映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。今回は9月に亡くなった、イタリアを代表する女優クラウディア・カルディナーレの追悼2本立てです。戦後のイタリア映画に起こった「ネオレアリズモ」の精神を受け継いだ数々の映画で大きな存在感を示したカルディナーレの魅力を、映画史をひもときながら山田さんに解説していただきました。
紹介作品
鞄を持った女
製作年度:1961年/上映時間:122分/監督:ヴァレリオ・ズルリーニ/脚本:ヴァレリオ・ズルリーニ、レオ・ベンヴェヌーティ、ピエロ・デ・ベルナルディ/撮影:ティーノ・サントーニ/音楽:マリオ・ナシンベーネ/出演:クラウディア・カルディナーレ、ジャック・ペラン、ルチアナ・アンジョリッロ、レナート・バルディーニ、リッカルド・ガッローネ、エルサ・アルバーニ、コラード・パーニ、ジャン・マリア・ヴォロンテ、ロモロ・ヴァリなど
熊座の淡き星影
製作年度:1965年/上映時間:100分/監督:ルキーノ・ヴィスコンティ/脚本:ルキーノ・ヴィスコンティ、スーゾ・チェッキ・ダミーコ、エンリコ・メディオーリ/撮影:アルマンド・ナンヌッツィ/音楽:セザール・フランク/出演:クラウディア・カルディナーレ、ジャン・ソレル、マイケル・クレイグ、レンツォ・リッチ、マリー・ベル、アマリア・トロイアーニ、フレッド・ウィリアムズなど
クラウディア・カルディナーレが亡くなったとき(もう2か月も前の9月23日、87歳だった)、彼女の主演作で幾多の名作のなかから特に忘れがたい2本のイタリア映画、『鞄を持った女』(ヴァレリオ・ズルリーニ監督、1961年)と『熊座の淡き星影』(ルキーノ・ヴィスコンティ監督、1965年)をDVDで追悼の思いをこめて見た。『鞄を持った女』では題名どおり旅行鞄ひとつだけしかない人生を送る貧しい下層階級の庶民的な女の役を、『熊座の淡き星影』では古式蒼然たる豪邸の持ち主で裕福な資産家の貴族的な女の役を典型的に(というか、対照的に)見事に演じていたのが印象的ながらつかみどころがない不思議な魅力で、あらためてそこに戦後のイタリア映画のネオレアリズモ(新リアリズムの意だが、イタリアン・リアリズムとも呼ばれた)の迫力の余波が感じられるようで心を打たれた。

イラスト/池田英樹
●日本の映画人に衝撃を与えたイタリア映画のリアリズム
あらためて映画史のページをパラパラめくりながら、私なりにざっと戦後のイタリア映画の1時代を回顧(などと言うと大げさになるけれども)してみた。田中純一郎の「日本映画発達史Ⅳ 史上最高の映画時代」(中央公論社)には「イタリアン・リアリズムの登場」という1節があって、「昭和24年(1949)年度の輸入映画には、従来のアメリカ、フランス、イギリス、ソビエト(ロシア)に次いで、10月から新しくイタリア映画が登場し、戦時中から戦後にかけて、世界の進展から眼を覆われていた日本人の前に、豁然とその現状が展望される思いがした。殊に、ハリウッドの映画人をおどろかせたというイタリア映画のリアリズムは、日本の多くの映画人や知識層にも、強烈な感銘を与えた」とその衝撃ぶりが記されている。「それまでのハリウッド・スタイルに馴らされた映画の常識を打ち破った新鮮なものであり、甘さと虚構を平然とその容貌の中に持ち続けてきた映画芸術への、痛烈な打撃でもあり、驚異でもあった。」
その第1作(戦後日本で公開されたイタリア映画の、ネオレアリズモの、第1作)がロベルト・ロッセリーニ監督の『戦火のかなた』(1946年)であった。「内容は6つの挿話よりなり、米英軍がイタリア本土上陸に先立つ1943年7月10日より44年の冬、イタリアがドイツ支配から解放されるまでの間に起こった実際の出来事を扱っている。『戦火のかなた』が日本映画界におよぼした衝撃は、おそらく戦後外国映画の輸入再開後はじめてのことであろう。それは、かつてアメリカ映画、D・W・グリフィスの『恐ろしき一夜』(1914年)、『イントレランス』(1916年)が輸入された時のように、あるいはまた、ドイツ映画『カリガリ博士』(ロベルト・ヴィーネ監督、1918年)、フランス映画『キイン』(アレクサンドル・ヴォルコフ監督、1923年)、『嘆きのピエロ』(ジャック・カトラン監督、1924年)などが輸入された時のように、映画そのものの本質に肉薄する多くの問題が含んでいたからである。『戦火のかなた』の6つの挿話のうち、最も凄惨で、最も厳粛な場面は第6の“ポオ河”の激戦である。イタリア・パルチザンの1隊がポオ河の沼沢地帯でドイツ軍に絶望的な抗戦をしている場面であった。飯田心美の評言を借りれば、『それは描かれた事件の現場へ私たちを強引に拉してゆく。単なる映画だからといって、一夕の娯楽ではない。苦痛をともない、一種の不愉快さえ感じさせる。だが、そこに味わうナマナマしさ切実さは私たちの首根っこを容赦なく抑えつける。この容赦なき苛酷な現実感が私たちの心を捉えて放さないのである。リアリズムの勝利というか、まさにハリウッド・スタイルにはない立派なひとつの独創だと言えよう』。日本でもこの映画は『キネマ旬報』選出ベストテンなどで第1位にランクされた。」
ハリウッドではロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(1945年、日本では1950年に公開された)と『戦火のかなた』を見た女優(スウェーデンからハリウッド入りして大スターの地位を獲得していた)イングリッド・バーグマンがハリウッドの甘いロマンチックな映画に飽き足らず、イタリア映画のリアリズムに魅せられて、ハリウッドも家庭も捨ててイタリアのロベルト・ロッセリーニのもとへ走り、その「不倫」のスキャンダルの渦中で『ストロンボリ 神の土地』(1950)などを撮るが、当時の良識を踏み越えたふるまいとみなされ、アメリカ映画界からは完全にボイコットされ、追放された(1956年、ジャン・ルノワール監督のフランス映画『恋多き女』を転機に、57年、アナトール・リトヴァク監督のアメリカ映画『追想』でやっとハリウッドにカムバックするのだが…)。映画史を揺るがす大事件だったことは間違いない。
ネオレアリズモの衝撃に便乗(などと言っては失礼かもしれないが、時こそ今は…とばかりにタイミングよく同調)して、戦後の日伊文化協定が昭和29(1954)年7月に締結され、9月から発動。初の催しとして、翌1955年4月7日から13日までの1週間、ウニタリア・フィルム(イタリア映画海外普及機関)と在日イタリア大使館共催の下に東京で第1回イタリア映画祭が開催された。「開催日に近い4月3日にはイタリアから女優シルヴァーナ・パンパニーニをはじめ、ウニタリア・フィルム事務局長、宣伝部長、国際映画祭審査委員長、フィルムライブラリー会長の5名からなる映画使節団が来日、舞台挨拶やレセプションに参加して、映画祭の効果を高めた」と田中純一郎は記している。
「こうした日本における外国映画見本市を兼ねた映画祭」は「その後の3年間は1件もなかったが、昭和34(1959)年4月1日から7日間、第2回イタリア映画祭が東京で、つづいて大阪でも行われた。「この第2回イタリア映画祭には、本国から使節団としてウニタリア・フィルム事務局長リディオ・ボッチーニはじめ、女優ロッサナ・ポデスタ、フランカ・ベットーヤ、ポデスタの夫で監督兼プロデューサーのマルコ・ビカリオ、監督ディーノ・リージ(『パンと恋と夢』『ベニスと月とあなた』の監督)その他イタリアのジャーナリスト2名が来日した。」
その後もイタリア映画祭は何度も積極的に行なわれ(いまなおつづいていると思う)、特に2001年には「日本におけるイタリア年」行事として11月13日から2002年2月24日まで長期間、東京国立近代美術館フィルムセンターにおいて(主催は朝日新聞社とチネテーカ・ナチオナーレも加わっていて、後援にイタリア文化財省、イタリア大使館、日本におけるイタリア年財団、助成に国際交流基金、協賛にイタリア・ラボロ銀行、等々)、33本の日本未封切作品をふくむ全55作品が特集上映された「イタリア映画大回顧展」が催されたりして、その気になれば(それなりに金もかかってファンには大変だったけれども)、イタリア映画に親しむことができた。

イラスト/池田英樹
●野性的かつ健気なカルディナーレの魅力
クラウディア・カルディナーレという女優がスクリーンで異彩を放った1960年代にも戦争はなくてもネオレアリズモを受け継ぐ新しい映画の1本として『鞄を持った女』が「イタリア映画大回顧展」でも上映された——日本の劇場ではすでに1961年10月に公開されていたが。「イタリア映画大回顧展」のパンフレットには、こんな解説が添えられている。「若い世代の感受性の不安と同調する刷新の雰囲気や新鮮さを一早く体現した両義的な感情教育ともいうべき『鞄を持った女』はエレジー(悲哀の情)で染められた物語であるが、静寂や無言が文彩(表現のあや)となり雰囲気を作り上げている。ヴァレリオ・ズルリーニ監督は本作品で若い俳優を起用した。なかでもクラウディア・カルディナーレが水際立っている(声は吹替えだが)。『鞄を持った女』以後、カルディナーレはイタリア映画を代表する人気女優になった。」
クラウディア・カルディナーレの吹替えの声は、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(1960年)でスクリーン・デビューし、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『革命前夜』(1964年)ではヒロインを演じたアドリアーナ・アスティ(もともと声の美しさで知られた声優だった)。フランスのプロデューサー、ピエール・ブロンベルジェに言わせると、イタリアは吹替え王国だった。クラウディア・カルディナーレはひどいしわがれ声で、出演作の多くが吹替えといわれるが、そのしわがれ声を彼女らしい素朴で野性的でセクシーな声として生のまま使ったのがルキーノ・ヴィスコンティ監督で、山猫の紋章を掲げるシチリアの伯爵(バート・ランカスター)を中心にした大晩餐会で豪奢なドレスを身にまとって食卓についたものの、あられもなく大口を開けて、あのハスキーというにはがさつすぎてざっくばらんなしわがれ声で高笑いをして礼儀正しく気取った貴族たちのひんしゅくを買う、村長の娘だが粗野な田舎娘が、ヴィスコンティ監督ならではのネオレアリズモ感覚で『山猫』(1963)に起用された「まだこれから」という若い女優カルディナーレで、「どこか重みのある、獣的といってもよい美しさ」の発見だった。『山猫』につづく『熊座の淡き星影』でも、ヴィスコンティ監督はクラウディア・カルディナーレをヒロインに起用し、「演出家としての私は俳優の可能性を最大限に生かせるできるだけのことをしなければならない。芝居ができるようなプランを見つけてやる必要がある。クラウディアはときどき、何か静的な印象を与えるが、おかげで私は彼女の顔、服、眼、まなざし、微笑みを使うことができるのだ。これがクラウディアにとっては新しい体験なのだ」と語っているくらいだ(「Book Cinémathèque ヴィスコンティ集成」、フィルムアート社)。
古代の遺跡に取り囲まれた北イタリアの「死滅しつつある街」、それも「崩壊寸前の丘」の上の、かつての栄華をとどめた、とはいえ、すでに「まるで博物館のような」古めかしい館(こんもりとした木々に囲まれた庭園付きの古城といった感じだ)を舞台に、姉(クラウディア・カルディナーレ)と弟(ジャン・ソレル)の再会と近親相姦が官能的な過去への甘美な追想のように描かれる。古代の地下貯水場での密会。長い髪を結い直した姉がらせん階段を降りてくる。弟は姉(すでに結婚している)の指から結婚指輪を抜き、自分の指にはめる。エロチックな儀式だ。弟は19世紀のイタリアの詩人、ジャコモ・レオパルディの詩の1節を読み、そこから「熊座の淡き星影」という1句をとって過去の思い出、姉と身も心も愛し合った幸福な日々を書いた自伝的な小説の題名にするが、純粋な愛は幻影にすぎず、甘美な結末には至らない。救いようのない悲劇に終わるだけだ。『鞄を持った女』のクラウディア・カルディナーレも、弟のような若く美しい16歳の少年(ジャック・ペラン)に純粋な愛を注がれるのだが、まるで運命に見放されたかのようにハッピーエンドを迎えることはない。人を愛しても憎んでも一途でけなげな女としか思えないほどいとおしい存在なのに。
『鞄を持った女』のクラウディア・カルディナーレが駅で最終列車を見送ったあと、鞄を持ってひとり暗い夜道を歩くラストシーンが、『熊座の淡き星影』のクラウディア・カルディナーレがアウシュヴィッツ収容所で殺された科学者の父親の記念碑の除幕式に黒衣の参列者たちにまじってひとり純白の衣装で純白のスカーフをひるがえす異様なラストシーンが、ただ、ただやるせなく、とりとめもなく心に残る。ハッピーエンドこそハリウッド・スタイルの唯一最高の偽りの美徳だったのだが、その夢まぼろしの美徳を完膚なきまでに打ち破ったのがネオレアリズモだったのである。

イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。
