映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。前回に引き続き、生誕100年を迎えた女優・高峰秀子とイギリスの冒険活劇の2本立てです。まさに少女スターとしての魅力にあふれた『秀子の車掌さん』と、スリルと笑いが見事にミックスされたヒッチコック監督の『バルカン超特急』。山田宏一さんにこの両作の面白さを余すところなく伝えていただきたいと思います。
紹介作品
秀子の車掌さん
製作年度:1941年/上映時間:54分/監督・脚本:成瀬巳喜男/原作:井伏鱒二/撮影:東健/音楽:飯田信夫/出演:高峰秀子、藤原鶏太、夏川大二郎、馬野都留子、清川玉枝、 勝見庸太郎ほか
バルカン超特急
製作年度:1938年/上映時間:97分/監督:アルフレッド・ヒッチコック/脚本:シドニー・ギリアット、フランク・ローンダー/原作:エセル・リナ・ホワイト/撮影:ジャック・コックス/音楽:ルイス・レビ/出演:マーガレット・ロックウッド、マイケル・レッドグレーヴ/ポール・ルーカス/デイム・メイ・ウィッティ、バジル・ラッドフォード、ノーントン・ウェインほか
生誕100年を迎えた女優高峰秀子の少女時代の主演作品、『秀子の車掌さん』(1941年)とイギリスの冒険活劇の古典的名作の1本、『バルカン超特急』(1938年)が、今回の——前回につづいての——邦洋「2本立て」である。古い作品だが、ビデオ(DVD)で見られるというだけでもうれしい。古めかしくても(日本映画では台詞が聴き取りにくくてちょっとつらいところがあるものの)、今の映画ではもう失われてしまったさりげない魅力があって捨てがたい愛すべき小品だ。前回取り上げた『秀子の應援團長』(1940年)と同じように南旺映画という東宝の子会社(高峰秀子の回想によれば「確か南旺映画って、同じ東宝なんだけど、スタジオが多摩川の向こうの遠い所にあった」)の作品で、当時すでに人気スターだった高峰秀子の名前そのものを題名に入れたアイドル映画(と今風に言ってもいいような作品)。ファンは『秀子の——』というだけで文句なしに楽しく期待して映画館に見に行ったのだろう。
屈託のないエピーソードが満載の名作
5歳で映画にデビュー(1929年、松竹蒲田の売物だった母もの映画の名作、『母』の子役として)、おかっぱの可愛らしい女の子で、天真爛漫、演技も自然で素直で、子供っぽくわがままを言ってもどこかいじらしく、あどけなく可憐な姿が誰にも愛されたというのもよくわかるような気がする。舞台にも出演、歌も上手で、天才少女と謳われた。1937年には松竹からP.C.L.(のちの東宝)に引き抜かれて入社。15歳の無名の少女豊田正子が書いてベストセラーになった生活綴方集『綴方教室』の映画化(1938年、山本嘉次郎監督作品)の小学校6年生のヒロインに抜擢されたのが高峰秀子14歳のときで、未来の大女優をうかがわせる不世出の少女スターと評価された。
次いで1940年の『秀子の應援團長』(千葉泰樹監督)、1941年の『馬』(山本嘉次郎監督)そして『秀子の車掌さん』(成瀬巳喜男監督)とつづく。『馬』の撮影中にチーフ助監督とB班監督もつとめていた黒澤明(当時30歳で、すぐれた脚本家としても知られていた)とのロマンスが話題になったが、「17歳の私は若すぎて未来の大監督との恋は実らなかった」とのちに高峰秀子は述懐している。
撮影は山梨県の甲府でロケーション。甲州街道をはるかに奥へ入り込んだ山間の小さな町を小型のおんぼろバスが走る。若く可愛らしい女車掌おこまさんが高峰秀子の演じるヒロインだ。ふと足元を見ると、これまたおんぼろの、すりきれたズック靴。途中でバスを一瞬止めてもらって、実家に立ち寄って軽くて歩きやすい下駄にはき替える。けっこう歯の高い下駄だが、はきなれているらしくて、歩く姿も軽やかだ。おんぼろバスには、にわとりを入れた籠やら何やら荷物をたくさん持ち込む農夫、赤ん坊をおんぶした母親と5人の小さな子供たち……切符の売行きはよくない。がたぴし揺れるバスの振動のせいで農夫の籠のなかからにわとりが顔を出し、身を乗り出し、ついに飛び出してバスのなかで大あばれしたあと、開け放たれた車窓から外に逃げ出してしまう。バスはまたも一時停止、農夫と車掌の高峰秀子があわててにわとりを追いかける。にわとりは道のわきの藪のなかに逃げ込んでしまう。そんなドタバタ騒動もすっかり日常化しているらしい映画のはじまりである。
イラスト/池田英樹
おんぼろバス1台に保険をかけて商売とも言えないような商売をしているバス会社の社長さん(勝見庸太郎)はラムネの瓶(びん)の栓をポンと音を立てて開けて、かき氷にシロップのようにラムネ水をかけて飲むのが大好きという(季節は真夏の暑い盛りだ)、多少「頭のピントが狂っている」と周囲からみなされているケチな男で、会社はだんだん営業不振におちいるばかり。そこで高峰秀子のおこまさんはけなげにも貧乏バスの運営をなんとか立て直そうと苦心惨憺、ショボクレてはいるけれども気のいいとぼけた味の珍優(と言うべきか、むしろ傍役ながら名優と言いたい感じの)藤原釜足ふんするバスの運転手と相談、意気投合して、いっきょに派手な観光バスに仕立てて盛り上げようとする。藤原釜足は日本の古代政治史の大改革、大化の改新の立役者(天智天皇の中臣)、藤原鎌足をモジって釜足と書いて名前にしていたが、戦時中だったので、内務省から「歴史上の偉人を冒涜するものだ」と改名を余儀なくされ、名を「変(け)えた」と転嫁して藤原鶏太(けいた)を名のっていた。不自由な時代だったのである。
そんな世相のあわただしい社会情勢のようなものなどまったく感じさせない戦時中のエスケープ・ムービー(逃避映画)と言ってもいいような、のんびりと浮世離れした(というか、時代を超えたオトギ話みたいな)田舎のバスをめぐる屈託のないエピソードが『秀子さん』ものの魅力になっていると言えるかもしれない。
東京から休養に来ていた小説家の先生(ラフな羽織袴のいかにも当時の文士といった風情の夏川大二郎が印象に残る好演である)におねがいして、これといった珍しい風景もなく、名所旧跡などもない平凡で辺鄙な田舎バスの沿線にいろいろコジつけて観光名所らしきものを急造して遊覧バスのガイドの名文句を書いてもらい、実際にバスに乗ってもらって、「皆様、右に見えますのは…左に見えますのは…」と声の出しかたやら説明のタイミングやら口調やら、笑顔のつくりかた、手ぶりなども指示してもらい、リハーサルもおこなって、用意万端、いよいよ秀子さんのバスガイドがスタート。運転手の藤原鶏太もショボショボと張り切って出発するものの、ピクニック気分でバスに乗り込んできた3人娘はバスのなかで元気いっぱい、声を張り上げて歌を歌いつづけ、新しいバス案内嬢のおこまさんの出る幕なし。やっと3人の男性登山者が乗り込んできて、運転手からも「おこまさん、しっかりたのむよ」のはげましに秀子さんのバスガイドも「本日はありがとうございました…」と一席。派手な盛り上がりはなくても、元気いっぱいに「発車オーライ!」。
しがなく、心地よく、すがすがしい、微笑みのようなラストシーンになる。
一瞬たりとも目が離せないスリリングな冒険活劇
『バルカン超特急』(アルフレッド・ヒッチコック監督、1938年)はこの連載の前々回に取り上げた『絶壁の彼方に』(シドニー・ギリアット監督、1950年)、前回に取り上げた『ミュンヘンへの夜行列車』(キャロル・リード監督、1940年)とともにイギリスの冒険活劇の3部作をなす名作で、製作年代順に並べれば『バルカン超特急』『ミュンヘンへの夜行列車』『絶壁の彼方に』となるのだが、日本の劇場公開は『絶壁の彼方に』が最初で、『バルカン超特急』が最後、その間に『ミュンヘンへの夜行列車』がテレビ放映されただけ(国立近代美術館フィルムセンターの特集番組「英国映画の史的展望」で、日本語字幕なしで上映されたことはあるが、劇場公開はされなかった)。といったぐあいで、3部作とはいってもちぐはぐに紹介されてきたが、もちろん別々に見てもすばらしく面白かったことは言うまでもない。3部作といっても、続き物、連作というわけではなかった。
イラスト/池田英樹
3本の映画をつなぐ共通点はシドニー・ギリアットとフランク・ローンダーンというイギリスの冒険活劇の映画史上その存在と役割を無視できないシナリオライターのコンビで、このコンビはプロダクションも共同で興し、『絶望の彼方に』は脚本・監督はシドニー・ギリアットだが、コンビの製作になる映画だった。
『ミュンヘンの夜行列車』にはノートン・ウェインとバジル・ラッドフォードというイギリス人ならではのクリケット狂の2人組が列車に乗り合わせていて、事件に巻き込まれ、大活躍するのだが、このコンビがすでに『バルカン超特急』の旅行者として出てくる。そして事件に巻き込まれてしまうけれども、見事に大活躍して…というだけでもユーモアとサスペンスにみちた面白さだ。スリルと笑いが、緊張と開放感が交錯するヒッチコック映画の妙味である。『バルカン超特急』は人々が意味不明の言語を話すバンドリカというバルカン半島の架空の国(冬のスキー場にイギリス人たちがやってくるリゾート地になっていることがわかる)からはじまるのだが、それは『絶壁の彼方に』の恐怖の独裁国ヴォスニア(やはりバルカン半島の架空の国である)につらなると言っていいだろう。
バルカン半島のリゾート地から休暇を終えてロンドンに帰る特急列車で若いイギリス女性(マーガレット・ロックウッド)がミス・フロイとい温和で感じのいい老婦人(デイム・メイ・ホイッティ)と知り合うのだが、この老婦人が突如、走行中の列車から姿を消してしまうところから、謎とサスペンスにみちた不可解な事件が次々に起こる。列車が走り出す前から、多彩な登場人物があれやこれやと——天候不順で列車の出発が遅れに遅れてしまうこともあって——なんとも楽しく面白おかしく描かれて、列車に乗り合わせたサーカス団とか、怪しい人物も多彩で、いったいどんな展開になるのか、もう目が離せなくなる。老婦人が列車に乗る前に、のどかなメロディーを歌う男が何者かに絞殺される。のちにそのメロディーはスパイの暗号とわかるのだが、そのメロディーはスパイである老婦人に聴かせていたことが伏線になるという荒唐無稽な設定だ。
若いイギリス人女性マーガレット・ロックウッドは列車のなかで突然消えてしまったミス・フロイをさがしまわるが、誰もそんな老婦人など見なかったと言う。しかし、誰もが怪しい。何もかもマーガレット・ロックウッドの幻覚、幻想にすぎないのだと思わせようとして誰もが口裏合わせをして陰謀を企んでいるらしい。ドクターを名のる頭脳的な悪党(ポール・ルーカス)も現れ、マーガレット・ロックウッドは国際的な陰謀団を相手に真相をつきとめるべく命がけの冒険に挑まなければならなくなる。このあたりの急展開は息もつかせぬ面白さだ。
のちのハリウッド時代のヒッチコック映画、『泥棒成金』(1955年)や『北北西に進路を取れ』(1959年)のケーリー・グラントみたいな、女の寝室にずかずかと入り込んでも嫌味のない、図々しくても、いやしい感じがしないので気が置けない、好感度満点の美男子(マイケル・レッドグレーヴ)がマーガレット・ロックウッドとからんで当然ながらロマンチックなドラマになるのだが、これがまた映画の面白さをいっそうふくらませる。ふたりはイギリス情報部のスパイである老婦人のミス・フロイから口伝でスパイの暗号であるメロディーを伝授され、列車が無事ロンドンに到着したら、すぐイギリス情報部に直接報告して伝えてほしいとたのまれる。マイケル・レッドグレーヴは一度聴いたメロディーは絶対忘れないという自信があったのに、ふたりは列車のなかの騒動に巻き込まれてすったもんだのあげく恋仲になって舞い上がってしまい、せっかく情報部までたどり着いたのに、マイケル・レッドグレーヴはずっと忘れずに口ずさんでいたメロディーがいざというときにすっかりとんでしまい、口に出てくるのは『結婚行進曲』のメロディーばかりという爆笑ギャグもある。笑いとスリルが表裏一体になって、このうえなく痛快な冒険活劇を楽しめる。
イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。