映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。一時代を築いた映画スターの訃報が相次いでいます。この9月にはアメリカ映画界の大スターだったロバート・レッドフォードが亡くなりました。追悼の意を込めて、数多い名作の中から『ホット・ロック』と『華麗なるヒコーキ野郎』を山田さんに取り上げていただきました。
紹介作品
ホット・ロック
製作年度:1972年/上映時間:105分/監督:ピーター・イェーツ/原作:ドナルド・E・ウェストレイク/脚本:ウィリアム・ゴールドマン/撮影:エド・ブラウン/音楽:クインシー・ジョーンズ/出演:ロバート・レッドフォード、ジョージ・シーガル、ロン・リーブマン、ポール・サンド、モーゼス・ガン、ゼロ・モステル、トポ・スウォープなど
華麗なるヒコーキ野郎
製作年度:1975年/上映時間:108分/監督・原案:ジョージ・ロイ・ヒル/脚本:ウィリアム・ゴールドマン/撮影:ロバート・サーティーズ/音楽:ヘンリー・マンシーニ/出演:ロバート・レッドフォード、ボー・スヴェンソン、ボー・ブルンディン、スーザン・サランドン、ジョフリー・ルイス、エドワード・ハーマン、フィリップ・ブランズ、マーゴット・キダーなど
忘れがたい数々の名作を残して、スターの訃報が相次いだ。ロバート・レッドフォード(9月16日、89歳で死去)、クラウディア・カルディナーレ(9月23日、87歳で死去)、ダイアン・キートン(10月11日、79歳で死去)、それにもうひとり、うかつにも気づかずにいたのだが、テレンス・スタンプ(8月17日、87歳で死去)……つい最近までみな現役で活躍していたような気がするくらいだが、たぶんそれは名作、ヒット作、話題作のせいで再上映やリバイバル上映が多く、長くつづいたせいもあるのだろう。わが邦洋「2本立て」映画もまた特別に、変則的ながら、しばらくはスター1人ひとりを中心に2本ずつ思い出の代表作を取り上げることになりそうだ。
●スリルとサスペンスに心躍る御機嫌な若き怪盗ドートマンダー作戦
 ロバート・レッドフォードは、2018年の最後の主演作『さらば愛しきアウトロー』(デヴィッド・ロウリー監督)ですでに自ら俳優業からの引退を発表していた。
『さらば愛しきアウトロー』の原題は『The Old Man and the Gun(老人と銃)』で、気さくでエレガントな老人になったロバート・レッドフォードがにこやかに、品よく、ゆったりと銀行強盗をやってのける(銃は使うが誰ひとり傷つけず、同じように高齢の強盗仲間と組んだりして、大胆にも2年間で93件もの銀行強盗を成功させたフォレスト・タッカーなる実在の伝説的“紳士泥棒”を主人公にした映画化だった)、ロバート・レッドフォードならではの感じのいい、まさに愛しきアウトローの最後の挨拶のような印象を残した犯罪コメディーだった。
 1972年の若々しいロバート・レッドフォードが、ズッコケたプロの泥棒をじつにたのしく演じた『ホット・ロック』という愉快な犯罪コメディーを思い出さずにはいられなかった。監督はイギリス人のピーター・イェーツ。イギリス独特のスピーディーなドキュメンタリー・タッチにシニカルですっとぼけたユーモアを混ぜ合わせて——原作は『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(ジョン・ブアマン監督、1967年)や『組織』(ジョン・フリン監督、1973年)などの「悪党パーカーもの」の原作者でもあるアメリカのハードボイルド作家、リチャード・スタークの別名でも知られるドナルド・E・ウェストレイクのユーモラスな「ドートマンダーもの」の1篇で、映画化のためにロバート・レッドフォード主演の『明日に向って撃て!』『華麗なるヒコーキ野郎』の脚本も担当しているウィリアム・ゴールドマンが脚本を書いている)、山椒のように小粒でもぴりりと辛いと言いたいようなスリルとサスペンスにあふれる犯罪コメディーの傑作だったと思う。そもそも、ロバート・レッドフォードを一躍人気スターにした映画がウィリアム・ゴールドマンの脚本(オリジナル)による1969年のアメリカン・ニューシネマの名作になる西部劇(正統派の西部劇からは程遠い)『明日に向って撃て!』(ジョージ・ロイ・ヒル監督)で、ポール・ニューマン扮するブッチ・キャシディとアメリカから国境を越えて南米ボリビアまで逃げまわる(という以上に、逃げまくるといった感じの)2人組の強盗の相棒サンダンス・キッドに扮してさわやかに(と言いたいくらい)ふてくされながらもあざやかにさらけだすズッコケぶりが圧巻で、兄貴分のポール・ニューマンのブッチ・キャシディもあきれて大笑いしてしまうという見事なズッコケぶりだった。崖っぷちまで追いつめられて滝の下の激流渦巻く大河にとびこんで逃げるしかないという危機に瀕して、さっそうたる勇姿の見せどころかと思いきや、急にぐずって「俺は泳げねぇんだ!」と情けなくどなっていらつくズッコケぶり。命がけのズッコケぶりと言ったらいいか、そのヒーローらしからぬヒーローの見事さ、魅力的なぶざまさは当時アンチ・ヒーローと呼ばれて喝采を浴びた。アングロサクソン系のちょっと赤味がかったような金髪の美男子として恋愛映画のスターとしても成功するかたわら、1973年にはポール・ニューマンと再びタッグを組んだ『スティング』(監督も再びジョージ・ロイ・ヒル)で1930年代のシカゴのギャングの世界に一泡吹かせる詐欺師コンビを演じた。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの顔合わせは『明日に向って撃て!』と『スティング』の2作だけなのだが、まるで名コンビのようにすばらしい、忘れがたい顔合わせとして記憶されることになる。テレビの「日曜洋画劇場」で『スティング』が放映されたとき、映画の伝道師のような淀川長治氏がこんな短くも見事な解説をしてくれたことが思い出される。
「スティングというのは、うまくだました瞬間のこと。相手のポケットからうまいこと財布を抜き取った瞬間を言うんですね。この映画自体も作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞など7つのオスカー(アカデミー賞)をかっぱらいました。衣装デザイン賞も取りましたが、1930年代の男の衣装デザインがいい。ハンチングにサスペンダーの粋なこと。この当時ポール・ニューマンは48歳、ロバート・レッドフォードは37歳。男の匂いがぷんぷんします。まさに男の映画。しかも海千山千の玄人をイチコロにだますそのあきれた計画。この知能犯の面白さ。痛快で粋な映画とはこれですね。」(岡田喜一郎編・構成「淀川長治映画ベスト1000」、河出書房新社)
『スティング』でもロバート・レッドフォードはドジを踏んで何度もあやうく殺されかけて死に物狂いで逃げまわる。逃げまわりながらも攻撃、挑戦をあきらめない。殺された仲間の復讐が本来の目的なのだ。それも詐欺師なのだから、とことん詐欺一途に作戦を練るという心意気だ。

イラスト/池田英樹
『ホット・ロック』は『スティング』の1年前の作品で、いま見ると『スティング』の前哨戦のような面白さだ。服役して刑務所から出てきたばかりの犯罪作戦の天才を任ずる若者、ドートマンダー(ロバート・レッドフォード)に初めての大仕事が舞い込む。博士を名のるアフリカ某国の大使(モーゼス・ガン)からニューヨーク・マンハッタンのブルックリン博物館に展示されている国宝級ダイヤモンド「サハラの石」を盗み取ることを依頼されるのである。大泥棒、大詐欺師になるための最初の試練となるような大仕事である。
 ダイヤモンドは厳重に鍵をかけた大きな強化ガラスのケースのなかに輝いている。監視も厳重で、大勢の警備員が昼夜を分かたずに警戒している。とても不可能と思われる防備を突破する作戦こそ泥棒映画の興味の神髄である。まず陽動作戦でいくしかない。陽動作戦とは相手にこちらの企みを見破られないようにわざと別の行動に出て注意をそらすことである。というわけで、錠前屋(ジョージ・シーガル)、運転の天才(ロン・リーブマン)、爆薬類のプロ(ポール・サンド)とそれぞれ得意技を持った仲間3人と組んで手のこんだ作戦を開始するが、この4人組の「ドートマンダー・クラブ」はあれやこれやでドジを踏んで厄介な大騒ぎの連続だ。といっても、あまりふざけた泥くさいドタバタにならないところがピーター・イェーツ監督の心地よくスマートでスピーディな演出だ。スティーヴ・マックイーン主演のスリル満点のカー・チェイスが圧巻の『ブリット』(1968年)やピーター・オトゥール主演のたった1人の戦争のすさまじさを痛快に描いた『マーフィの戦い』(1971年)の監督である。
 まずは陽動作戦として、深夜すぎの博物館の裏口で車の運転をあやまったふりをして大爆発させて警備員を混乱させ、そのすきに警備員になりすまして博物館に入りこんでいたふたりがなんとか苦労して(というのも、ここでどんな錠前も意のままに操る“黄金の手”をドートマンダーにおだてられて伝説の男になることを信じた錠前屋のギャグのような奮闘努力もあって)重い強化ガラスを持ち上げてダイヤモンドを奪い取ることに成功するものの、結局は本物の警備員たちに見つかってしまい、大事なダイヤモンドを仲間同士でパスしながら逃げまわっているうちに、ひとりが捕まってしまい、そのひとりがダイヤモンドを持っていて隠し場所もなく、咄嗟の機転で呑み込んでしまう。そこで、ドートマンダー・クラブの残った3人は、捕らえられて刑務所に入れられたひとりをなんとか苦労して脱出させるが、ダイヤモンドは捕らえられたときに拘留された警察署の留置所に隠したままだという。そこでまた、こんどはヘリコプターで(操縦するのは車の運転しか知らない“運転の名手”である)、ニューヨークのマンハッタンの上空を飛んで、空から見たニューヨークの景色をたのしみながら、やっとなんとか警察署のビルの屋上に着陸、火炎ビンのような発煙爆弾を路上に投下して警官たちの注意を集め、そのすきに留置所のダイヤモンドの隠し場所をさぐるが、そこにダイヤモンドはなく、捕まった男の父親が弁護士だったものだから、うっかり(というか、信用して)ダイヤモンドの在り処をもらしたことが判明し、そこでまたドートマンダーとその仲間たちはこの父親(これがまた、とぼけた顔をして腹黒いゼロ・モステル扮する一筋縄ではいかない悪徳弁護士である)をつかまえて、息子ともども拷問責めにするというギャング映画もどきの大芝居を打って、ダイヤモンドのゆくえを追求、弁護士がちゃっかりネコババしてダイヤモンドを銀行の貸し金庫に入れてしまったことを知る。貸し金庫は銀行の保護預かりだから、本人しか手をつけられない。「貸し禁固は私専用だ。私にしか手をつけられんのだ、このアホども」と悪徳弁護士は不敵にせせら笑う。
 ゼロ・モステルが神父に扮し、夜間、気球にのって空から銀行強盗を企む(地上ではセクシーな美女、キム・ノヴァクが全裸で白馬にまたがって銀行の夜警の目をくらますという色仕掛けの陽動作戦である)『空かける強盗団』(ハイ・アヴァーバック監督、1969年)というケッサクな犯罪コメディーなども想起させる。
 金づるのアフリカ〝博士〟ともいつの間にか手を組んだこのまったく太刀打ちできそうにない悪徳弁護士に対して、ドードマンダーは最後の作戦としてまるで詐欺まがいの催眠術(その呪術的合い言葉ときたら「アフガニスタン・バナナスタンド」というのだ)を利用し、これが、なんと、オトギ話の魔法のように見事に功を奏して、ハッピーエンド。クインシー・ジョーンズの軽快なジャズにのって、ロバート・レッドフォードの足取りもリズミカルに軽やかに、心躍る御機嫌なラストシーンだ。
●失われた夢を追い続ける大空の勇士たち
『華麗なるヒコーキ野郎』(1975年)は、『明日に向って撃て!』、『スティング』に続くロバート・レッドフォードの3本目のジョージ・ロイ・ヒル監督作品。過ぎ去った時代の失われた夢を描いたノスタルジックな、そのせいか、どこか現代のオトギ話のような味わいのある3部作と言いたいくらいである。『明日に向って撃て!』は失われた西部の夢、『スティング』は1930年代のシカゴのギャングたちの夢、『華麗なるヒコーキ野郎』は第1次大戦後の1920年代のアメリカの夢、大空の勇士たちの夢の物語だ。
 1920年代のアメリカは飛行機狂時代、大空の夢に生きたヒコーキ野郎の時代だった。1927年のチャールズ・A・リンドバーグの大西洋横断の成功がその栄光の頂点になるわけだが、それまでにたぶん無数の(と言っていいくらい)無名の伝説的ヒコーキ野郎が輩出した。
 戦車、毒ガス、飛行機が第1次大戦における3大兵器だとすれば、「戦車があたかも鋼鉄の棺のような胡乱な姿で塹壕の兵士たちの恐怖を呼び覚まし、毒ガスが文字通りの見えない兵器として兇悪かつ非道徳的な色彩を大戦に与えたのに対して、飛行機だけは天空を駆けるその奔放な姿と空に対する人々の憧れを背に、悲惨な戦争に一条の光を投げかけるかのようなイメージを発揮した」(生井英考「興亡の世界史⑲/空の帝国 アメリカの20世紀」、講談社)のである。

イラスト/池田英樹
大戦中に空で闘った男たちも闘うことを夢みていただけの男たちも、ほとんどが自家製の飛行機で遊覧客を乗せたり曲芸飛行をやったりして生活を立てていた。バーンストーマーと呼ばれたそんなヒコーキ野郎のひとりがロバート・レッドフォードの演じる映画の主人公である。大空への夢に生きる青年で、大戦中にドイツの偉大な撃墜王エルンスト・ケスラーと空中で一騎打ちを演じたホラ話をしゃべりまくる。それがホラ話であることがバレてしまって恥をかいたりするズッコケぶりで、みっともないアンチ・ヒーローまるだしのロバート・レッドフォードなのだが、ユーモアたっぷりに描かれて、そんなぶざまさまでがすがすがしくてほほえましい。同じヒコーキ野郎の商売仇(ボー・スヴェンソン)と出し抜き合いながら、いつのまにか仲よくなったり…といったところまでは笑えるのだが、悲惨なシーンも描かれる。空中曲芸の花形になろうという野心もあって仲間になった女の子(スーザン・サランドン)をくどいて曲芸飛行の宣伝に誘うが、上空で恐怖にとりつかれた彼女が翼から滑り落ちるのを救おうとするものの失敗したり、墜落した仲間のヒコーキ野郎(エドワード・ハーマン)が見物人の捨てたタバコからガソリンに火がついて生きながら焼死するのを野次馬が寄ってたかって面白がって見物するのに腹を立てて飛行機で脅かしたりして、事故に次ぐ事故を起こし、ついに飛行禁止処分になってしまう。失職したロバート・レッドフォードを待っていたかのように昔の恋人から結婚を申し込まれるのだが、大空への夢を捨てきれず、家庭に落ち着く気はさらさらなく、名前を変えて、飛行機が出る映画にスタントマンとして出演するつもりで、折りから全盛期を迎えつつあるハリウッドへ向かう。そこで、なんと、たまたま空中戦映画の技術顧問に招かれていた、あの、お得意のホラ話の空の英雄、ドイツの偉大な追撃王エルンスト・ケスナー(ボー・ブルンディン)と対面することになる。たちまち空の同志として意気投合したふたりは、撮影本番で愛用の複葉機に乗って一騎打ちするシーンを再現することになるのだ。夢のホラ話がこうして実話になる。ふたりは映画の撮影であることも忘れ、死力を尽くした実戦さながらの空中攻防戦を展開、そしてまさにホラ話そのままにお互いに心からの敬礼をかわして飛び去っていく……涙なくしては見られないラストシーンだ。映画は冒頭、若くして無謀な飛行に挑戦し、大空に散っていった1920年代の本物のヒコーキ野郎、伝説的なバーンストーマ−の何人かの遺影を紹介しながらはじまるのだが、その彼らの失われた大いなる夢に映画は捧げられているかのようである。

イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。
