映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、その時期に合わせた映画を「2本立て」(日本映画、外国映画)で紹介していただきます。その組み合わせの妙もお楽しみください。日本映画に『お嬢さん乾杯』、外国映画に『春の珍事』を取り上げます。どちらも同じ1949年製作で、春に観るのにぴったりの作品です。
紹介作品
お嬢さん乾杯
製作年度:1949年/上映時間:90分/監督:木下恵介/キャスト:原節子、佐野周二、佐田啓二、青山杉作、村瀬幸子
商品情報
『お嬢さん乾杯』
DVD:3,080円(税込)/発売・販売元:松竹
©1949松竹株式会社
※2022年3月時点の情報です
春の珍事
製作年度:1949年/上映時間:87分/監督:ロイド・ベーコン/キャスト:レイ・ミランド、ジーン・ピータース、ポール・ダグラス、エド・ベグリー、テッド・デ・コーシア
商品情報
『春の珍事』
DVD:5,040円(税込)/発売元:ジュネス企画
※2022年3月時点の情報です
剛の黒沢明に対して、柔の木下恵介といわれた。第2次大戦さなかの1943年、かたや東宝の新鋭監督としてダイナミックなタッチの柔道映画『姿三四郎』で、かたや松竹の新鋭監督としてソフトなタッチの調刺喜劇『花咲く港』で、その巧妙な語り口、才気あふれる清新な演出が瞠目され、それぞれライバル会社の東宝と松竹を代表する好敵手として戦後の日本映画の全盛期に君臨することになる。ときに柔能く剛を制すとばかりに、木下恵介に軍配が上がったものである。
1949年の『お嬢さんに乾杯』はまるでミュージカル・コメディーのように、明るく覚えやすいメロディーとともに始まる。歌詞も楽しく、♪きのう街で会った 可愛い娘さんは 夢に咲いた花 赤いバラの花・・・とつい口ずさんでしまうほどだ。もしかしたら「夢に咲いた花」は「胸に咲いた花」と歌っているのかもしれないが、私はずっと今もなお「夢に咲いた花」と記憶している。なにしろ、お嬢さん役は明眸・原節子。街のどこかそのへんで簡単に会えるような「可愛い娘さん」どころか、夢のような美女なのである。
物語は終戦直後の現実を反映してけっこうきびしく辛辣で(シナリオは貧しくみじめな世相をリアルに描きつづけた新藤兼人のオリジナル)、巨額の借金を背負った没落華族の深窓の令嬢(原節子)と戦後のどさくさにまぎれて持ち前の行動力と生活力を発揮して自動車修理工場の経営に成功した田舎出の成金青年(演じるのは関口宏のお父さんになる若き日の佐野周二で、何をやっても嫌みなく明るくはつらつとして好感度100パーセントの名優だ)がたまたまお見合いをすることになって、育ちも趣味もまるで違う二人が、何だかんだとすったもんだのあげく、なんとか、めでたく結婚に向かう軽妙な喜劇。
身分の違う「天上の美女」との恋の行く末は?
悩み多い年頃の弟(演じるのはこれまた好感度100パーセントの若手俳優、佐田啓二)を親代わりに育てて自分の結婚など考えたこともない、もう31歳になる独身青年にお見合いの話がもちこまれる。興味はないというのに、とにかく会うだけ会ってくれとたのまれて、近くの行きつけのバーに来てくれるならと平服のまま長靴をはいて(まだ冬の寒い雨の日だったので)、でもやっぱりどんな女性がくるのかちょっとそわそわするものの、その気などないし、当然ことわるつもりで会ってみたら、思わず長靴などをはいてきた足を恥ずかしくて引っ込めたくなるくらいの、麗しくしとやかな美女である。「もう雷に撃たれたように力という力が抜けちまったよ、逆立ちしたってかなう相手じゃねえや」とひと目ぼれの衝撃を弟の佐田啓二にまで告白して嘆息するばかりである。「そんなに美人だったのか」と弟があきれると、「美人なんてもんじゃねえよ。言葉では言えない。まるで天上の美女だ」。
そんな天女のような相手から、なんと結婚を前提に交際してもいいという返事が来て、あわれ、佐野周二は舞い上がってしまう。立派な洋風のお屋敷におうかがいして華麗なる一族ともご対面。しかし、屋敷はすでに借金の抵当に入っていて、いつ何時追い出されるかもわからないとのこと。屋敷にあったピアノなどはすでにない。そこでお嬢さんの誕生パーティにはピアノを贈呈する。お嬢さんはショパンのピアノ協奏曲を弾くが、田舎者の彼がお返しに歌えるお祝いの歌は生まれ故郷の民謡、土佐の高知のよさこい節である。それも恥ずかしくて、すっかり照れて、後ろ向きになって歌おうとしたりする。しらけたりせずに、ただひたすらに率直にお嬢さんに惚れ込んでしまうナイーブな31歳の青年がいじらしく、感動的ですらある。みじめで滑稽な道化には見えない。たとえ金目当ての政略結婚とわかっても、身分が違うのだから仕方がない。もしお嬢さんにまごころがあるなら、お金など問題ではない。そんな誠実さにお嬢さんも心打たれて、魅かれていく。
しかし、結局は、金よりも何よりも、身分の差、階級差を乗り越えることはできないと悟った佐野周二は絶望して、絶望しながらも心からお嬢さんに乾杯することを忘れずに(話し相手になるバーのマダムを演じる村瀬幸子が印象的だ)、負け犬のように故郷へ去って行く決心をする。
最後は原節子の感動的な名せりふ「ホレております」でいっきょに大団円になるのだが(それも海千山千のバーのマダムのひとこと「男は心意気だよ」にほだされて生まれる名せりふだ)、一瞬、戦前の松竹の空前のヒット作『愛染かつら』(野村浩将監督、1938)の主題歌、あの♪花も嵐も 踏み越えて・・・の一節のメロディーが前途多難の人生を予告するかのように洒落っ気たっぷりに高鳴り、もう街は春がそこまで来ているといったハッピーなラストシーンである。
秘薬で魔球!? アメリカ映画ならではの素晴らしいバカバカしさ
笑う門には春来る、とでも言いたくなるような、愉快、痛快、ときには抱腹絶倒の珍妙なるアメリカン・コメディーだ。原題は『It Happens Every Spring(それは春になると毎年起こる)』。同じ文句の主題歌で映画は始まり、寒い冬もすぎて、温暖な春がやってくると、世の中も活気づいて、野外スポーツのシーズンのはじまりだ、というわけで、アメリカの田舎大学の野球狂のしがない化学の教師(レイ・ミランド)の教室も実験室も大賑わいである。その実験室の窓を破って、校庭で野球に興じていた生徒たちの打ったボールがとびこんできて、試験管やら何やらをぶち壊し、実験の成果を一瞬にして台無しにしてしまう。
ところが、これが玉に瑕ならぬ禍を転じて福となす珍妙な効果を生みだしたのである。かの有名な理論物理学者、アインシュタインいわく、科学的実験の失敗は新しい哲学を生む、という嘘か本当かわからない引用が映画の冒頭に出てくるのも笑わせる。
長年の努力が無駄になった実験の果てに、流れ出た薬液にひたった野球のボールをつまみ出して捨てようとした教師は、この薬液びたしになったボールが奇怪千万、笑止千万、木材を絶対によけてしまうことを発見する。「よし、この薬液をつけたボールを投げれば、木製のバットをかならずよけてしまうので(もちろん金属バットなどなかった時代である)、どんな強打者でも空振りしてしまうだろう」とかねてから名投手になる夢を楽しんでいた教師の新しい哲学が生まれ、セントルイスのプロ野球チームに自ら売り込んで、投手として本当に入団してしまうのだ。そんなバカな? いや、それこそが、そんなあり得ないようなバカバカしさが可能なのがアメリカ映画の面白さであり底力だったのだと言いたいくらいだ。
球団のマネージャーのテッド・デ・コーシア、球団社長のエド・ベグリー、そして入団後のよき相棒になる名捕手のポール・ダグラス、みんな大まじめに愉快な傍役ぶりで笑わせる。
秘薬を使ってどんな打者も空振りさせてしまう魔球を駆使する新人投手の教師は、期待のエースとして低迷していていたチームをメジャーリーグの優勝にみちびき、ワールドシリーズには強敵のニューヨーク・ヤンキースと覇を競うことになる。ところが、その決戦の朝、貴重な秘薬がすっかりなくなっていたことに気がつく。薬液はヘア・トニックのびんに入れてスペアもあったはずなのだが、同僚の捕手やマネージャーまでが整髪剤と間違えて使ってしまったのだった。その間に、木の櫛で髪を整えようとすると髪の毛が一斉に逆立って抵抗するという抱腹絶倒のギャグが展開したりする。
大事な試合に肝腎の秘薬がもう一滴も残っていない。エースだから理由もなく降板するわけにはいかない。秘薬なしに登板した教師はついに・・・いや、すべては見てのお楽しみだ。奇跡のような珍事が・・・そう、それは起こるのだ、春になると。
イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。