映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。ここしばらく、高峰秀子の主演映画を取り上げてきましたが、そのフィナーレとして加山雄三と共演した名作『乱れる』の見どころに迫ります。そして先ごろ亡くなったアラン・ドロンの、隠れた感動作『高校教師』を取り上げ、このフランスの大スターを追悼します。共に禁断の恋と悲劇的な結末が印象的な2本立てとなりました。
紹介作品
乱れる
製作年度:1964年/上映時間:98分/監督:成瀬巳喜男/脚本:松山善三/撮影:安本淳/音楽:斎藤一郎/出演:高峰秀子、加山雄三、三益愛子、草笛光子、白川由美、柳家寛、中北千枝子、十朱久雄、北村和夫、藤木悠、浜美枝、浦辺粂子ほか
高校教師
製作年度:1972年/上映時間:127分/監督:ヴァレリオ・ズルリーニ/脚本:ヴァレリオ・ズルリーニ、エンリコ・メディオーリ/音楽:マリオ・ナシンベーネ/撮影:ダリオ・ディ・パルマ/出演:アラン・ドロン、ソニア・ペトローヴァ、レア・マッサリ、ジャンカルロ・ジャンニーニ、レナート・サルヴァトーリ、アリダ・ヴァリ、アダルベルト・マリア・メルリ、サルボ・ランドネ、ニコレッタ・リッツィほか
今月の「2本立て」は邦画『乱れる』(成瀬巳喜男監督、1964年)と洋画(イタリア映画)『高校教師』(ヴァレリオ・ズルリーニ監督、1972年)。名作と異色作の組み合わせである。ともに秘めたる暗い激情を描く愛の映画だが、胸を打つ見ごたえのある忘れがたい作品だ。
高峰秀子と加山雄三の見事な演技が光る名作
『乱れる』は長いキャリアを誇る(50年ものスター人生、300本を超える作品を生んだ)映画女優、高峰秀子の生誕100年記念をきっかけに私なりにほんのわずかながら何本か好きな作品を思い出して取り上げてきた最後の1本になるのだが、それ以上に、じつは相手役の男優、加山雄三の現役引退騒動(と言ってもいいくらい話題になった)で思い出した名作だ。
「高峰秀子は不幸な女を演じる時にこそ、その真価を発揮している」と斎藤明美も書いているように(「映画女優 高峰秀子」、「キネマ旬報」2004年10月下旬号)、『乱れる』の高峰秀子が演じるヒロインも生まれながらに不幸な運命に魅入られた女のようだ。高峰秀子も「人間を陰と陽に分けたら、私は明らかに陰の人間」と女優としての自分を認識していたとのこと。不幸な女を演じるのはお手のものということだったのだろう。
高峰秀子と結婚した松山善三の脚本によるテレビドラマ『しぐれ』(1963年)の映画化で(といっても、私は見ていないのだが)、酒家の未亡人(高峰秀子)とその義理の弟(加山雄三)の悲恋物語。後半のとくにすばらしい温泉場への道行の部分が映画のために書き下ろされ、付け加えられたとのことである。
イラスト/池田英樹
俳優としての加山雄三は岡本喜八監督の『独立愚連隊西へ』(1960年)、『暗黒街の弾痕』(1961年)、『顔役暁に死す』(1961年)、『戦国野郎』(1963年)といった男性アクション映画でもすばらしかったが、とくにスポーツ万能で歌もうまい大学生に扮した明朗青春ドラマ『若大将』シリーズで大ヒットを飛ばして、キネマ旬報「日本映画人名事典」の評価は「その時期の彼の魅力は、端的に言ってそのおおらかさにあった」だけで、「演技的には広がりも深みもなく、ただその最大の武器である若さとスポーツで鍛えた伸び伸びとした肉体と物に動じない真っ直ぐな気質とを、いわば日常の自分自身を、そのままスクリーンに置いているという感じで存在していた」とかなり手厳しい。しかし、「この屈託のない時代に印象に残る作品は1964年1月公開の成瀬巳喜男監督『乱れる』である」とさすがに『乱れる』の加山雄三の見事な存在感と演技力には注目している——「未亡人となった嫂(あによめ)、高峰秀子をひそかに愛する弟という役柄で、言葉に出し得ない想いを胸に抱いた若者のやるせなさと、しかしその想いは確実に相手に伝わっているという安堵と、言葉を換えていえば、〝若者の甘い苦悩〟といった感情を彼は巧まずして演じてみせた。家を出た嫂(あによめ)を追って、汽車に乗る。そのことに気づいた彼女と目が合った瞬間の表情は秀逸だった」。
この道行の汽車のシーンは言葉なきロマンスとも言うべき名場面で、平野哲也編・著「成瀬巳喜男を観る」(ワイズ出版)にも「『若大将』シリーズなどで人気絶頂だった加山雄三が成瀬巳喜男の演出を得て、義姉への秘めたる恋心を見事に演じ、演技開眼。受け止める高峰秀子の「大人の女」の演技も絶品。夜汽車に乗った二人の席が時間の経過につれて次第に近づき、最後には隣に座る空間移動と目線の演出、絶妙なモンタージュの妙は成瀬演出の真骨頂といえる」と書かれている。
不倫のメロドラマに堕する寸前の映画の唐突な悲劇的結末についてはあえて語らないことにしよう。
無精ひげでだらしないドロンの熱演が感動的
前回のフランス女優・アヌーク・エーメの遅ればせの追悼のように、フランス男優、アラン・ドロンの遅ればせの追悼をあえてつづけることにしたのは、『高校教師』というアラン・ドロン主演の知られざる1本の映画がデジタル・リマスターのDVDで発売されていたことを知って、あらためて見たいと思ったからである。
さっそうとしてりりしい孤独な美貌の一匹狼のイメージが鮮烈なアラン・ドロンには似ても似つかぬ(と言いたいくらいの)見るからにむさくるしい冴えない無精ひげのアラン・ドロンが登場する異色のアラン・ドロン映画だ。ミスキャストというわけではないのだが、芸域を拡げようと試みたアラン・ドロンの意欲的な挑戦だったのだろう。夏は海水浴の客で賑わうオフ・シーズンのわびしいリゾート地(北イタリアのアドリア海沿いの小さな町である)リミニの高校に臨時教師として赴任してきたダニエレ・ドミニチという詩人(というのもアラン・ドロンには似つかわしくない役ながら、自由気ままに面白く演じている)のドラマチックな、あるいはむしろメロドラマのように波瀾万丈の恋物語である。父親は国民的栄誉賞のような黄金勲章を授与された戦争の英雄、ドミニチ大佐で、教育もあり、才能もあり、若くして「安らぎの初夜」という詩集も出版して何不自由ない生活を送ってきたのだが、どこかで名門の環境からドロップアウトして絶望の日々をすごす高校教師というのがアラン・ドロンの意欲的だが似つかわしくない役なのである。知られざる詩人の伝記映画のような展開である。映画のイタリア語の原題も詩集と同じ『安らぎの初夜』(La Prima Notte di Quiete)で、『高校教師』はフランス語のタイトル(Le Proffesseur)の日本語訳である。イタリアとフランスの合作で、フランス側の製作会社がアラン・ドロンのプロダクション(アデル・プロ)であった。1973年に公開されたのはイタリア語版だったのだろうか、フランス語版だったのだろうか? というのも、フランス語版では当然ながらアラン・ドロンの声はアラン・ドロン自身の声だったろうけれども、イタリア語版ではイタリア人の声優によって吹き替えられていたにちがいないと思われるのだ。調べてみたら、それ以上にもっと大きな問題も見えてきた。イタリア語版の上映時間が132分(2時間12分)なのに、フランス語版は105分(1時間45分)と記録されていて、フランス語版のほうが27分も短いのである。
編集に関してアラン・ドロンと監督のヴァレリオ・ズルリーニの対立があったとのことだから、このカットされた27分は映画そのものの出来にかかわることでもあるのだが、私は映画の公開時、どっちの版を見たのだろうか。今回のDVD版は127分で、回転速度などにあまりこだわらなければオリジナルのイタリア語版とほぼ同じものとみなしてもいいと思う。いずれにせよ、私は、『激しい季節』(1960年)や『鞄を持った女』(1961年)や『家族日誌』(1962年)や『国境は燃えている』(1965年)などの名匠であるヴァレリオ・ズルリーニの編集したディレクターズ・カットとしてDVD版をまったく初めて見る作品のように見て感動した。
イラスト/池田英樹
くわえタバコの傍若無人の高校教師は教室でも平然とタバコをすいつづけ、生徒たちにも勉強したければそれもよし、タバコをすいたければそれもよしとまったくの自由放任主義だ。19歳の高校3年の教室にはひときわ目立つ大人っぽい(というか、成熟した)黒髪の美少女(ソニア・ペトローヴァ)がいて、その虚無的だが鋭い挑発的な美しい瞳に詩人の臨時教師はたちまち魅せられてしまう。彼には腐れ縁の妻(レア・マッサリ)がいるのだが、ヴァニナという名のその美しい女子生徒にスタンダールの小説『ヴァニナ・ヴァニーニ』を贈り、ドライブに誘い、夜の車のなかで(美しい夜景がすばらしく印象的だ)、「スタンダールの小説は口実だった」と告白し、純粋で熱烈な恋心を打ち明ける。「きみと遊びたくて追い求めたんじゃない。きみの心の痛みや救いようのない悲しみを見てられなくて」と饒舌にくどく。「何も知らないくせに」と言う彼女に「だからこそ知りたいんだ」と迫る。
「知りたい」事実が暴露されるが、それはむしろ知りたくなかったような恐ろしい事実である。彼女は15歳のときから「いろいろあった」娼婦のような魔性の女だったのである! 破滅的な激しい恋のゆくえはハッピーエンドになりようもない。若き日のロマンチックな詩集「安らぎの初夜」が実は(すでに、と言うべきか)15歳で自殺した従姉リビアにダニエレが捧げた愛の詩集だったことが明らかになる。ヴァニナのために家を出て行こうとするダニエレに妻のモニカはずばりこう言うのだ——「あなたは人を愛せない。リビアがいい例よ。取るに足らない、どうしようもない小娘を理想の女だとひとりよがりで思い込んで苦しみながら心酔して陳腐な詩を捧げて…」。
アラン・ドロンらしからぬ饒舌な文学的・芸術的引文も多く、激しいセックス・シーンも悲惨な三角関係の修羅場もあるのだが、こんなに狂おしく、しかもとことんだらしないアラン・ドロンの感動的な熱演ぶりが見ものである。
イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。