映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。今回は少女スターから青春スターの階段を上っていた頃の高峰秀子が笠置シヅ子と共演した『銀座カンカン娘』と、イギリス映画の黄金時代に咲いた芸術映画の名作『赤い靴』のカップリングです。映画は娯楽であり芸術だということが身にしみて伝わってくる邦洋の2本立てをごゆっくりお楽しみください。

紹介作品

銀座カンカン娘

製作年度:1949年/上映時間:69分/監督:島耕二/脚本:中田晴康、山本嘉次郎/撮影:三村明/音楽:服部良一/出演:高峰秀子、笠置シヅ子、灰田勝彦、古今亭志ん生(五代目)、浦辺粂子、岸井明、服部早苗、山村耕、松尾文人、三村秀子、中原謙三ほか


赤い靴

製作年度:1948年/上映時間:133分/監督・脚本:マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー/原作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン/撮影:ジャック・カーディフ/音楽:ブライアン・イースデイル/出演:モイラ・シアラー、アントン・ウォルブルック、マリウス・ゴーリング、ロバート・ヘルプマン、アルベルト・バッサーマン、レオニード・マシーン、リュドミラ・チェリーナほか

 今年生誕百年を迎えた日本映画の女優(1924年生、2010年没)高峰秀子の何本かの忘れがたい名作とイギリス映画の忘れがたいコンビの名作を何本か追いかけて(少なくともDVDあるいはブルーレイディスクで見られることを条件に)、今回は歌謡映画の珍品『銀座カンカン娘』(島耕二監督、1949年)とバレエ映画の頂点に立つ芸術的名作『赤い靴』(マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー監督、1948年)という、映画館の全盛時代の名画座の番組でもあり得なかったような2本立てになる。

何でもありの娯楽に徹した大らかな歌謡映画

『銀座カンカン娘』はたぶん一世を風靡した(と言ってもいいほど)大ヒットした同名の主題曲のほうが映画そのものより有名かもしれない。
 1949(昭和24)年といえば、戦後の4年目、ありていに言えば、人々は飢えや貧困と闘いながらも、笑いを取り戻し、日本人としての独立意識にめざめはじめたころである。日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)が対日講和条約発効(1951年)とともに廃止されるのも間もなくという時代——もっとも、私はまだ疎開先の東北の中学3年か高校1年ぐらいのときだから、映画を見ることができたのはもっとあとのことで、ラジオやレコードや商店街の広告用のスピーカーから流れる明るく軽快で威勢のいい流行歌のほうを先に覚えてしまったような気がする。〽あの娘(こ)可愛(かわ)いや カンカン娘(むすめ) 赤いブラウス サンダルはいて…とか、〽雨に降られて カンカン娘 傘もささずに 靴までぬいで…とか、〽指をさされて カンカン娘 ちょいと啖呵(たんか)も 切りたくなるわ…とか、〽カルピス飲んで カンカン娘 一(ひと)つグラスに ストローが二本(にほん)…とか今でも歌詞のどこからでもすぐ口をついて出てくるくらいだ。佐伯孝夫作詞、服部良一作曲の忘れがたい御機嫌な名曲だ。

 歌は今聴いても御機嫌な快調ぶりだが、映画のほうは、当時(というのは、今ではほとんど死語になってしまったようだけれども)ごく日常的なことなのに何でも笑いを誘うようなバカふざけをすることをアチャラカ(あちら=西洋化の転という)などと言ったように、通俗的な歌謡映画にしても、かなり安手のへんてこりんな珍品に思える。監督の島耕二、脚本の山本嘉次郎と中田晴康、撮影の三村明と立派なキャリアを誇るスタッフなのだが、製作の青柳信雄(監督作もたくさんある)という通俗的娯楽映画の大家の支配力が圧倒的に強かったようだ。
『日本映画作家全史』(現代教養文庫)の猪俣勝人によれば、青柳信雄というのは、映画は何よりもまず商売なのだから「当れば官軍である。すこしくらい作品の出来におかしなところがあっても、それで当ってしまえばどこからも苦情はこない」ということを誇りにアチャラカ喜劇でも何でも「縦横無尽に」量産して、「大いに当てまくった」ヒットメーカーであった。
『銀座カンカン娘』は、史上名高いストライキ、東宝争議(1948―49年)で脱退したスターたちを中心に創設された新東宝のごく初期の作品で、即製の娯楽映画ばかりつくっていて決定的に重要な作品を残していなかったものの、高峰秀子が少女スターから青春スターへの変わり目の時期につくられた注目すべき1作になったような気がする。軽快に明るく歌う高峰秀子のイメージ(というかキャラクター)がそのまま2年後の松竹の木下惠介監督の名作『カルメン故郷に帰る』(1951年)につながっていくのも偶然ではなかったにちがいない。キネマ旬報『日本映画人名辞典〈女優篇〉』によれば、ちょっと内輪の業界事情になるけれども、「彼女(高峰秀子)のマネージャー的存在だった新東宝のプロデューサー青柳信雄が1949年8月、松竹の木下惠介監督『破れ太鼓』に阪東妻三郎の共演者として彼女を当人の知らぬまに出演させる契約を松竹製作本部長・高村潔と結び、300万円の出演料まで受け取っていたという彼女にとっては寝耳に水の事件が起こり、『破れ太鼓』出演は木下監督と面談して解消、300万円も青柳が返済することで一軒落着したが、このことがきっかけで同年10月、新東宝との契約を専属から年3本の本数契約に切り替え、さらに11月、木下監督から翌年撮影に入る『カルメン故郷に帰る』のヒロインとして出演を申し込まれたことから、ついにフリーとなる決心をした」とのことだから、詐欺師のような(とまで言っては失礼かもしれないが)海千山千のプロデューサー青柳信雄もそれなりに見事に高峰秀子の女優としての才能と可能性を洞見していたということにもなるだろう。

イラスト/池田英樹

 今風にファッショナブルに言えばオーバーオールとかサロペットということになるのだろうが、胸当てや吊紐付きの作業ズボンにベレー帽というラフなスタイルで、〽家(うち)がなくても お金がなくても 男なんかに だまされまいぞよ/これが銀座の カンカン娘…と歌って踊る高峰秀子の明朗闊達な魅力には心地よく圧倒される。
 遠く下のほうに列車(といっても2輌つながりの郊外電車のようだ)が走る原っぱ。荒れ地のような丘の上の一軒家を借りて、引退した落語家(5代目古今亭志ん生が演じているというだけでも珍品と言っていい映画だ)がおっとりしているようで口うるさい古女房(浦辺粂子)とサラリーマンの若い甥(灰田勝彦)と小さな孫娘(服部早苗)とともにささやかな生活を送っているが(さらに可愛い仔犬のポチも住みついている)、そこへ新笑(というのが古今亭志ん生の老落語家の役名である)が昔世話になった恩人の画家志望の娘(高峰秀子)とそのちょっと年上の親友の声楽家志望の娘(笠置シヅ子)が居候として入ってくる。
 明朗快活な娘ふたりだが貧しくて、〽絵具がほしいけどお金がない…〽 ピアノがほしいけどお金がない…と朝から歌って、といっても、文無しを嘆くだけで働かないというわけではない。高峰秀子が職探しに出かけようとすると、仔犬のポチを捨ててきてくれとたのまれ、処置に困っていると、とある映画会社のロケ隊に出会い、その撮影に仔犬といっしょに出てほしいとたのまれ、にわか出演。撮影は進行し、ヒロインが噴水の池に投げ込まれるシーンになり、女性のスタント(代役)が見つからず、こんどは笠置シヅ子のほうがつかまって代役として出演。一文なしのふたりはこうして思いがけない出演料として1000円もの大金を手にし、特売日の八百屋でいろんな野菜をおみやげに買って家に帰ってくる。可愛い仔犬のおかげで運が開けたというわけでポチも捨てられずに帰宅。このポチが仲に入って(人なつこくて可愛い仔犬なのでみんなに愛される)、会社で合唱団を組織しようとして失敗した灰田勝彦(ハワイ生まれの人気歌手で、すでに少女時代の高峰秀子と『秀子の應援團長』で共演している)と2階の娘、高峰秀子が急に親しくなって愛し合う関係になるのも自然のなりゆきという感じで、歌も歌う。もうひとりの娘、笠置シヅ子も「東京ブギウギ」や「買物ブギ」などのヒット曲で知られたブギの女王だし、映画のロケのときは同じエキストラとして知り合ったトランペット吹きの巨漢(その巨漢に似合わぬペーソスをにじませた笑いの演技で人気のあったコメディアンだった)岸井明に誘われて4人組で東京の銀座のキャバレーやバーやナイトクラブをめぐって流しで「銀座カンカン娘」を歌うことになり、稼ぎまくる。居候の娘ふたりも貯金ができるほどになったが、古今亭志ん生の新笑が借家の家賃も支払えなくなって家主から立ち退きを要求されるという事態に陥り、居候の娘ふたりが大事な貯金を差し出して一家を救うことになるのだ。と、心あたたまる人情噺のようになったりもして、次から次へと、あれやこれや、御都合主義といえば御都合主義のとりとめもない筋立てなのだが、古今亭志ん生は人情家というだけで大した役どころでないかと思えば、「ええ、お笑いを一席」とこともなげにお得意の落語を披露し、ギャグ(というかダジャレ)のように、歌の文句を落語の枕に使用して「昔なつかし銀座の柳、今は銀座のパンパン娘」などと言ってしまって、孫娘に「おじいちゃん、違うわよ、パンパンでなく、カンカン娘よ」と直されたりする。もちろん、パンパンは終戦直後の進駐軍の兵士を相手とした街娼のことだから、明るく気高いカンカン娘とは大違いというわけだろう。
 銀座のバーやクラブは単純なセットで(美術は河野鷹思)、灰田勝彦と高峰秀子が流しの仕事を終えたあと、夜の銀座の路地裏で(ここは書割のように1948年のアメリカ映画、ウィリアム・A・ウェルマン監督の反共スパイ活劇『鉄のカーテン』の巨大なオリジナル・ポスターがビルの壁に貼り付けられ、それを背景に)やくざたちにからまれ、若い子分のひとりがパチンコ玉や剃刀の刃などを紐に捲き付けてぶんぶん振り回すあぶない小道具(たしかブンブンと言ったと思う)を使ったりして、ギャング映画(あるいはむしろフィルム・ノワール)のような雰囲気をかもし出すシーンもあったり、高峰秀子が襲いかかってくるやくざにおびえて恐怖の叫び声を上げるとそのままナイトクラブで〽ワオー、ワオ、ワオーと叫ぶように歌う笠置シヅ子の「ジャングル・ブギ」の流しのナンバーにつながるといった、いかにも映画的なモンタージュの技法を見せたりして面白おかしくその場、その場をつないでいくものの、どこか覚束ない感じで、緻密な構成からは程遠い。歌ばかり歌って画家志望の夢を忘れてしまったわけでもない高峰秀子は、野原でデートしながら、やくざの振り回すブンブンで顔が傷だらけになって絆創膏だらけの灰田勝彦をモデルに新しい絵具で絵を描くが、その絵を仔犬のポチが踏みつぶして台無しにしてしまうという、のどかなお笑いのシーンもあり、最後は結婚することになったふたりのささやかな祝宴が新笑宅で開かれ、結ばれたふたりの餞別として古今亭志ん生お得意の一席披露でめでたし、めでたしという幕切れだ。

美しいテクニカラーで描かれるバレリーナの悲劇

イラスト/池田英樹

『銀座カンカン娘』の紹介がちょっと長すぎてしまったので、『赤い靴』のほうはできるだけ簡単にすまそうと思うのだが、実はそんな口実などいらないくらいこのイギリス映画の黄金時代の名作はただもうすばらしいの一語につきるとしか言いようのないすばらしさなのである。
 マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーのコンビの製作・脚本・監督によるバレエ映画の不朽の名作として知られる代表作で、このチームは『バルカン超特急』『ミュンヘンへの夜行列車』『絶壁の彼方に』3部作の脚本コンビ、シドニー・ギリアットとフランク・ローンダーン以上に名高いスタッフだった。英国のバレエ界、音楽界の総力を結集した踊りと音楽の華麗な乱舞、テクニカラー全盛期の名キャメラマン、ジャック・カーディフの深みのある照明による官能的な画面づくりと豪華絢爛たる色彩効果。すべてに幻惑されよう。
 物語はハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話にもとづき、魔法の靴をはいた少女が死ぬまで踊りつづけるという伝説を現実の若いバレリーナ(映画初出演のモイラ・シアラー)の悲劇的な宿命に結びつけ、創作バレエ(古典的名作のバレエ・シーンとともに舞台裏の情景やドラマも興味深く見せる)とバレリーナの人生が二重になって交錯する(実人生がアンデルセンの童話の主人公と同じ悲しい運命をたどることになるのだ)。ミュージカルでいえばメインのナンバーになる20分近くの創作バレエ「赤い靴」は、単にリアルな舞台の再現ではなく、特撮のテクニックも生かして、怪奇と幻想の入り混じったファンタスティックな映画的演出で、圧巻のすばらしさだ。振付はロバート・ヘルプマンで、靴屋の部分だけはレオニード・マシーンが担当し、赤い靴をつくった悪魔の化身のような靴屋の役も自ら演じて踊った。
 マーティン・スコセッシ監督の監修協力によるDVD『赤い靴・デジタルリマスターエディション』で、今ではもうめったに見られない美しいテクニカラーによる真っ赤なバレエシューズのまさに目に焼き付くような強烈な赤の美しさを堪能できるだろう。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

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