映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、その時期に合わせた映画を「2本立て」(日本映画、外国映画)で紹介していただきます。その組み合わせの妙もお楽しみください。今回は外国映画に『8 1/2』、日本映画に『天国と地獄』を取り上げます。どちらも同じ1963年の作品です。
紹介作品
8 1/2
製作年度:1963年/上映時間:140分/監督:フェデリコ・フェリーニ/キャスト:マルチェロ・マストロヤンニ、アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレ、サンドラ・ミーロ
商品情報
『8 1/2(はっかにぶんのいち)』
Blu-ray:6,380円(税込)/発売元:WOWOWプラス/販売元:KADOKAWA
©MEDIASET S.p.A.
※2022年2月時点の情報です
天国と地獄
製作年度:1963年/上映時間:143分/監督:黒沢明/キャスト:三船敏郎、香川京子、仲代達矢、木村功、山崎努、三橋達也
商品情報
『天国と地獄 <東宝DVD名作セレクション>』
DVD:2,750円(税込)/発売・販売元:東宝
©TOHO CO., LTD.
※2022年2月時点の情報です
「シャネルNo.5」は香水、「第9」はベートーヴェンの交響曲、そして『8 1/2』はフェリーニの映画、とまでおしゃれっぽく、かつ芸術的に、人口に膾炙するまでになった。「世界のフェリーニ」に上りつめたイタリア映画の巨匠の9本目のモノクロ(白黒)作品で、第1作の『寄席の脚光』(1950)はアルベルト・ラットゥアーダとの共同監督だったので半分(1/2)と数えて『8 1/2』というタイトルになったとのこと。1963年の作品である。
映画は音もなく息苦しい白昼夢からはじまる。果てしない交通渋滞のさなかにガスもれの車に閉じこめられた主人公(マルチェロ・マストロヤンニ)が死に物狂いでやっと脱出して、空高く飛んでいく。かすかに風の音がする。凧の糸にひっかかった足の裾。はるか下方の浜辺を白衣の騎手が走ってきて、「早く降りろ!」と叫ぶ。凧の糸がほどけたかと思いきや、そのまま猛スピードでまっさかさまに墜落していく。悪夢にうなされるとは、まさにこんなイメージにちがいない。声なき声、叫びにならない叫びとともに、一瞬、身が縮む思いがする。
目が覚めると、そこは病室で、白衣の騎手は診察に来た主治医だったことがわかる。「鉱水を飲んで泥風呂に入って神経を安定させましょう」と主治医が言う。主人公はノイローゼ気味で鉱泉の湯治場で療養中なのだ。リヒャルト・ワーグナーの壮大な楽劇「ニーベルングの指輪」の序曲「ワルキューレ」騎行が勇ましく高まり、次から次へと人があふれ、映画の話やら女の話やら、果てしないおしゃべりがつづく。
映画的表現の極限を示した奇跡のような映画
主人公のグイドは42歳の映画監督で、フェデリコ・フェリーニ(当時42歳)の分身という以上にずばり彼自身であると言ってもいいだろう。『ある映画監督の告白』と副題を付けてもよかったろうと思われるくらい、芸術家としての、映画作家としての、人間としての、心情を吐露した作品なのである。世界的な巨匠とはいえ、いや、だからこそわがままな男のいい気な夢を奔放に描いた映画だ。妻、愛人、意のままにならない若い娘、すれちがっただけの女、その他すべての女たちが彼を取り巻いて鞭1本で動物のように言いなりになるという、ハーレムの夢。
映画監督なのだから、映画を撮らなければならないのだが、私生活のいざこざでくたびれ果て、プロデューサーと契約してしまって、すでに鉄パイプで組み立てた巨大なオープンセットが出来上がっているのに、どんな映画を撮ったらいいのか、アイデアも浮かばず、脚本家にはケチをつけられるし、製作発表の記者会見にも出たくなくて、腰が抜けたようにうずくまるのを製作部の男たちに両の腕をつかまれて無理矢理ひっぱられていくものの、席上で記者たちに「どんな映画を?」と質問されても答えられず、這いつくばって逃げ回って、ついに銃声一発・・・・・・ピストル自殺? もう何もかもめちゃくちゃになる。
プロデューサーはやむを得ず映画の中止を発表。地上高く鉄のパイプを組み上げた巨大なセットも取り壊されることが決まる。ただ、映画の夢だけが残る。少年時代の思い出がよみがえる。浜辺でサンバのリズムにのって淫らに踊る乞食のような大女の娼婦。カトリックの神学校で厳しく罰せられた恐怖と屈辱。サーカスのちんどん屋。少年もピッコロを吹いて4人組の楽隊に加わる。甘美でせつなく物悲しいニーノ・ロータ作曲のサーカスの音楽が高まり、映画の出演者全員が仲よく手を取り合い、大きな輪になって踊る。
これこそつくりたかった映画なんだといわんばかりに、監督のグイドはメガフォンを取って、楽しげに声を上げて演出をする。やがてお祭り騒ぎも終わり、広場の明かりも消える。夢も幻想も、過去も現在も、すべてが、映画作家の心象風景にすぎないとはいえ、混沌として、いつ果てることなく無秩序にひろがるばかりに見えた映画の大きなうねりが、みるみる一直線に終幕に集中し、収斂し、心にしみる感動に高まっていく。どうしてこんなふうに見事にまとまるのか――話法、構成、すべての映画的表現の極限を示した奇跡のような映画だ。
「世界のクロサワ」による超弩級の娯楽大作
『8 1/2』と同じ1963年の『天国と地獄』は、世界のフェリーニとならんで「世界のクロサワ」と称賛された日本映画の巨匠、黒沢明監督の白黒作品である。こちらは誰が見てもたのしめる単純明快なスリラー映画だ。
黒沢明監督の第1作は1943年の『姿三四郎』で、フェリーニよりもキャリアは長いが、妥協を許さぬ完全主義者として知られていた。単なるスリラー映画だからといって、もちろん手を抜くことはない。映画を面白くするために金はかける、時間はかける、人は集める(なんというぜいたくなスタッフ、キャストだろう)。すみからすみまで全力投球のデラックスな、スケールの大きい、超弩級の娯楽大作だ。当時、邦画(日本映画)は2本立ての封切りだったが、黒沢作品は洋画(外国映画)なみに1本立てロードショーという特別興行だった。
いわゆる謎ときのミステリーではないので、最大の見どころは、新幹線がまだ走っていなかった時代の最速特急列車を使ったサスペンス・シーンだ、と言っても映画の核心を暴露することにならないだろう。いま見ても映画的な緊迫感にみちた名場面である。白黒画面にピンク色の煙がたなびくドラマチックな実験の一瞬も見どころだ。
ついに「天国」と「地獄」が対決するラストシーンに向かって、映画の後半は「天国」を偏執狂的に憎悪する若き誘拐犯(山崎努)と、「天国」と「地獄」のはざまで正義のために誘拐犯を絶対に許さず、執拗に捜査の罠を仕掛けて死刑にまで追いつめる刑事(仲代達矢)のある種の心理合戦、執念のぶつかり合いになる。ともに純白のワイシャツを着て、とことん潔癖な行動派で、あたかも兄弟のようによく似て見えることがあり、追う者と追われる者が、法を守る者と法に叛く者が、善と悪が、表裏一体になっているかのように印象的だ。
イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。