映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、その時期に合わせた映画を「2本立て」(日本映画、外国映画)で紹介していただきます。その組み合わせの妙もお楽しみください。今回は外国映画に『天井桟敷の人々』、日本映画に『女と三悪人』を取り上げます。いわば原典と翻案とでもいうべき両作品を比較対照していきます。
紹介作品
天井桟敷の人々
製作年度:1945年/上映時間:190分/監督:マルセル・カルネ/キャスト:アルレッティ、ジャン=ルイ・バロー、マリア・カザレス、ピエール・ブラッスール、ルイ・サルー、マルセル・エラン、ピエール・ルノワール
商品情報
『天井桟敷の人々』
Blu-ray:6,380円/DVD:5,280円(税込)/発売元:アイ・ヴィー・シー
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※2022年4月時点の情報です
女と三悪人
製作年度:1962年/上映時間:103分/監督:井上梅次/キャスト:山本富士子、勝新太郎、大木実、市川雷蔵、中村玉緒
商品情報
『女と三悪人』
DVD:3,080円(税込)/発売・販売元:KADOKAWA
※2022年4月時点の情報です
『天井桟敷の人々』(1945)のような映画史上の名作中の名作を、それも2部構成で、それだけでも2本分はある3時間を越える超大作を、紙上とはいえ、どうやって、どんな作品と組み合わせて「2本立て」にしてたのしむべきか考えあぐねていたのだが、ふと思い出したのが『女と三悪人』(1962)だ。『天井桟敷の人々』を明らかに、あからさまにヒントにして(ずばりイタダキと言ってもいいくらいに)つくられた、といっても、ちゃちで安易な模倣とも言えない、なかなかの力作で、けっこうたのしく忘れがたい日本映画(それもかなり絢爛豪華な時代劇に翻案したもの)で、編集部の方に調べてもらったら、なんと、DVD化されているとのことだったので、本物と贋作とまでは言わずとも原典と翻案の違いなどを比較対照して、ああだ、こうだとケチをつけたりするのも野暮ながら紙上なればこそ一興かと思い、今回の「2本立て」はフランス映画の『天井桟敷の人々』と日本の時代劇『女と三悪人』である。
フランス映画の通念を吹き飛ばす「恋愛活劇」
舞台のように幕が上がり、根なし草のようにその日その日を生きるひとりの自由な女をめぐる4人の男の運命がきらびやかに人生と舞台で交互に対照的にくりひろげられる青春流転の第1部「犯罪大通り」。そして、愛欲、嫉妬、野心、利害、かけひき等々のからみ合う恋愛絵巻が、女の名をむなしく叫びつづける哀しきピエロとともに、犯罪大通りを埋めつくすカーニバルの群衆の渦に呑み込まれて、波瀾万丈のロマンチックな人生劇場の幕が下りて閉じる第2部「白い男」。
『天井桟敷の人々』は恋愛絵巻というより恋愛活劇とでも言いたいくらいのダイナミックなアクションの興奮を感じさせる展開で、フランス映画はアメリカ映画にくらべれば小粒でこじんまりとしているなどという通念を吹き飛ばしてしまうようなスケールの大きさと迫力があった。
すばらしい名せりふの数々にも感動、映画も何度見たかわからない。詩人で殺し屋のピエール=フランソワ・ラスネール(マルセル・エランが演じた)のなんともカッコいいせりふなどすべて暗記してしまったほどだ。
「誰も愛さない・・・絶対の孤独。誰からも愛されない・・・絶対の自由」「哲学者は死を想い、美しい女は恋を想う」「女は誰のものでもない以上、嫉妬はすべて男のものだ」「俺には虚栄心などない。あるのは自尊心だけだ」「必要に応じては盗みも、欲望に応じては殺しも辞さぬ、俺の行く道はひとすじ、やがては断頭台で飛ぶ首をまっすぐ立てて闊歩するのだ」等々。
ピエール=フランソワ・ラスネールは実在の人物で、獄中で書いた手記がずっとのちになって(2014年)、「ラスネール回想録 十九世紀フランス詩人=犯罪者の手記」(小倉孝誠・梅澤礼訳)として邦訳、出版された。
映画では、架空の人物である富豪の伯爵ド・モントレー(ルイ・サルーが演じた)も、ヒロインのガランス(アルレッティ)を口説くときにはこんな名文句を吐く。「あなた美しすぎて誰も本当は愛しきれませぬ。美は例外なのです」。シェイクスピア役者のフレデリック・ルメートル(ピエール・ブラッスールが演じた)も、パントマイム役者のバチスト(ジャン=ルイ・バローが演じた)も、男という男を知りつくしたヒロイン、ガランスに最高の讃辞を捧げる。
シャンソンの名曲「枯葉」などの作詞者としても知られる詩人のジャック・プレヴェールの脚本の名せりふにもとづく、秘田余四郎という戦前からのフランス映画の字幕の名翻訳家による見事な名せりふの数々が私の脳裏に焼き付いていた。中学2年生か3年生のときに初めて『天井桟敷の人々』を見てからかれこれ30年後の1982年に、リバイバル公開されたこの映画の新しい字幕の翻訳を依頼された私は、時とともに膨らんだ感動をこめて名訳の名せりふの数々をなるべく生かしたスーパー字幕を敬愛する「字幕スーパー」マン・秘田余四郎氏に心から捧げたのである。
「犯罪大通り」をヒントに生まれた「泥棒横丁」
『女と三悪人』は、何よりもまず、単純ながら、19世紀のパリの犯罪大通りと名づけられた歓楽街に対して幕末の江戸の盛り場、両国界隈に人呼んで「泥棒横丁」を設定するという脚本・監督の井上梅次のアイデアがたのしく心にくい(「フランス映画『天井桟敷の人々』を見て感動したのがこのシナリオを書く動機だった」と井上梅次は明言している)。
2万平方メートルにおよぶ長々とつづく泥棒横丁の大オープンセットをつくり、豪商の米問屋(三島雅夫)に金で買われた身ながら心は売らぬという芝居小屋の女座長を山本富士子が演じる。雑踏のなかでスリと間違われ、目明しに追われて芝居小屋に逃げ込んできた役者くずれの流れ者に市川雷蔵(折しも芝居小屋では「弁天小僧」の一幕の上演中で、主役が突然いなくなったその穴埋めを役者くずれの流れ者の雷蔵が追っ手の目をごまかすために見事にこなしてみせるという即興的な見せ場もある)、立派な剣の腕を持ちながら女座長を「師匠」と呼んで用心棒になり、一座のお囃子で笛吹きをつとめるというひねくれ者の素浪人に大木実、盛り場で大道芸人たちの元締としてにらみをきかせ、裏ではニセ金づくりの生臭坊主に勝新太郎という男たちの役柄も『天井桟敷の人々』をヒントにうまく設定している。
ただひとつ残念なことは米の買い占めで暴利をむさぼる真の悪人たるべき豪商役の三島雅夫がくさい演技だけでまったく存在感がなく、そのせいか、雷蔵、勝新、大木実の心意気の3人ばかりがきわだって題名どおりの「女と三悪人」が出来上がってしまったのだろう。
雷鳴が轟き、大粒の雨が降りはじめ、川べりを歩く雷蔵と山本富士子が橋の下に雨宿りしながら結ばれるあたりのセットのすばらしさや夜景の美しさなど、忘れがたい情緒あふれるシーンもあるのだが・・・。もっとも、こうした濡れ場は雷蔵だけに限られて、当時の「雷様(らいさま)」の人気のほどがうかがえよう。
イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。