映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”

第51回
『美女と野獣』

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。今回は、山田さんからいただいた洋画の原稿が2本分の原稿量になりましたので、1本立てのスペシャル版です。その1本とはジャン・コクトー監督の名作『美女と野獣』です。コクトー監督が歌舞伎の「鏡獅子」の影響を大きく受けたという興味深いエピソードとともに、この幻想的で美しいフランス映画を味わっていただきたいと思います。

紹介作品

美女と野獣

製作年度:1946年/上映時間:95分/監督・脚本:ジャン・コクトー/原作:ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン/美術:クリスチャン・ベラール/撮影:アンリ・アルカン/音楽:ジョルジュ・オーリック/出演:ジャン・マレー、ジョゼット・デイ、ミラ・パレリ、ナーヌ・ジェルモン、ミシェル・オークレール、マルセル・アンドレほか

 「美女と野獣と鏡獅子 尾上右近のフランス謎解きの旅」というテレビの特番(NHK-BS4K、2026年5月14日放映)を興味深く見て、ジャン・コクトー監督の『美女と野獣』(1946年)をどうしてもまた見たくなった。戦後公開された最初のフランス映画で、白黒作品だが、そのえも言われぬ幻想的な美しさに魅せられてフランス映画のファンになった人も多いといわれ、私もその1人と言ってもいいけれども、その後、何度も再上映された名作とはいうものの、画質がどんどん劣化して、戦時下の電気節約による光量不足にもめげず工夫を凝らしたという名手アンリ・アルカンのつむぎだす映像のピカピカと光り輝く美しさもほとんど真っ暗な画面になってしまったり(ほとんどが夜のシーンとはいえ)、テレビ放映の版もビデオ化された版も暗く劣悪で、音声もつぶれて、せっかくのジョルジュ・オーリック作曲の印象的な音楽もひどい雑音にかき乱されたりして聴くに耐えない、画面も見るに耐えない代物になっていたのだが、2013年に新品同様のネガが発見されたとかで新しいレストア(復刻)版によるブルーレイBOX(『詩人の血』『オルフェ』と3本の名作セット)が日本でも何年か前に出て(シネマクガフィン発売、紀伊国屋書店販売、マーメイドフィルム提供による名作シリーズである)、今回も久しぶりに見直して、うっとりと堪能し、感動した。

●驚異のお伽噺とも言えるコクトー監督の傑作

 原作は、ウォルト・ディズニーのアニメ化などでもよく知られるジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモンの同名のお伽噺。詩人のジャン・コクトーは彼好みの美男俳優、ジャン・マレーのために、野獣の役のほかに美女に恋する美男だが乱暴ないたずらばかりする若者アヴナンの役を付け加え、物語も原作よりもいっそうお伽噺らしく脚色し、映画化した。
 「このお伽噺は、前提(ポステュラ)に少年少女の持つ真心(まごころ)と善意を求めている。なによりもこのお伽噺を信じること、1本の薔薇(バラ)を摘むことが1つの家族を驚くべき事件にひきこんでしまいかねないということ、また、人間は野獣にも変身するし、その逆もありうるということなどを認めておく必要があるということだ。これらの不思議(エニグム)は偏見に(くみ)しやすく、疑いを抱き、得意になり、笑いで武装しがちな大人たちをはねつけてしまう。だが、ありえないことを表現してみせるのが映画だ」とジャン・コクトーは「美女と野獣 ある映画の日記」(秋山和夫訳、筑摩書房)の序文に記している。映画『美女と野獣』の冒頭にも同様の前書きが出てくる。安易に大人ぶらないこと、純粋な子供心を失わないこと、つねに童心に返れ、ということなのだろう。「映画は子供の芸術なんだ」とフランソワ・トリュフォー監督も言ったことが思い出される。
 映画は詩人のジャン・コクトーならではの「驚異のお伽噺」の傑作になった。「人間は野獣にも変身するし、その逆もありうる」などといった、バカげたと言われてもしかたがないような、こんな不思議な映画は(それも特撮トリックの怪奇映画のようなものではなく、堂々とした格調あるお伽噺のような映画だ)ジャン・コクトーのような茶目っけのある童心を失うことのなかった自由奔放な詩人にしかつくれなかっただろうと思われるほどだ。
 『美女と野獣』の日本公開は1948年で、同年日本公開されたケルト民族の説話にもとづく中世の悲恋物語「トリスタンとイゾルデ」をこれもジャン・コクトーがジャン・マレーのために脚色した(監督はジャン・ドラノワだったが)『悲恋』(1944年)と相俟ってジャン・マレーの日本初登場を瞠目させた。
 なんといっても——いま見ても——すさまじく強烈なおどろきは、ジャン・マレー一世一代の名演(?)として忘れがたい野獣である。野獣とその見事なメーキャップと言うべきか。ジャン・マレーもこの野獣の役には乗り気で、世にも醜悪な(しかし忘れがたい)このけだもののメーキャップには毎回入念に「5時間もかけた」という。「顔に3時間、両手に1時間ずつ。仮面はかつらのように、1本1本の毛がチュールに植込まれ、3部分に分けられており、それを貼り合わすのだ。私の歯は、気難しさを現わすため、黒ニスで何本かを塗り潰し、犬歯には金のとめがねでできた牙をそれぞれはめた」(ジャン・マレー自伝「美しき野獣」、石沢秀二訳・新潮社)。
 顔づくり(メーキャップ)が役づくりにもなっていたことがわかる。いかにも肉食獣の感じを出そうとしたらしい官能的なメーキャップぶりもすさまじい。

『風の中の子供』のイラスト

イラスト/池田英樹

●歌舞伎「鏡獅子」からの多大な影響

 この野獣のイメージの造形のヒントが遠く深くジャン・コクトーの歌舞伎見学から生まれたという秘密をさぐる旅の模様を描いたテレビ番組が「美女と野獣と鏡獅子 尾上右近のフランス謎解きの旅」であった。1936年5月、ジャン・コクトーが世界一周の船旅の途中、初めて日本を訪れ、6代目尾上菊五郎(尾上右近の曾祖父にあたる)の歌舞伎舞踊「鏡獅子」を観て感動、「これを見るだけのためにでも私はこの旅を試みたであろう」と感無量の面持ちだったという(西川正也「コクトー、1936年の日本を歩く」、中央公論新社)。NHK-BS4Kの特番ではジャン・コクトーが舞台裏に6代目尾上菊五郎を訪ねて挨拶するスナップショットも出てきて、そのときの案内役だった元外交官の柳澤健の著書「回想の巴里」(むかし私も古本で買った記憶があり、さがしてみたのだが、整理がわるくて見つからなかった)のページをひもといて尾上右近が朗読するところもある。ちょっと早口の朗読で声も低く、聞き取りにくかったが、ジャン・コクトーが6代目尾上菊五郎について「あなた方の名優は…」「その踊りは神業に近く…」と「夢中になって」語っていたくだりだった。のちにジャン・コクトーの映画『美女と野獣』を見た6代目菊五郎は、「あいつはあっしの真似をしてやがる」と感想をもらしたとのことだが、『美女と野獣』の評判が高く、ジャン・コクトーと歌舞伎座との日仏合作映画の企画が持ち上がったときには6代目尾上菊五郎も乗り気だったという。企画が実現する前に、1949年7月、6代目菊五郎は63歳で死去してしまうのだが……しかしながら、こうして、美しい妄想さながら、白頭の獅子が首を振り回し、身の丈ほどの長い房々とした真っ白なたてがみをダイナミックにゆさぶり、これぞまさに獅子奮迅、勇壮な狂いぶりを見せる6代目菊五郎の「鏡獅子」がジャン・コクトーの映画の野獣に乗り移ることになるのだ。
 因みに、6代目尾上菊五郎の「鏡獅子」は小津安二郎監督によって映画化もされている。映画化といっても舞台を中心にした実写(記録映画)である。題して『菊五郎の鏡獅子』。2巻ものの短篇(19分)で、井上和男編「小津安二郎全集[上]」(新書館)の解題にも記されているように「日本文化を海外に紹介するために財団法人国際文化振興会から松竹が委嘱されて製作したもので、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)所蔵のフィルムは、そのためかタイトルもナレーションもすべて英語」とのこと(「日本語バージョンは松竹大谷図書館に所蔵されているという」)。

 『美女と野獣』は1948年(たぶん日本公開直後に)、歌舞伎化されていることなども私は初めて——これもテレビの特番の情報で——知った。船橋聖一作「御伽(おとぎ)天龍城—室町の美女—」で、2代目市川猿之助主演の新作歌舞伎である。ジャン・コクトーの人気、『美女と野獣』の高評の余波というか、影響を反映した翻案ものの珍品だったらしい。

●最高の名優と称されたジャン・マレーの野獣ぶり

 「むかし、むかし、あるところに…」というはじまりから、映画『美女と野獣』は私たちを魅惑のおとぎの森にみちびく。野獣の棲む魔法の館では、壁からぬっと突き出た人間の腕が燭台を持ち、柱に埋め込まれた若い男の彫像の眼がまばたき、鼻から煙をはく。食卓からは手が出てきてワインをグラスに注いでくれる。中庭の花園には野獣の宝物を守る月と狩猟の女神、ディアナの石像が宝物を盗もうと壁をのりこえて入り込もうとする人間に弓を構えてあざやかに正確に矢を放つ。
 黒いマントに身を包んだ美女が白馬に乗って暗い森の奥深く進む。美女を演ずるのはジョゼット・デイ。野獣の館に入ると、美女は歩むことなく優雅なスローモーションでみちびかれ、白い大きなカーテンがはためく長い廊下を音もなく進む。「私はあなたのドアです」とドアが人間の言葉で挨拶をして、ひとりでに開いて美女を迎え入れる。部屋のなかでは、鏡もやさしく美女に話しかける。「私はあなたの鏡です。美女よ、あなたの考えていることを鏡に映してみせましょう」。
 美女の涙のしずくがダイヤモンドになり、農家で真珠の首飾りが欲張りでいやしい姉たちの手で美女の首からはずされると汚い縄に変わる。運命を変える一輪のバラ、遠くの見えない存在を映す魔法の鏡、思いのままに一瞬にしてどこへでも行ける魔法の手袋…。
 美女は父親を救うために自らいけにえとなって野獣の館に行くのだが、心をこめて、やさしく、ぜいたくに、美女を受け入れた野獣は、夜ごと美女に愛を告白し、結婚を申し込む。美女は野獣のまごころに心を打たれながらも、野獣の醜さを受け入れられない。いつまでたっても野獣あつかいする美女に野獣は迫る。「あなたは動物でもあやすように私をあやすのですね」。冷然として美女は答える。「だって、あなたは動物ですもの」。さりげなく残酷なせりふだ。
 こんな屈辱の苦しみにも耐えて、野獣は最後に美しい王子に変身し、美女を王妃に迎えて、すべてめでたしということになるのだが、美女はやはり、どこか、あの「醜いけれども心のやさしい」野獣をなつかしむかのようなのである。乱暴者のアヴナン、醜悪な野獣、魅惑(シャルマン)の王子の3役を演じたジャン・マレーも野獣の役がいちばん好きで、王子の役は嫌いだったという(魅惑(シャルマン)の王子なんて気恥ずかしかったのかもしれない)。「魅惑(シャルマン)の王子になって、観客もみんながっかりしたのを見てよろこんだものですよ」とジャン・マレーは語っていたとのこと。「ばけものの魅力も、何もかもジャンは知っていたのだ」とジャン・コクトーはジャン・マレーを最高の名優と称賛し、『美女と野獣』につづいて『双頭の鷲』(1948年)、『オルフェ』(1950年)とコクトー/マレーのコンビ作品を撮っている。
 今回は『美女と野獣』1本だけで時間切れ。日本映画は清水宏監督作品を前回から引き継いで『子供の四季』2部作を取り上げる予定だったのだが、長くなりそうなので次回まわしに——お詫びとともに。

「映画評論家・山田宏一の
“今月の二本立て映画」が
本になりました!

画像:書影

『山田宏一のとっておき二本立て映画館』

山田宏一著
草思社 3,400円(+税)

『WEB通販生活』の人気連載「映画評論家・山田宏一の“今月の二本立て映画”」に大幅加筆。とっておきの邦洋画86本のみどころやエピソードがギュッと詰まった、映画ガイド風エッセイができあがりました。読むだけで夢の世界に引き込まれること間違いなし。映画をこよなく愛する映画評論家、山田宏一さんならではの映画愛溢れる1冊です。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

この企画へのご意見、ご感想をお寄せください。

ご意見・ご感想はこちら

バックナンバー

映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”TOPへ戻る