映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画” - 第47回『世にも怪奇な物語』『カルロス』

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。前回のブリジッド・バルドーもそうでしたが、映画スターの訃報が相次いでいます。イギリスの人気俳優だったテレンス・スタンプも昨年、惜しくも亡くなりました。この特異な個性を持った俳優に追悼の意をこめて、オムニバス『世にも怪奇な物語』のなかの1篇に主演した『悪魔の首飾り』を取り上げます。そしてもう1本は、Vシネマとして90年代に突如現れた異色の犯罪映画で、竹中直人が主演した『カルロス』を紹介します。ともに妖しくも魅力的な映画の世界に誘ってくれる2本です。

紹介作品

世にも怪奇な物語

製作年度:1967年/上映時間:122分/原作:エドガー・アラン・ポー

第1話『黒馬の哭く館』
監督・脚本:ロジェ・ヴァディム/共同脚本:パスカル・クザン/撮影:クロード・ルノワール/音楽:ジャン・プロドロミデス/出演:ジェーン・フォンダ、ピーター・フォンダ、フランソワーズ・プレヴォーほか

第2話『影を殺した男』
監督・脚本:ルイ・マル/共同脚本:ダニエル・ブーランジェ/撮影:トニーノ・デリ・コリ/音楽:ディエゴ・マッソン/出演:アラン・ドロン、ブリジッド・バルドー、カティア・クリスチーヌほか

第3話『悪魔の首飾り』
監督・脚本:フェデリコ・フェリーニ/共同脚本:ベルナルディーノ・ザッポーニ/音楽:ニーノ・ロータ/出演:テレンス・スタンプ、マリナ・ヤール、サルヴォ・ランドーネほか


カルロス

製作年度:1991年/上映時間:92分/監督・原作:きうちかずひろ/脚本:木内一雅/撮影:仙元誠三/音楽:大谷和夫/出演:竹中直人、チャック・ウィルソン、大木実、春川ますみ、寺尾友美、山田吾一、片桐竜次、ジェームス藤木、岩尾正隆、草薙幸二郎、早川雄三、苅谷俊介ほか

●不思議と怪異のイメージで満たされた圧巻の傑作

 いまごろになってテレンス・スタンプという俳優の追悼というのも間が抜けていること甚だしいのだが(亡くなったのは、もう昨年のこと、2025年8月17日、87歳で死去した)、何人もの映画人が次々に亡くなったこともあって、ずっと気にかかっていたのだが、ついつい書きそびれてしまっていた。
 テレンス・スタンプばかりか、仲代達矢(2025年11月8日、92歳で死去)、女優のダイアン・キートン(2025年10月11日、79歳で死去)など、新聞の死亡記事を切り抜くだけに終わったままの故人もいる。仲代達矢の場合は正当に大物あつかいされてあちこちで大きく「悼む」記事や「偲ぶ」記事がたくさん出て、私があえて後追いすることもないと思うけれども、テレンス・スタンプはひょっとしたら忘れられかけているような気がして、せめてこれくらいはDVD(あるいはブルーレイ)化されて久しぶりに見られるとの期待もこめて私にとっては忘れがたい主演作をさがしてもらったところ、フェデリコ・フェリーニ監督の『世にも怪奇な物語』第3話、『悪魔の首飾り』(1967年)が見られることがわかって、この遅ればせながらの追悼をしたためることにしたのである。
 めくるめくようなニーノ・ロータ作曲のサーカスの音楽にのって夢と幻想と現実が交錯する『8 1/2』(1963年)のカラー版怪奇スリラーの偉大な小品(3本のオムニバス映画の1本なので長篇映画ではないのだが…)といった感じで、忘れがたい、見ごたえのある傑作だった。エドガー・アラン・ポーの「怪異譚」からの映画化で、第1話がロジェ・ヴァディム監督、ジェーン・フォンダとピーター・フォンダの姉弟が共演の「メッツェンゲルシュタイン」の映画化『黒馬の()く館』、第2話がルイ・マル監督、アラン・ドロンとブリジッド・バルドーが共演の「ウィリアム・ウィルソン」の映画化『影を殺した男』で、めずらしい姉弟、スターの競演が呼びもの、見もののエドガー・アラン・ポーによる「世にも怪奇な物語」が見られるという題名どおりの短篇2本になったが、第3部のフェデリコ・フェリーニ篇だけがテレンス・スタンプひとりの主演で、エドガー・アラン・ポーの小説というよりは哲学的小論をエッセーふうに書いた教訓話「悪魔に首を賭けるな」にヒントを得たというだけの超現実的な光と影のたわむれ(トニーノ・デリ・コリのキャメラがつむぎ出す映像は色彩の魔術とまでいわれた)、あの世のものともこの世のものともつかぬ凄絶な不思議と怪異のイメージがくりひろげられる圧巻のエピソードだった。「ポオ全集」(東京創元社)の第2巻付録の月報には詩人の佐藤春夫がエドガー・アラン・ポーという「幽玄の詩人」の恐怖、不安、寂漠など「彼の独自の感情」と「自己の創作世界のあまりに奇異幽玄なるもの」を強調しているが、そうした「奇異幽玄なるもの」をテレンス・スタンプ主演のフェリーニ篇『悪魔の首飾り』にも見出し、感じ取ることができるような気がする。アルコール中毒で人気落ち目のイギリスの映画スターがイタリアから新車のフェラーリを報酬に映画出演を申し込まれ、ローマ空港からチネチッタ撮影所に迎えられる。出迎えの報道陣やら映画ファンやら記者会見やら新車のフェラーリのお披露目を兼ねた授賞式などがきらびやかにつづくお祭り騒ぎのような喧噪と儀式のなかで、早くも死の国からのお迎えのような金髪の怪しい少女——悪魔の化身——が顔を出す。まぶしいくらいに美しく怪しく輝く長い金髪に顔の半分が隠されて少女の片方の眼が微笑んでいるようでもあり、にらみつけているようでもある。フェラーリを運転して、恍惚としてローマの街を飛ばすトビー・ダミット(というのがポーの原作にも出てくるテレンス・スタンプの演じるアル中のスターの名だ)はいつのまにか夜の闇のなかを、それも永遠に夜が明けそうもない暗黒の闇の世界を疾走しつづける。走るフェラーリを、停車するフェラーリを、闇の奥にみちびくように悪魔の少女が妖しく微笑み、にらみつける。ついに道は途絶え、フェラーリは奈落の果てに消え、ひきちぎられて路上に転がる男の首を金髪の悪魔の少女が手まりのように、風船のように、拾い上げるというラストシーンである。

『世にも怪奇な物語』のイラスト

イラスト/池田英樹

 エドガー・アラン・ポーはアメリカの作家だが、最初の映画化はたぶんフランスで撮られたジャン・エプスタン監督のアヴァンギャルド映画『アッシャー家の末裔』(1928年)だった。サイレント時代の末期につくられた名作で、私はまだ大学に在学中の1950年代末に東京近代美術館フィルムセンターで開催された日仏交換映画祭の上映会で見たように記憶している。エドガー・アラン・ポーの「怪異譚」(フランスでは詩人のボードレールの名訳で「世にも怪奇な物語」として出版されていた)による1967年のオムニバス映画(仏伊合作)は映画史上の名作として知られるジャン・エプスタン監督の『アッシャー家の末裔』(ポーの「アッシャー家の惨劇」を中心に「楕円形の肖像」「リジア」も合わせた映画化だった)から40年後の記念的映画化だった。その間、アメリカで、とくに1960年代にB級怪奇映画の巨匠とみなされていたロジャー・コーマン監督によるゲテモノ(などとみなされながらも世界的にヒットし、ファンも多かった)が日本でも公開され(その邦題からしていかにも恐怖のゲテモノふうで、「陥穽と振子」の邦題は『恐怖の振子』、「早すぎた埋葬」の邦題は『姦婦の生き埋葬』、「黒猫」の邦題は『黒猫の怨霊』、ポーの有名な詩「大鴉」をヒントにしたおどろおどろしくコミカルな魔法合戦の邦題は『忍者と悪女』といった「ぼくの採点表」の双葉十三郎先生も「恐れ入った珍題名」ばかりで)、そんなゲテモノB級映画のイメージを払拭するためにもエドガー・アラン・ポーの詩や小説の幽玄さとか幻想性を取り戻す試みが日仏合作のオムニバス映画『世にも怪奇な物語』の企画の根底にはあったのだろう。『8 1/2』で映画の芸術性の頂点をきわめたイタリアのフェデリコ・フェリーニ(当時、スウェーデンのイングマール・ベルイマン、日本の黒澤明とともに世界の映画芸術の3大巨匠とみなされていた)をオムニバス映画の核心になる第3話の監督として、しかも第3話だけは第1話と第2話を合わせたくらいの長さで特別あつかいして優遇していることからもそれは察せられよう。
 フェリーニ監督も『8 1/2』のあとは絶好調で、その勢いが『悪魔の首飾り』にも乗り移っているかのように思われるけれども、主人公のトビー・ダミットの役には最初、『アラビアのロレンス』(デヴィッド・リーン監督、1962年)で一躍大スターに躍り出たピーター・オトゥールを考えていたところ、高額の出演料であきらめざるを得なかったとのこと。1971年のピーター・イエーツ監督の『マーフィの戦い』のピーター・オトゥールのすさまじくもすばらしい痛快ぶりを見ればフェリーニ監督の思いもよくわかるような気もするが(この『マーフィの戦い』も面白い映画で、できたらまた見てみたいのでDVDかブルーレイで出ているかどうか調べていただくつもりだが)、結果的にテレンス・スタンプがトビー・ダミットの役を演じることになったのは大成功だったと思われる。テレンス・スタンプ以外には考えられないすばらしさであることは間違いない。
 1965年のウィリアム・ワイラー監督の異色サスペンス映画『コレクター』で蝶の収集から若い女の収集に命をかける蒼ざめた陰鬱な青年の役を演じて新しい時代のスターになったテレンス・スタンプだった。田舎の別荘の地下を美しい蝶のために飾る。衣裳ダンスに美しい衣裳もそろえる。車とクロロホルム(麻酔薬)を使って捕らえた若い女(サマンタ・エッガー)が彼の捕らえた最初の女/蝶だった。麻酔からさめた女を彼はやさしさと悲しみと残忍さの入り混じった青い眼でじっと見つめるだけ。激しい雨の降る夜、女はシャベルで男を殴り、逃走を図る。ネグリジェ1枚で女は雨のなかを逃走する。血まみれの男は女を追いかけ、つかまえて連れ戻すが…そんな残酷だが繊細な異常心理ドラマでも人気スターになったテレンス・スタンプだったのである。静かに狂って自滅していく青年というイメージが運命のようにテレンス・スタンプの独特な雰囲気、迫真性、オーラを形づくっていたかのようだった。

●アンチヒーローたちの死闘が繰り広げられる犯罪映画

 テレビで顔面模写とか形態模写などを通じて(深夜のテレビ番組ではよく顔面を一撫ですると作家の遠藤周作の顔になってしまう芸を見せた)変なコメディアンという印象しかなかった竹中直人が、突如、ブラジルの日系三世で指名手配中の殺し屋というすさまじい犯罪者の役でおどろかせたVシネマの忘れがたい1作がこの『CARLOS カルロス』である。

『カルロス』のイラスト

イラスト/池田英樹

 VシネマのVはVIDEO(ビデオ)のVで、いまではビデオで撮る映画はあたりまえになってしまったが、1990年代のVシネマは劇場公開をせずに、レンタルビデオ店で稼動することを念頭に製作した劇映画の名称であった。東映の子会社セントラル・アーツ(代表は黒澤満プロデューサー)が本体の映画会社、東映と一体になって「東映Vシネマ」の製作にかなりの比重をかけたものだった。山本俊輔と佐藤洋笑による名著(と言ってもいいと思う)「キャメラを抱いて走れ! 撮影監督 仙元誠三」(国書刊行会)の「第10章—— 90年代、Vシネマの時代」によれば、「この『東映Vシネマ』の成功に刺激され、邦画各社や別業種からもビデオ・オリジナル作品が多数登場、90年代全般にわたり量産された。この動きは、後のセルDVD、インターネットによるビデオ・オン・デマンドでの作品供給の先駆けと言えるだろう」ということになる。映画の形態が大きく変わったことがわかる。フィルムで撮ることだけが映画ではなくなっていたのである。「Vシネマについては、黒澤満さんがスタッフのみんなに仕事を確保する、ということだったんでしょう。私も[劇場用の]映画の仕事をしていないときは『仙元お前もやれ』と。黒澤さんはいつもスタッフに気を遣っていましたからね。私は[Vシネマが]劇場にかからない作品であることは気にしていませんでした。ビデオはビデオでいいんじゃないかと」とキャメラマンの仙元誠三も語っている。
 というわけで、異業種監督として漫画家のきうちかずひろ(『BE-BOP-HIGHSCHOOLビー・バップ・ハイスクール』の原作者であり、すでにVシネマで撮られていた)が自ら企画し、監督にも初挑戦したのが『カルロス』で、脚本家には漫画原作者の兄、木内一雅を迎えての兄弟コンビによる過激な暴力的犯罪映画だ。DVDのジャケットの裏表には、こんなものすごい惹句がある——「過激さを極めた、ハードすぎるピカレスク!!」「どえらい兇悪男が、日本の土を踏んだ!」「裏の世界に暗躍するアンチヒーローたちの熾烈なる争覇戦!!」「血の匂いが、またヤツを呼ぶ。ブラジル日系三世、カルロス・シロウ・ヒラタ全国指名手配。容疑、殺人——。」
 武器密輸をめぐる暴力組織の血で血を洗う争い、殺し屋カルロスを完膚無きまでに殺害、抹殺せんとする外国人の殺し屋(チャック・ウィルソン)、日本刀を抜いて振り回す関東山城一家の三代目組長(大木実)、狂気のひらめき、怪物めいた兇悪ぶり、残虐なる殺しの手口、物語の展開もおどろおどろしく、血の海と化すアンチヒーローたちの争闘。
 劇場公開のために撮られた映画ではなかったはずだが、私は東京・銀座の映画館、昨年ついに廃館になった丸の内東映の地下——丸の内東映地下という名の名画座(!?)——で見た記憶がある。坂のように傾斜した観客席はどこにすわってもスクリーンは見やすかったけれども、スクリーンの右手の奥にあるトイレに行くのはうしろのほうの席からだとつんのめって転びそうなほど急な傾斜だったことが思い出される。トイレの入口のドアが二つならんでいて、一方(右手)のドアはいつも鍵がかかっていて開かないのだが、何かの都合か何かの拍子で開いてしまって入りこんでしまったところ、そこはさらに地下へつらなる階段になっていて、『カルロス』の暗黒の地下街への入口にそっくりだったことも思い出される。いや、これは映画の記憶だけなのかもしれないのだが、指名手配中のカルロスは東京のどまんなかの地下に潜伏していて、地下水なども流れる道を通って、そこから関東山城一家の三代目組長の庭つきの屋敷や駐車場に出入りしたりするのだと私はずっと思い込んでいた。久しぶりにDVDで見直したら、そんな地下道などは出てこない。しかし、チャック・ウィルソンと竹中直人の執拗な追いつ追われつの殺し合いなど、マンションの地下の水道管などが突き出した暗いイメージの連続のせいか、すべてがまるで地下の錯綜した東京暗黒街の息づまる死闘のようだ。何がどうなっていようと不思議ではない奇怪な犯罪映画なのである。アロハシャツの殺し屋カルロスも最後はどうなったのやら。日本の警察に捕らえられたような気もするけど、記憶のどこかでは、いまもけろりとして誰か別の顔面模写やら形態模写やらをして生きのびているのだろうかと思われ、悪夢がいつまでもつづくかのようだ。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

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