コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第46回「香港の高齢者施設」

香港はあと20年もすると日本同様の「超高齢社会」に突入する。

神足裕司(夫・介護される側)

日本との大きな違いは介護保険のような政府主導の制度がないことだ。

 今回の旅は「香港」。昨年の11月から練りに練って下見やら打ち合わせやら、もう2回も訪れ、ようやく取材できることになった。それまで紆余曲折。お願いしていた方を介し全く存じ上げない方までが協力してくれて、香港のいろいろな場所を取材できるよう動いてくれた。感謝しかない。

 さてさて、今回どうしても伺いたいとリクエストしたところに「老人ホーム」がある。
 最近「VR旅行」で有名な登嶋健太くんと旅をすることもあり、いろいろな国の老人ホームやそれに類した施設へ伺う機会があった。日本以外の高齢者たちは一体どう暮らしているのだろうか。日本以外で「これは!」と思う福祉用具はないものだろうか。ここ数年、旅をする際の興味はそこだ。

老人ホームが入るマンションの1階部分(写真・本人提供)

 香港はあと20年もすると日本同様の「超高齢社会」に突入するといわれている。
 2017年に女性初の香港特別行政区行政長官に就任したキャリー・ラムさんは「今から手をつけなければ大変なことになる」と高齢者福祉向上のために尽力された。巨額の予算を投じていろいろなことを進めている途中だそうだ。
 今回3つの老人ホームを訪問できた。日本から来たボクたちに対しその全ての老人ホームで「日本の高齢者施設は素晴らしいです。視察に行きました」そうおしゃって頂いた。「日本の施設や制度をお手本に色々やっているんだ」ともおっしゃってくださる。「日本の皆さんが私たちの施設を見に来てくださるなんて本当に嬉しい」といって大歓迎してくれた。

 取材は日本語を英語に、英語を広東語に。また時には2つの言語を介しての取材となった。取材許可が降りるまでの困難さを思うと、どれだけ厳しい取材になるか心配していたけれど、訪問予定時間をオーバーするほど互いに打ち解け、話ができた。
 ボクの病気発症前からの仕事や発症後の生活、仕事。どう生活して今があるのか。サンプルケースとしても興味を持ってくださったように思う。しゃべれないボクの手をとって、何回も何回も敬意を表してくれる。ビジネスの顔ではなく、暖かな人間の心を感じる。
 香港が置かれている高齢者福祉の問題や直面している問題は、もちろん日本でもささやかれていることに似ている。絶対的に違うのは、介護保険のような政府主導の制度がないことだ。
「じゃあ支援はどうやって?」と質問すると、日本でいう要介護認定のような介護度を算出してくれる場所があり、それに基づいてある機関が「あなたはこんなところに行ったらいいんじゃないか」と提案してくれるという。
「同じようだ」とボクが思っていると「日本のそれとは違います」と。「ケアマネージャー」という日本のシステムについて話すと「香港には個人1人1人に対して毎月プランを作るシステムはないですよ。もちろん所属団体の中でどうしたらいいか考えるシステムは持っていますが」といい、どこの施設でも発展途上だと話す。

 日本と香港の高齢者問題。現在の状況をボクなりに5つ挙げてみた。
1、
『日本』地域包括システム(ケアマネージャー)など国の制度を利用しての介護。生活支援を地域で提供する。
『香港』 NGOや宗教団体などが支援(政府主導の制度がまだない)
2、
『日本』独居老人の増加による孤独死や生活困難の問題。
『香港』家族が介護を担うのが前提の社会意識が根強い。
3、
『日本』社会保障費の急増で年金・医療介護財源の圧迫。
『香港』私営施設は高額。公営施設は待機リストが数万人。
4、
『日本』すでに超高齢社会で介護制度があるけれど、人材とお金が足りない。
『香港』もうすぐ本格的な高齢者社会がくるが制度がまだない。
5、
『日本』いろいろなタイプの老人施設がある
『香港』とにかく土地がせまい。施設の場所確保から課題が大きい。

 もちろん両国とも人材不足は大きな課題である。「日本の介護制度をお手本にしたいし、日本からお手本になるような介護士が来てくれたらなあと考えたりもするけれど、人件費が賄えないので難しいのですよ」とおっしゃる。香港の物価高は相当のものらしい。

 これから制度を作っていく香港は高齢社会を控え大変な局面のようだが、ボクはそんな香港の介護施設でいいなと思ったところがあった。
 拝見した施設はどれも超高層ビル住宅の2階や3階のワンフロアに作られている。1階は商店街。広場もあるしバスターミナルもある。住み慣れた自分の家の下のフロアへ移る、といった感覚だ。香港事情によって個室の部屋はものすごくせまい。けれど荷物も最小限。なんといっても自宅が上の階にあるんだから。家族もすぐに顔を出せる。伺った日も廊下を一緒に歩く親子の姿をたくさんみた。「自分の家に別の部屋ができた感覚だよなあ」と思ってみていた。お世話や食事を下の階でしてくれる、そんな感じだ。せまい部屋に悲壮感がないのは、そんな事情もあるのではないかと思った。「暖かさ」がどの施設にもあった。

香港の高齢者施設内(写真・本人提供)

 あと食事は美味しそうだったなあ。主食が3種類の中から選べるのも食の都・香港ならではの感じがした。取材したのは香港で中流ぐらいの施設らしい。しかし日本のボクらが月額で入るような金額では、とてもじゃないが香港の中流施設へ入れないらしい。(国からのバウチャー制度はある)
 香港も高齢者問題は深刻であるが、ボクの目にうつった高齢者たちは伸び伸びしているように見えた。そう話すと「問題はたくさんあります。神足さんが取材に来てくれたのでいいところをたくさん話してしまいました」とのこと。日本だってそうだけど、実情は目に見えている部分より厳しいのだろう。

訪問先の職員の方と一緒に(写真・本人提供)

香港はアジアの中にいてイギリス情緒も味わえる場所でした。

神足明子(妻・介護する側)

20年ぶりの香港で裕司が「どうしてもやりたいこと」

 裕司にとっての「香港」を5つ挙げると「食」「ペニンシュラホテル」「イギリスが垣間見られる」「アジアの混沌とした雰囲気」「夜の風景」だそうです。

 よく行っていたのは1980年代から2000年ぐらい。1980年代、日本ではまだ「アフタヌーンティー」の存在が一般的ではなく、帝国ホテルなどで「アフタヌーンティーの英国式メニューを取り入れてみて、どんなものか試しに行ってみようか」なんて時代だったように思います。
 本場イギリスのフォートナム&メイソン(老舗百貨店)でアフタヌーンティーを嗜むのを20代の私は憧れていたりしました。そんな時、イギリスよりずっと近い国・香港でそれを味わうことができたのです。
 香港のペニンシュラホテルで紅茶を飲みながらストリングカルテットの演奏を聴き過ごす体験は、私にとってフォートナム&メイソンで味わうアフタヌーンティーよりも特別感のある時間でした。高い天井、クラシックな内装、白いグローブをつけたスタッフの所作。「ここは本当にアジア?」と感じる、まさに英国植民地時代の余韻が色濃く残る体験です。
 元々裕司はイギリスが大好きで、古くからの書物で得た知識や洋服の着こなし、一つのものをずっと大切に使う気質だとか「ああ、そうなのね。お手本はイギリス式だったのね」ということが多々ありました。
 仕事でヨーロッパに出かけるときには、行きか帰りにわざわざトランジットで香港に寄ったりしていたみたいです。イギリス好きの裕司にとってペニンシュラは、アジアの中にいてイギリス情緒も味わえる場所だったのだと思います。

 当時は円高でドル換算だと80円という時期もあり、香港中がデューティフリー(免税店)で買い物天国。旅行業界では香港がどんどん人気エリアになっていきました。

 それに加え香港といえば「美味しいものが食べられる街」としても有名です。当時「福臨門」という高級中華料理店が銀座にあり、裕司がグルメ記事の取材で訪れ「美味しかったので家族でも行こう」といって連れて行ってくれました。でも高級で高いのでランチに。その本店が香港にあり「ぜひ行ってみたい」と九龍サイドにあったその店に出向いたのでした。
 東京店のイメージからすると、古めかしくこじんまりとした静かな店で驚いた覚えがあります。東京はたくさんの座席にきらびやかなイメージがありました。
 お料理は確かに美味しい。裕司がフカヒレ入りの餃子スープをランチに頼んでくれて「フカヒレもさることながら金華ハムでちゃんと出汁をとっているスープで、ものすごく手間暇をかけているんだ。コストパフォーマンスだってすこぶるいいメニューだよ」と取材の成果を披露しつつ、私たちに美味しいものをチョイスしてくれました。
 そこの本店です。期待も高まります。「本場だから日本よりちょっとは安いかもしれない」そう思って出かけました。
 ところがメニューを見ると、桁が1つも2つも違うのです。あわび、フカヒレの姿煮。小さなカップに入ったそれを美味しそうに味わっている高齢の紳士が1人で食事をしていました。
「あれだけを食べにきているんだろうな」裕司はそう納得したようで、冷静に見回していました。私は場違いの高級料理店に入ってしまったようでドキドキしていました。予算はすっかりオーバーしているけど大丈夫なのだろうか。
 静かでタイムスリップしてしまったような店内は広東語しか通じないのに、なんとなく裕司と会話が通じている様子。親切に話し合い、美味しいフカヒレと料理を出してくれた思い出。

 1歩外に出ればアジア独特のいろいろ入り混じった匂いとムッとする暑さと騒がしさ。広東語や時には北京語で「喧嘩しているのか」と思うような会話が飛び交い、夜店では得体の知れない何かが売られていて狭い通路に人がごった返している。そんな裏路地で「ああ疲れた」といって入ったなんでもない店がすごく美味しかったこと。その店に次の年もう1回行こうと試みたけれど行きつけなかった記憶。

 イギリスの食器が安く買えたのでティーカップを6セットもハンドキャリーで買ってきました。「夜は怖いかも」といいつつ名所の丘に登ってみた美しい夜景。
 子供たちとクリスマスも過ごしました。そうそう余談ですが、クリスマスに高倉健さんと朝食のロビーでお会いして、また次の年も同じ場所の朝食で再会しました。健さんが覚えてくださっていて「去年もお会いしましたね」とお話した、すごい体験もあります。
 とにかく香港にはたくさんの思い出が詰まっていました。

 今回は香港の高齢者施設を訪問するお仕事が決まり、20年ぶりの香港で裕司に「どうしてもやりたいこと」を尋ねると「ペニンシュラでアフタヌーンティーとスターフェリーに乗ること。荷車で運んでくる飲茶」だとのこと。
 もう行くこともないだろうと思っていた香港に、裕司としかもお仕事で行けるのですから、こんなに嬉しいことはありません。「それは叶えたいなあ」と思いました。
 思いのほか仕事のスケジュールが立て込んでいて、この3つもあやぶまれましたがなんとかクリア。昔と違って香港は世界で1、2を争う物価高。昔のように買い物天国ではありませんが30年前によく行ったイギリスのスーパーも健在でした。そこでイギリスのものではなく、なぜか今回はイタリア・ドルチェ&ガッバーナのパスタを購入。ドルチェ&ガッバーナのパスタなんて初めてみました。
 お買い物はそれぐらい。ペニンシュラのXO醬をお土産に、と思ってみに行きましたが「高いなあ」と手が届きませんでした。それでも久々の香港はあまり変わっていないように見えました。しかし今まで行かなかった地区は大きく様変わりした様子。ニュータウンとして生まれ変わり、知らない香港の顔をのぞかせているようでした。スケジュールが詰まっていていろいろなところには行けなかったのですが、香港の街を味わうことはできました。なんといってもペニンシュラのアフタヌーンティーが格別の味だったことは言うまでもありません。

荷車で運んでくる飲茶と香港の夜景(写真・本人提供)

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

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