
第55回
『狼の王子』『狼よさらば』
映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。今回は先ごろ亡くなった日活アクション映画などで有名な名匠、舛田利雄監督の追悼として、傑作の誉れ高い『狼の王子』を取り上げます。そしてもう1本は「狼」つながりで、チャールズ・ブロンソン主演の大ヒットアクション『狼よさらば』です。まさにかつての名画座のようなラインナップとなりました。ぜひお楽しみください。
紹介作品
狼の王子
製作年度:1963年/上映時間:104分/監督:舛田利雄/原作:石原慎太郎/脚本:田村孟、森川英太朗/撮影:間宮義雄/音楽:伊部晴美/出演:高橋英樹、川地民夫、浅丘ルリ子、石山健二郎、内藤武敏、垂水悟郎、田中明夫、加藤嘉、高品格、チコ・ローランド、河上信夫、鈴木瑞穂、木浦佑三、藤竜也ほか
狼よさらば
製作年度:1974年/上映時間:93分/監督:マイケル・ウィナー/脚本:ウェンデル・メイズ/撮影:アーサー・J・オニッツ/音楽:ハービー・ハンコック/出演:チャールズ・ブロンソン、ホープ・ラング、ヴィンセント・ガーデニア、スティーヴン・キーツ、ウィリアム・レッドフィールド、キャスリーン・トーラン、スチュアート・マーゴリンほか
舛田利雄監督の死亡記事(2026年8月26日、享年98歳)を新聞で読んで、追悼上映をするとしたら、まずは『狼の王子』(1963年)という忘れがたい若き日の高橋英樹主演の日活アクション映画だと思った。ビデオ化されてDVDでも見られるとのことなので、久しぶりに見るのがたのしみだ。それに合わせて、語呂合わせのように外国映画との2本立てにはチャールズ・ブロンソン主演の犯罪アクションもの『狼よさらば』(1974年)が思い浮かび、これもDVDで見られるとのことで、今回は思いがけない“狼”2本立てになったという次第だ。若々しく凜々しい『狼の王子』の高橋英樹に対して、『狼よさらば』のチャールズ・ブロンソンはちょっとくたびれた風情の中年男ながらタフで非情なハードボイルド・ヒーローに劣らぬすさまじさだ。見ごたえのある2本立てになったと思う。
●孤高の一匹狼が繰り広げるアナーキーなアクション映画の傑作
「裕次郎映画を監督/舛田利雄さん死去」という見出しの訃報(「朝日新聞」)であった。「石原裕次郎主演のアクション映画などで知られる映画監督の舛田利雄(ますだ・としお)さんが死去した。98歳だった。[……]1958年監督デビューの同年、裕次郎主演の『錆びたナイフ』が大ヒットし注目を浴びた。以後、『赤い波止場』(1958年)、『赤いハンカチ』(1964年)など数多くの裕次郎作品を撮った。1970年には降板した黒澤明監督に代わり米映画『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を深作欣二監督と共同で担当した。劇場版アニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ(1977-1983-2012年)のほか、『二百三高地』(1980年)、『ノストラダムスの大予言』(1974年)、『あゝひめゆりの塔』(1968年)など、広く手腕を発揮した。」
どんな映画でも見事に手際よく撮ってみせた巨匠、名匠のひとりであった。2008年には第33回湯布院映画祭で「何だって面白くしてやる!特集・舛田利雄のあくなき仕事」として『赤い波止場』『完全な遊戯』(1958年)『二百三高地』など10作品が特集上映され、監督本人出席のシンポジウムも開催された。
「日活アクション映画の華麗な世界」という名著もある映画評論家、渡辺武信はキネマ旬報「日本映画・テレビ監督全集」で手放しに称賛する——「舛田利雄は1950年代半ばから60年代まで、日活アクションの全過程を一貫して支え続けた作家であり、日活における作品数は実に53本の多くに上り、しかもその中には、日活アクション史にとって、また[石原]裕次郎、[小林]旭、[高橋]英樹、[渡]哲也らのスターのキャリアにとって重要な意味を持つ秀作、大作が数多く含まれている。裕次郎の『錆びたナイフ』『赤い波止場』、旭の『完全な遊戯』『女を忘れろ』(1959年)は日活アクションの定石が模索されていたごく初期のこれらのスターのアウトロー・イメージを確立したものとして忘れられない。中期においては『狼の王子』で英樹の新しいイメージを引き出し、『花と竜』(1962年)の華やかな時代絵巻で日活的任侠映画に先鞭を付け、[裕次郎の]『赤いハンカチ』でムード・アクションのパターンを定め、さらに末期においては『紅の流れ星』(1967年)で哲也をスターに仕上げ、続く哲也の『無頼より・大幹部』(1968年)でニュー・アクション路線を創始した。多数の作品がすべて佳作とは言えないにしろ、舛田作品には常に縦の構図とややケレン味のあるカメラ・アングルによる画面が的確なテンポで流れていく映画的なノリがあり、その安定した力量は稀有なものである。しかもこうした職人芸の境遇に安住せず、量産されるプログラム・ピクチャーの連鎖の中で自分の歌を唄う志を貫いた作家でもあった。彼のアクション映画の主人公は体制、組織、家庭からはじき出されることによって喪失したアイデンティティをいかにして回復するか、という点で共通する宿命を担っており、その“個”についてのロマンティシズムとでも言うべきテーマは、自我拡散の進行する1950-60年代の時代相を映しつつ、日活アクションに通底して奏でられる甘美なメロディのようなものになったのであった。」
『狼の王子』は、そんな日活時代の舛田利雄作品のなかでも、「日活アクションに通底して奏でられる甘美なメロディのようなもの」をずばり断ち切った独自の任侠映画で、その意味では最もアナーキーな調書のようなものとも言えるだろう。
映画は終戦直後の北九州の港湾都市、若松のどや街の点描からはじまる。浮浪児たちがうろつく闇市の情景は、たまたま漫画家の手塚治虫の自伝のドラマ化をテレビで見て、濱田髙志企画・監修の手塚治虫の豪華な漫画本の復刻版や文庫版のエッセイ集成なども読んだりしていたときだったので、「闇市の温もりから」という「わが思い出の記」(立東舎文庫)のこんな一節にそっくりだなと思った——「戦争が終わったとき、ぼく(手塚治虫)はちょうど20歳だった。『忠君愛国』『一億総蹶起』『鬼畜米英』などの勇ましい合い言葉がかまびすしくとびかうそれまでの世の中が、ある日突然に消失してしまった。[……]軍国主義と入れかわりに入ってきた民主主義なる代物も戦勝国の押しつけだけに、どこかインチキ臭いと思ったりもした。事実、ぼくらにとって民主主義とは焼け跡と空腹の生活の代名詞にほかならなかった。[……]しょっちゅう空き腹をかかえており、小金が入ればすぐに大阪駅前の闇市にとんでいってなにやら得体の知れない食い物を夢中で食べた。闇市は大阪から始まったといわれたが、この闇市には実になんでもあった。だだっ広い焼け跡に建てられたバラックには、なべ、かまはもちろんのこと、石鹸、洋服、米、砂糖、果物など喉から手が出るようなものばかりがずらりと並べられていた。闇市には物質的な飢えを充たしてくれる物だけでなく、現在の人間が忘れてしまっている人と人との結びつきのたしかな温もりやら、貧しさゆえの平等感覚やら、生活のしたたかな息吹やら、どす黒いエネルギー、かすかな自由の香りなど、人間にもっとも必要なありとあらゆるもの、精神的な飢えを充たしてくれるものが、そこにはあったような気がする。また、ヤクザ、売笑婦、浮浪児、特攻帰り、労務者、サラリーマン、学生、文化人と種々雑多な人種が出入りすることで人生の修羅場の観を呈してもいた。」
そして、もちろん、敗戦後の占領下だからGI(進駐軍の兵士)の姿も。『狼の王子』の浮浪児も黒人兵と仲よしになるが、1950年には朝鮮戦争が勃発して、出動していく。
映画の主人公、日下武二(高橋英樹)になる浮浪児は侠客(日下組)の親分、日下万蔵(石山健二郎)に拾われ、見込まれて、「野良犬には狼は倒せぬ。もっと強い狼になれ」と育てられ、日下組の若親分になるのだが、若松港で石炭荷役を牛耳る日下組と対立する加納組の若い衆(かつての浮浪児仲間だった)、立花銀次(川地民夫)とやり合って傷だらけになり、歩くこともままならぬ身になるが、親代わりの親分に叱咤激励されて無理矢理外へ連れ出されて歩かされる。そのいわばリハビリの隙を狙って、待ち伏せしていた加納組の刺客に親分は殺される——不意を衝かれた親分が折りから道路に沿って走る貨物列車に必死につかまってのがれようとするが無残に降り落とされるシーンは、育ての親を助けようにも助けられずに転倒するだけの高橋英樹の無念の苦しみと相俟って、涙なくしては見られない悲劇的な名場面だ。
まもなく犯人は逮捕されるが、証拠不十分で加納組が無罪の形勢となるや、高橋英樹は犯人と加納組のボス(田中明夫)を有無を言わせず射殺してしまう。3年の刑期を終えて出所した高橋英樹は、出迎えにきた代貸(加藤嘉)から、今や若松では加納組が羽振りをきかせ、手ぐすね引いて高橋英樹の命を狙っているから、すぐ東京へ行くように促される。東京である右翼団体に身を寄せて無気力な生活を送る高橋英樹は、新安保条約反対のデモの騒ぎのなかで、新聞社の取材班として働く葉子という若く美しい女(浅丘ルリ子)に出会って恋をし、同棲生活をはじめ、日常的な幸福に埋没するかに見えるが、かつての浮浪児仲間でヤクザになってからは喧嘩相手になり今は加納組の若手幹部となって男を上げたと自負する川地民夫の出現が、眠っていた高橋英樹の侠客の血をふたたび呼び覚まし、義父の石山健二郎にとことん忠実だった代貸の加藤嘉が日下組の再興を夢みて起ち上がったものの惨殺されたと知って、日常的な幸福をかなぐり捨て、孤高の一匹狼として死地に趣くという壮烈なラストシーンになる。

イラスト/池田英樹
●ニューヨークの犯罪を撲滅する“幻の狩人”ブロンソン
『狼よさらば』は1974年作品で、原題の『Death Wish(死を望む)』そのままに「デスウィッシュ」シリーズ全5作の1本で、まるでシリーズの最後のような邦題だが、これが大ヒットしてシリーズが生まれた第1作だった。第2作が1982年の『ロサンゼルス』(原題は《Death WishⅡ》)、第3作が1985年の『スーパー・マグナム』(原題は《Death Wish3》)、第4作が1987年の『バトル・ガンM-16』(原題は《Death Wish4 The Crackdown》)、第5作が1994年の『デスウィッシュ(狼よさらば)地獄のリベンジャー』(原題は《Death WishⅤ The Face of Death》)で最終篇になる。第1作から第3作までマイケル・ウィナー監督作品、第4作がJ・リー=トンプソン監督、第5作がアラン・A・ゴールドスタイン監督の作品である。
第1作のときがすでに53歳だったチャールズ・ブロンソンが73歳まで、最後の全盛期とも言うべき20年間をつらぬいて絶大な人気を誇ったシリーズだった。同時期(1971年から88年までシリーズ5作がつくられた)クリント・イーストウッド主演の刑事サスペンス・アクション『ダーティハリー』シリーズをもしのぐ人気シリーズだったと思う。ともに残虐な犯罪がはびこる大都市の治安を維持できずにいる無力な警察に失望した主人公が自らの手で悪人を裁き、処刑するという点では同じ映画ジャンルと言っていい時代の流行を反映した作品群だった。ともに、いま見ても、第1作が時代を超えて、シリーズ中、圧巻の面白さではあるのだが。
『狼よさらば』の主人公はニューヨークの中枢、マンハッタンに住む中流階級の模範的市民、大手の土地開発会社に勤める建築家で、金銭的にも豊かで、最愛の妻(ホープ・ラング)と何不自由ないしあわせな生活を送っている。一人娘(キャスリーン・トーラン)はすでに結婚していたが、その日は帰省していて、午後、妻とふたりで買い物に行き、帰宅した直後、突如、家宅侵入した3人組の凶暴な強盗に襲われ、妻は殺害され、娘はレイプされて衝撃のあまり重度の精神障害を患う。主人公のチャールズ・ブロンソンが会社に出かけていた不在中の出来事である。廃人同様になった娘は入院したきりになり、妻の葬儀後に警察に捜査状況を聞きに行ったチャールズ・ブロンソンは、容疑者特定の目途すら立っておらず、凶悪事件が多発するニューヨークでは警察の手が足りていないと弁明する担当刑事のふがいなさに愕然とするばかり。
生き甲斐を失って意気消沈していたブロンソンが失意のどん底から立ち上がるのは、あるきっかけ——住宅開発の仕事の依頼人でガンマニアの地元の名士から餞別として拳銃と弾薬のセットを贈られたこと——からだった。拳銃を懐に忍ばせて夜道を歩くブロンソンは、銃を向けて自分を襲ってきた強盗を思わず射殺してしまう。自宅へ逃げ帰ってショックのあまり激しく嘔吐するが、この思いがけない行動がカタルシスになって、やがて彼は夜な夜な街を散策し、自分に襲いかかる強盗や暴漢を次々に拳銃で処刑していく。警察はもちろん、この謎の処刑人を糾弾し、危険な連続殺人として告発するが、世間は、メディアも市民たちも、街のダニ(害虫)退治さながらのこの “アマチュア刑事”の殺人行為を正義の銃弾とみなして支持し、無能な警察をあざ笑う“幻の狩人”が天に代わって不義をうつとはこのことだと賞賛。ニューヨーク警察のベテラン警部(ヴィンセント・ガーデニア)が、この正義派の連続殺人を個人的な復讐目的の自警主義的な犯行と見抜いて“アマチュア刑事”の正体を絞ってブロンソンにたどりつき、その証拠も見つけるところまでいくのだが、検察と警察署長はこの“アマチュア刑事”の活動によって街頭犯罪が半分にまで減っている事実を無視できず、警察への市民感情の悪化をおそれて、ブロンソンの逮捕状請求を棄却し、事を荒立てず公けにすることなく、“幻の狩人”ブロンソンを街のダニどもの処刑行為から自主的に引退させるように処理せよということになり、“アマチュア刑事”ブロンソンの尻尾をつかんだニューヨーク市警のベテラン警部はくやしがるが、やむを得ず彼の罪を見逃し、ニューヨークから去るように命じる。こうして、ニューヨークから追い出されたブロンソンが新しい街の駅に着いて、ここでも凶暴なチンピラどもに遭遇し、出迎えの見張りもいるので身動きはできないものの、「そんな乱暴をしてただでは済まんぞ」といわんばかりに指鉄砲を向けて不気味な笑顔を投げかけるところでラストシーンになるのだが、すでに見事に続篇を暗示して、観客もニヤリとさせられる幕切れだ。

イラスト/池田英樹
「映画評論家・山田宏一の
“今月の二本立て映画」が
本になりました!
『山田宏一のとっておき二本立て映画館』
山田宏一著
草思社 3,400円(+税)
『WEB通販生活』の人気連載「映画評論家・山田宏一の“今月の二本立て映画”」に大幅加筆。とっておきの邦洋画86本のみどころやエピソードがギュッと詰まった、映画ガイド風エッセイができあがりました。読むだけで夢の世界に引き込まれること間違いなし。映画をこよなく愛する映画評論家、山田宏一さんならではの映画愛溢れる1冊です。

イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。