映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、その時期に合わせた映画を「2本立て」(日本映画、外国映画)で紹介していただくコーナーです。4月にふさわしく旅立ちをテーマにした映画を紹介していただきます。山田さんとも縁が深かったフランソワ・トリュフォー監督の長篇デビュー作『大人は判ってくれない』と、羽仁進監督の『不良少年』の2本です。ともに厳しい現実に立ち向かう不良少年たちの旅立ちの物語です。

紹介作品

大人は判ってくれない

製作年度:1959年/上映時間:99分/監督:フランソワ・トリュフォー/脚本:フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー/撮影:アンリ・ドカ/音楽:ジャン・コンスタンタン/出演:ジャン=ピエール・レオー、パトリック・オーフェー、アルベール・レミー、クレール・モーリエ、ギー・ドコンブル、ジョルジュ・フラマン


不良少年

製作年度:1961年/上映時間:89分/監督・脚本:羽仁進/撮影:金宇満司/音楽:武満徹/出演:山田幸男、吉武広和、山崎耕一郎、黒川靖男、伊藤正幸、瀬川克弘、佐藤章、中野一夫、和田知恵子

成人式、入社式、あるいは入学式、新学期……と新しい年度のはじまりにことよせて、唐突のようだが不良少年映画の名作として知られるフランス映画『大人は判ってくれない』(フランソワ・トリュフォー監督、1959年)と日本映画『不良少年』(羽仁進監督、1961年)という2本立てを考えた。少年たちの非行ぶりをいわば人生のイニシエーション(通過儀式)とみなして社会への旅立ちを描いた特異な青春映画だ。家庭や学校になじめず、犯罪(窃盗や強盗)を重ねて少年鑑別所のような更生施設に送られるが、ラストはそこから出て……という非行少年の旅立ち、人生の門出の物語、といっても起承転結の整った従来の「よくできた」話法をくつがえして(ありていに、それまでの映画の文法を無視して、と言ってもいいが)映画史の流れをあざやかに変革し、作り物ではなく、事実にもとづく、あるいは実話をなまなましく再現して真実に迫るリアルな新しい映画の誕生であった。

『大人は判ってくれない』はささやかながら「フランソワ・トリュフォー映画祭」などで上映されたり、わりと最近テレビ(NHK-BS)でも放映され、KADOKAWAからDVDおよびブルーレイでも発売されているのだが(いずれも私自身の日本語字幕版で)、『不良少年』のほうは、まさか(などと言っては失礼ながら)、編集部に調べてもらったところ、「心に残る珠玉の名作を発掘・探究(DIG)し、現存する最良の素材を使い、DVDで復刻」というDIGレーベルで株式会社ディメンション(DIMENSION)より発売、ローランズ・フィルムより販売されていたとは、じつにうれしいおどろきだった。

親に愛されなかった少年の覚悟と孤独な旅立ち

『大人は判ってくれない』の少年は、教室でいたずらをして担任の先生ににらまれて立たされ坊主になったり、読んだばかりのバルザックの小説の一節を作文に盗作して0点をつけられたあげく嘘つきよばわりされたりして先生にたてつき、教室から追い出されてしまったのをさいわい、同級の仲よしの悪たれ小僧と組んで学校をサボって遊園地で遊び回ったりするが、街角で母親が見知らぬ男と抱き合ってキスしているのを目撃してしまったりする。いい子ぶっている同級生の告げ口で不登校が両親にもバレてしまうが、母親は不倫の現場を子供に見られてしまったので黙殺し、うやむやに事が済むかと思ったら、翌日、いやいやながらも学校に行くと、たちまち担任の先生につかまって欠席の理由を問われて「じつは母が…」と言いかけて何かこじつけてうまい逃げ言葉を考えながら口ごもると、「母がどうしたというんだ」とつっこまれ、思わず口をついて出たのが「死にました」。これには担任の先生もおどろき、「すまなかった」と急にやさしくなるのだが、そのすぐあと、この嘘がバレてしまうのだ。母親が——父親といっしょに——教室に現われ、大変なことになる。母親は「よりによって、わたしを殺すなんて」と少年の嘘をゆるさず、父親は「学校のあと、家で話し合おう」と怒り、少年に強烈なびんたを食らわす。「もう家には帰れない」と少年は悪童の親友にもらす。

イラスト/池田英樹

もうクリスマスも近いパリの寒い夜の街を少年は孤独にさまよう。その間に特別友情出演のジャンヌ・モローが「わたしの小犬をさがして」とあわてて出てくる。少年はいっしょになって小犬をさがす。そこへ、これも特別友情出演のジャン=クロード・ブリアリが現われ、「子供はよせ」と少年を追っ払い、口笛を吹いて小犬をさがすふりをしてジャンヌ・モローにぴったりくっついて夜の闇のなかに消えていくというギャグのようなワンシーンがある。

少年が父親の勤める会社の事務所に忍び込んで、タイプライターを盗み出し、闇で売って金を稼ごうとして失敗したことから、少年は警察に——父親に首根っこをつかまれて——突き出され、調書を取られ、深夜すぎに「お迎えの馬車」(とジャン・ルノワール監督の1952年の名作『黄金の馬車』にひっかけて憲兵の役で特別友情出演しているジャック・ドゥミ監督が言う)、囚人護送車で夜の女たちといっしょにパリ警視庁の留置場に送られる。もう二度と見ることがないだろうパリの——生まれ育ったピガール界隈の——ネオンまたたく夜景を護送車からながめる少年の眼に涙が光る、涙なくしては見られない印象的なシーンである。いろいろな検査があり、写真も撮られ、少年は犯罪者としてパリ郊外の少年鑑別所に収容される。

少年鑑別所では、囚人の少年たちが運動場で自由に遊ぶシーンに看守たちが小さな娘たちを檻に閉じ込めるのが異様な光景で記憶に残る。兇暴な犯罪少年たちが危険なので保護するためなのだろう。実際に少年鑑別所に収容された体験のあるフランソワ・トリュフォー監督ならではの忘れがたい思い出の光景だったにちがいない。刑務所と同じような大食堂の光景も鮮烈だ。少年は一斉に「食べてよし」との教官の号令の前にパンの切れ端をつまんでしまったために、食堂の片隅に立たされ、父親のびんた以上に強烈な痛みを感じさせる一発を食らう。監督の自伝的な映画であることもあって、すべてが少年の眼から見た恐ろしい大人たちのリアルで、なまなましく描かれた記憶のイメージなのだろう。女医による精神面の診断のシーンでは、少年が生まれながらにして「捨て子」であった出生の秘密を告白させられる。母が未婚で妊娠し、胎内にあった自分はあやうく堕ろされるところを祖母のおかげで生まれたこと、そのため、里子に出されて祖父母に育てられ、祖父母の死後、母はやむを得ず自分を連れ子にして継父と結婚したこと。「ぼくは望まれて生まれた子ではなかったんです」。

親族の会見日に母が鑑別所にやってくる。悪童の親友もやって来たが親族ではないというので会うことができず(ここも遠くから合図を送り合うだけで別れるという心が痛むシーンだ)、いやいやながらも義務的な母と子の久しぶりの、そして最後の会見となる。「自活したいんだろ、好きなようにするといい。パパもお前の将来にはまったく関心がないと言ってるよ。近所の口がうるさいから、わたしたちはもうおまえを引き取れないからね」と母親は冷たく厳しく言う。ここまで残酷に突き放されて、少年の顔に絶望の表情が浮かばないわけがない。いや、それは絶望以上の荒涼たる寂しさと痛切なる孤独感と言ったらいいか。

ひとりぼっちになった少年は、少年鑑別所のような更生施設にもなじめず、囚われの少年たちがサッカーに興じているさなか、すきを見て脱走する。そして走りに走る。少年は海を見たことがなかった。走って走って、少年は海にたどり着く。英仏海峡に面した北方ノルマンディーの港町オンフルールの海岸である。少年は砂浜を海に向かって走る。波の音が静かにやさしく聞こえてくる——あたかも自殺への甘美ないざないのように? だが少年は何歩か波打ち際の砂を踏み歩いただけで、海に背を向けてくるりとふりかえる。その瞬間に、画面はストップモーションになり、その停止した画面にキャメラはすばやく寄っていく。笑いもしない、泣きもしない、何も語らない、ただ途方に暮れながらも、何かを覚悟しなければならない暗い思いに打ちひしがれた少年の顔が印象に残る。FIN(終)の文字がそこにかぶさって、やりきれない深い感動に圧倒される。

新しい門出をむかえた少年が背負うもの

「俺は銀座を歩いたことがない。護送車の中から見ただけだ」と少年のふてくされた(という以上に、いさぎよく、悪びれず、そんなことはどうでもいいやといった調子の毅然とした)声から映画『不良少年』ははじまる。皇居前から日比谷、銀座の通りを走る護送車の遠景。

『大人は判ってくれない』のパリの不良少年よりも、『不良少年』の東京のチンピラはずっと攻撃的で乱暴だ。不良の度合い、反抗的な少年の非行ぶりが、よりストレートで荒っぽく反社会的で(意図的ではないにしても、反社会的なのが青春の特権だとでもいわんばかりだ)、手がつけられない不良少年である。その不敵な面構えもいい。

イラスト/池田英樹

いまではテレビでもかなりストレートにどぎつい描写がごく一般的、日常的になっているので(防犯カメラや個人的なスマホによる目撃映像などもふくめて)、『不良少年』の「記録的手法」(と羽仁進監督は映画の冒頭の字幕で強調する)が公開当時に見たときほどの鮮烈さは薄れているとしても、少年が不良仲間にいきなりナイフを抜いてみせて、その刃を素手でにぎり、そのまま引き抜き、血だらけのてのひらで顔を塗りたくって盛り場をよたつくところなどまったく兇暴かつ衝動的な迫真力でおどろかされる。とても演技とは思えない。実際、本物の不良だった少年が演じているからなのだろうが、それもすべて「即興的に行われるように配慮した」演技だったと羽仁進監督が語るように、「何カットか本人が知らないで撮られたところがある」ということもあるからなのだろう。俳優の計算された演技をしのぐすさまじさだ。電車のなかで若い娘の長い髪の毛にマッチで火をつけるとか、いたずらにしても度が過ぎる非行もある。

『大人は判ってくれない』のように監督本人の自伝的な映画ではなく、特別少年院に収容されている非行少年たちの手記をまとめたノン・フィクションの原作(久里浜少年院編纂「とべない翼」)にもとづいて記録映画作家・羽仁進がまったく映画に出たことなどない不良少年たちを使って撮った劇映画だった。ドラマ仕立ての演出されたシーンなど学芸会みたいに稚拙に思えることがあるくらいである。

気取ったお上品な店構えやショーウィンドーも店員も気に食わないと高級宝石店を襲って現金強盗をやらかして逮捕された少年は少年鑑別所で審判を受け、海辺の特別少年院(むしろ、ずばり犯罪少年向きの刑務所と言っていいような施設である)に送られる。反抗的な新入りの少年はすでに収監されていた古参の不良連中から「可愛がってやる」とリンチに近いしごきを受ける。これが壁に向かって走らされ、額をぶっつけてぶっ倒れるまでの凄惨と言うしかないしごきである。反抗的な少年はもちろん仕返しをする。

しかし、別のグループとはうまくいって気の合う話し相手もできる。映画は不良少年たちの群像劇というほどではないにしても、さまざまな不良の生態をキャメラがあれもおもしろいぞ、これもおもしろいぞといったぐあいにほとんどアトランダムにとらえてみせるので、話が散漫になりがちで、『大人は判ってくれない』のように主人公の少年をひたすら追いづけるわけでなく、ときどき見る側の集中力がはぐらかされるような感じだ。どれもエピソードとしては興味深く、少年と意気投合した作業場の先輩が独房のような個室で布団の破れ目からはみ出た真綿に木工班の作業場からかき集めてきた薄い木片やらおがくずなどをまぶしてかきまぜてパイプ状にして紙巻きタバコの吸い口をこしらえ、大事にあちこちから拾ってきた吸い殻を差し込み、マッチがないので原始的にしつこく摩擦して発火させ、紙片を燃やしてタバコに火をつけ、ゆっくりとおいしそうに喫煙をするまでの必死の精緻な作業をえんえんと撮りつづけるシーンなど、まさにドキュメンタルな「記録的手法」のきわみと言いたいくらいの印象的な瞬間だ。

1年間の刑期を終え、少年は320円の給金(それがクリーニング班やら木工班やらの作業場で働いた報酬である)をもらって出所することになる。宿舎の石段をおりて出口に向かう前に、少年はふりかえり、お辞儀をし、きっぱりと「ありがとうございました」と大きな声で別れの挨拶をする。自分の人生を見つめるようになった1年間への思いをこめたお礼の言葉なのだろう。その意味での人生のはじまりのドラマをしめくくる忘れがたいラストシーンだ。いや、これが終わりではない。

鉄格子が開けられ、少年は外に出て行く。その後ろ姿をキャメラは鉄格子越しにとらえて映画は終わる。ふたたび閉じられた鉄格子の向こうは、もうひとつの檻のように見える。社会復帰、新しい人生の門出なのだろうか。エンドマークもフランス映画『大人は判ってくれない』よりもずっと突っ放した感じで、まるでもうひとつの鉄格子を背負ったかのような少年の後ろ姿に「終」の文字がかさぶるのである。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

この企画へのご意見、ご感想をお寄せください。

ご意見・ご感想はこちら

バックナンバー

映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”TOPへ戻る