映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。前回に引き続き、いかにもイギリスらしい皮肉の効いたコメディーを得意とするアレクサンダー・マッケンドリック監督の『白衣の男』と、若尾文子の魅力がふんだんに堪能できる、川島雄三監督の『女は二度生まれる』を取り上げます。味わいは異なりますが、ともに傑作の誉れ高い二本立てをお楽しみください。

紹介作品

白衣の男

製作年度:1951年/上映時間:85分/監督:アレクサンダー・マッケンドリック/製作:マイケル・バルコン/脚本:ジョン・ダイトン、ロジャー・マクドゥガル、アレクサンダー・マッケンドリック/音楽:ベンジャミン・フランケル/撮影:ダグラス・スローカム/出演:アレック・ギネス、ジョーン・グリーンウッド、セシル・パーカー、マイケル・ガフなど


女は二度生まれる

製作年度:1961年/上映時間:99分/監督:川島雄三/原作:富田常雄/脚本:井手俊郎、川島雄三/音楽:池野成/撮影:村井博/出演:若尾文子、山村聡、フランキー堺、山茶花究、藤巻潤、高見国一、江波杏子など

●奇妙奇天烈なアイデアで大いに笑わされる傑作コメディー

 前回取り上げた『マダムと泥棒』(1955年)のアレクサンダー・マッケンドリック監督のもう1本のイギリス映画、それも日本未公開だった『The Man in the White Suit』(1951年)が『白衣の男』の邦題でDVDで出ていることがわかり、どうしても見たくなった。バルコン・タッチのイーリング・コメディー(マイケル・バルコン製作によるイーリング撮影所で撮られた独特の皮肉なお笑いにあふれた喜劇がその名で呼ばれた)の名作の1本として知られながら、戦後の混乱(各国の映画が入り乱れて輸入されたけれども)のなかでついに劇場で封切られずに終わった作品である。『マダムと泥棒』のようなカラー作品ではなかったこともあるかもしれない。しかし、モノクロの地味な作品かと思うと、とんでもない、奇妙奇天烈な、まったくあり得ないようなアイデアに笑わされる映画だ。『マダムと泥棒』では無気味な微笑みをたたえた泥棒のボスを怪演する名優、アレック・ギネスが、ここでは紳士然として産業革命の先進国イギリスの繊維業界で働く研究者の役を取り澄まして演じるのだが、その研究というのが永久に汚れない、破れない、究極の繊維「不滅の生地」の発明というのだから、見かけはすっとぼけた紳士的な態度を取るものの、やっぱりどこか狂った発想のマッド・サイエンティスト的な発明狂といった役どころで、最初からこれはヤバいぞといった不安な笑いを誘う存在だ。活躍の場になる繊維工場の研究室の怪しげな機具がまたマッド・サイエンティストならではの実験室の透明な試験管を思わせる複雑な化学機械で、ゴボッ、ゴボッと滑稽で無気味にリズミカルに音を立てて沸騰する液体がいまにも爆発しそうで(実際、あらぬ時に工場をゆるがす突発事故を起こしたりするのだが)、いかにもひそかに大発明を準備中の危険人物にふさわしい奇怪な装置なのである。なんだ、これは? 誰も説明できない。そんな周囲の無理解にもめげずにシド・ストラットン(というのがアレック・ギネス扮する主人公の名前である)が研究をつづけられたのは、社長(セシル・パーカー)の娘ダフネー(ジョーン・グリーンウッド)を味方につけ、会社の全面的協力を得ることができて工場そのものを工場長の怒りをよそに独占できたからなのだが(しかし、いつ化学機具が爆破するかわからないので、安全のために自分用の鉄かぶとをいつも近くに用意してある)、ついに、奇跡の繊維が完成したものの、誰からも祝福されない。噂を聞きつけた繊維業界のトップたち(その首領格はその名に「サー(卿)」が付くヨボヨボの老人に見えてがめつくタフな大御所である)があわててやってきて、会社の社長に「身の程知らずのとんでもないバカが汚れず破れず丈夫な生地を発明したそうだな。その責任はとれるのか」と迫る。社長は「繊維業界の繁栄のために、これは大革新ですよ」と言い訳がましく弁解するのだが、「革新だと? 大惨事だ! 業界にとっては致命的な発明だ。市場のバランスが崩れて繊維業界は破滅だ! 牧羊業者も輸出業者も何もできん」と業界のトップたちは怒り狂う。

イラスト/池田英樹

 発明王のシド・ストラットンだけは得意満面。自ら純白のスーツを仕立て(特殊な繊維なので、プロの仕立屋も寸法を測るだけで、裁断、裁縫などはできず、服をつくることはできない)、パリッと着込んで(『マダムと泥棒』の年齢不詳の怪しい泥棒とは大違いの若々しくスマートなアレック・ギネスなのである)、彼を愛して支持してくれた社長令嬢に誇らかに会いにいくと、「まあ、まるでスーツに着られているみたい」と令嬢はおどろく。社長と業界のお偉方は話し合って協力し、白衣(白いスーツ)の男を説得し、繊維業界の混乱を避けるために奇跡の発明を制御し、商品化をあきらめさせようとするが、もちろんアレック・ギネスは夢の発明の発表と商品化をどんなことがあっても破棄する気はないし、業界のトップたちにすべてをゆだねる気はさらさらない。
 噂が噂を呼んで、新聞が早くも「不滅の生地の大発明! 繊維業界に大打撃! 株も大暴落!」などと書き立てる。工場の労働者たちも、この奇跡の発明が商品化されたら全員失業してしまうと大騒ぎになり、特別委員会をつくって発明者のアレック・ギネスをつかまえて商品化を放棄するように説得しようとする。経営者側はアレック・ギネスを2階の1室に監禁し、社長令嬢と白衣の男がねんごろの仲らしいと聞いて、「男は女にヨワいから」というわけで、令嬢になんとか男を説得してほしいとたのむ。ところが、女の計略で男は監禁された2階の部屋から脱出。夜、窓をあけて、永久に切れたりしない「不滅の生地」からつくった糸車を使って、いとも簡単に外壁を横に歩いて下まで降りるところが笑わせる。労使協議して一体となって全員が夜の街を逃げる白いスーツの男アレック・ギネスを追いかける。ついに逃げ場を失ったアレック・ギネスは……最後は不滅の白いスーツがボロボロになり、いちおう一件落着となって、アレック・ギネスは退職、新しい旅立ちということになるのだが、エンド・マークが出る直前に突然また、あのマッド・サイエンティストの実験室の化学機器のゴボッ、ゴボッという滑稽で無気味な沸騰の音が聞こえてくるのだ! そして元気よく立ち去っていくアレック・ギネスのうしろ姿……雀百まで踊り忘れず、か。

●和服姿の美しさが際立つ若尾文子の代表作の1本

『女は二度生まれる』(1961年)は女優若尾文子のために企画され、女優若尾文子でなければ演じられないような愛すべき魅惑のヒロインがスクリーンに輝いた名作の1本で、とくに着物姿がよく似合う(この映画では35着もの和服を印象的に着こなしてみせる)自由な愛に生きる芸者が映画の題名どおりの現代的な女の生き方を象徴するかのように彼女の当たり役になったことで知られる。
 キネマ旬報「日本映画人名事典/女優篇」にもこんな記述がある——「若尾文子の役は東京・神楽坂の芸者・小えん。芸者といっても芸のない寝室専門で、金でどんな男とも寝てしまうという奔放な娘だが、それでいて可愛らしくて憎めない、そんなヒロインを彼女は生き生きとはずむように演じて賞賛を浴びた」。
 映画はいきなり(というか、プロローグで)、料亭の小じんまりとした座敷に、芸者・小えん(若尾文子)が帯をといて、50がらみの男(山村聡)が腹這いになっている寝床にもぐりこむシーンからはじまる。太鼓の音が突然ひびき、おどろく男に女が言う。「靖国神社の太鼓、毎朝5時には鳴るんですよ」「5時、もうそんな時間か…」

イラスト/池田英樹

 靖国神社がすぐ裏にあり、九段坂一帯の三業地(料亭、待合、芸者屋の3種の営業が許可された地域)が映画の主要な舞台になる。売春禁止法が制定された昭和31年(1956年)直後で、お座敷と寝床が一体になっているような生活をしている芸者・小えんとしては「だって恋人ですもの、恋愛は自由でしょう」というのが言い草になる。山村聡扮する実業家らしい(本人は建築家と言っているが金持ちの実業家のように思える)中年男に囲われることになった小えんは、実直な寿司屋の板前(フランキー堺)やらおどけた遊び人(山茶花究)やら映画館で出会った年下の少年工(高見国一)やらを次々に自由に「その夜の恋人」にし、お座敷前の風呂通いの往き帰りにしょっちゅう顔を合わせる美男の大学生(藤巻潤)にほのかな恋心を寄せたりしながらも、けっこう楽しく暮らしているが、やがて自分を囲っていた実業家(建築家?)の病死をきっかけに、本妻(山岡久乃)との不愉快な面談があったり、寿司屋から姿を消した板前のフランキー堺が結婚して子連れでピクニックに行く姿を見かけたり、一途に勉強ばかりしていたかに思えた大学生の藤巻潤がいつのまにか一流企業に就職して大事な顧客の接待に芸者・小えんの体を利用する「卑劣な男」になり下がっていたことなど目のあたりにしたこともあって、はじめて真の人生の裏側を見て衝撃を受け、突然、それまで本能だけで目的も動機もなく生きてきて、女の歓びも哀しみも無意識に生きている自分だけがひとり取り残されたような空虚な寂しさに襲われたかのようだ。だからといってただもう絶望して自殺を考えるとか、苦悩をヒステリックに叫ぶとかいったようなあわれでみじめな女になるのではなく、静かに素直に自分の運命を受けとめ、不幸な環境に耐え忍ぶ強い意志だけは持っているように思える。
 若尾文子のおっとりとした外貌、甘ったれた声もほどよくそんな悲惨な状況を人生の自然な流れのようにやわらげてしまうのだろう。黙りこくって風景のなかにたたずむ和服姿の美しさだけでも、女が人間として生まれ変わる時を始めて知り、ささやかながら本当の幸福に向かって生き抜く覚悟のようなものさえ感じさせる。
『女は二度生まれる』という映画題名は「人間は二度生まれる。最初は人間として、そして次は男あるいは女として」というフランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーの言葉にもとづくとのこと。「女は女に生まれるのではなく、女になるのだ」というフランスの女性哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉も想起される。異能・異才の名監督として知られた川島雄三は、若尾文子と初めてこの映画を撮ることになって「若尾くんをオンナにして見せます」と宣言したというのもうなづかれる魅力的な気風のいい女っぷりである。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

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