船が進み、キャメラが流れるように移動するといった27年前の鮮烈なイメージが、実は今回入手できたDVDの画面にはまったくないことにおどろく。元のフィルムの劣化が進んでいたのだろう、こんなにもひどい傷だらけの状態になっていることに、つい『戰ふ兵隊』という映画そのものの「呪われた」運命を感じてしまうくらいだ。

日章旗を掲げた戦車が草木を分けて走るが、そこは中国大陸の農村で、家を焼かれた農民の呆然とした顔がアップでとらえられる。荒れ果てた田畑のなかの道なき道を家財道具をかかえた家族とともに難民の列がつづく。

『戰ふ兵隊』という題名とはうらはらに、この映画には戦闘シーンがほとんどない。銃声や砲声が遠く、近く、絶えず鳴り響いているのだが。

「いま大陸は/新しい秩序を/生み出すために/烈しい陣痛を/体験してゐる」という手書きの字幕が入る。

野営地では、やせこけた軍馬たちが草を食み、兵隊たちがごろごろと死んだように寝転がって仮眠をとっている。テントを張っただけの野戦病院のなかでは傷ついたりマラリアに冒されたりした兵隊たちが地べたに寝かされたまま治療をうけている。

ドラム缶の水をすくって飲む兵隊たち。
「支那大陸は/どこへ行っても/水が悪い/兵隊は/故郷の清らかな水を/いくたびか思ひ起す」
という字幕。

黄昏の荒野で軍隊に見捨てられた1頭の病気の廃馬が「古木がくずれ落ちるように」倒れて死んでいく姿をとらえた有名なシーンに象徴される挫折感、敗北感が映画全篇にただよう。

戦局は逼迫していて、亀井文夫と撮影隊は戦闘後の前線の部隊を追いかける形で撮影をつづけるしかなかったのだろう。戦闘がおこなわれる「最前線の中隊本部」が現地で(占拠した民家の一角に)再現されるのだが、20分もの長いあいだ同時録音でキャメラは据えっぱなし、中隊長が次々に駆け込んでくる斥候からの敵状報告やら、戦闘中の小隊からの伝令の増援要請やらをうけたりする。キャメラが回っているのを意識しているせいか、中隊長は素人芝居ながら妙に張り切って演じているようだ。このシーンのやりとりは、もっとはっきり聞こえたはずだが、藤井慎一によるせっかくの現地録音も、音声がつぶれてしまって(画面以上に劣化がひどい)、何を言っているのかまったくわからない。中隊長が臨機応変の作戦指揮をし、兵隊たちが戸口を出たり入ったり、担架で戦傷兵が運ばれてくるところとか、演出のない(?)再現シーンなので下手な学芸会みたいな感じはまぬがれないとはいえ、奇妙な臨場感があることもたしかだ。もちろん出演している兵隊たちは本物なのだ。夜(ロバの鳴き声がひどく耳につく)、仮り小屋の宿舎でロウソクの灯だけで、戦友の遺骨を安置した片隅の小さな棚の前に集まった何人かの兵隊たちが戦友の死を知らない妻からの手紙を読むシーンのせつなさが伝わってくる。ロウソクの灯に照らし出される手紙のなかに同封された子供たちの写真。「子供たちもすくすく丈夫に育っています。どうぞ心おきなく皇国のために戦いつづけてください…」と戦友の妻からの手紙を読む兵隊の顔は暗くて見えないのだが…。

進軍ラッパとともに飛行隊、戦車隊、騎馬隊、そして特に歩兵を中心にした部隊は武漢への前身移動をつづけ(響き渡る軍靴の大行進の音はのちに富士山麓でエキストラを動員して演出録音し、付け加えられたものだという)、ついに武漢を占拠し、街の中心地の広場を埋めつくす。

「兵隊は/武勲を語らない/名誉を思はない/ただ/大いなる事業を/果たした後の/快い疲れを休めて/静かに楽しんでゐる」という字幕が出るが、長い苦難にみちた進軍のすえにやっとたどり着いた兵隊たちは、疲れ果てた身体を抱きかかえた銃に支えられるようにして腰を下ろし、休息するのみ。死臭を嗅ぎつけたかのように群がり寄るハエを追い払う気力もない。軍楽隊が士気を鼓舞するためにスッペのオペレッタ「軽騎兵」を奏でるが、ここひとつ調子が上がらず、物悲しく鎮魂歌のようにひびく。「呼吸をしているのさえわからない石像のような兵隊たち。私はこの『戰ふ兵隊』のラストシーンほど、深い人間的感動を表現した戦争映画のシーンをいまだ知らない」と野田真吉は「日本ドキュメンタリー映画全史」(教養文庫・社会思想社)に書いている。

これは「戰ふ」兵隊ではなく、「疲れた」兵隊だ、という試写を見た軍の関係者は言ったという。華々しい戦闘どころか、死に直面しつつ、穴のあいた軍靴や眠りながら行進する兵隊たちの静かな黙々とした苦闘の魂を描いた作品だったからだろう。

こうして「時節柄公開は好ましくない」との陸軍参謀本部からの御達しにより、一時は「闇から闇へ葬られてしまった」幻の反戦映画だったが(田中純一郎「日本映画発達史」中央公論社)、疲れ果てた兵隊のように無残な姿ながらこうしてともかくDVDで追悼の思いをこめて見られるだけでもよしとすべきか。

戦場に行った息子を待つ母親の姿を哀感たっぷりに描く

『誓いの休暇』は、菊池章子が歌って大ヒットした流行歌「岸壁の母」(藤田まさと作詞、平川浪竜作曲)を想起させるはじまりである。〽母は来ました 今日も来た/この岸壁に 今日も来た/とどかぬ願いと 知りながら…。

「岸壁」は戦地からの引き揚げ船が帰ってくる舞鶴港のことだが、『誓いの休暇』の母が「今日もまた」来るのは名もなきロシアの小さな村はずれ。そこから果てしなくつづく細い道。それは時をこえてはるかな戦場へつづく道である。「今日もまた」…年老いた母は帰らぬ息子を待ちつづける。

映画は回想の形で対独戦線の英雄になってしまった(というのも無我夢中で敵の戦車を2台炎上させるという大手柄を立ててしまったのだ)まだ19歳の少年兵が「ごほうび」に6日間の休暇を与えられ、母が待つ故郷の村(母と子ふたりきりなのだ)へ帰る物語になる。往復に4日もかかるので、母のもとには2日間しか滞在できない。その間にやり残していた屋根の修理もしなければならない。少年の将来の夢は建築家になることだった。

戦火のなか、疎開列車や貨物列車を乗り継いで急ぐ少年の前にいろいろな障害が立ちはだかるというお定まりのドラマ展開ながら、出会う人物が男も女も、善人も悪人も、それぞれ人間味あふれて魅力的で、そのうえ少年が純粋すぎるくらい善意のかたまりで、他人の不幸を黙って見逃せないところが、いまやもう失われたナイーブな美徳のように微笑ましく感動的ですらある。

貨物列車のなかにとびこんできた少女との交流が白樺の林やちぎれ雲の浮かぶ空とともに描かれるシーンも感動的で美しい。

だが、何にもましてすばらしく、圧巻と言うしかない感動のシーンは、少年がやっと故郷の村にたどり着いたときには、もう時間を使い果たし、道ばたで母と抱き合って寸暇の別れを惜しむだけというラストシーンだ。若い母親は麦畑のなかを走る。帰ってきた息子をもう二度と手放さずに抱きしめるために必死に走る。涙なくしては見られないシーンだ。抱き合った母と子はわずかな言葉をかわしただけで、また別れなければならない。少年はふたたび戦場へ去り、戦争が終わっても帰ってくることはなかった。ただ「今日もまた」、帰りを待っている老いた母の姿だけが遠くつづく道のかなたをむなしく見つづけるのである。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

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