<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第54回「ボクの年末」
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年末にやるべきことは地味で生活の延長線。
神足裕司(夫・介護される側)
年末は自分を振り返らないと次に進めないような妙な仕組みだ。
年末が近づいてくる。カレンダーの残りが少なくなると、どうも落ち着かない。昔なら「年末年始はどこに行くか」とか「特番が…」なんて騒いでいたけど、いまのボクにはそういう慌ただしさはない。代わりに「体と気持ちのほう」がざわざわしてくる。
年末というのは、いやでも自分を振り返らされる。振り返らないと次に進めないような、妙な仕組みだ。だけど、そんな大げさなことじゃなくて、生活の手前でやることが今年もいくつかちゃんとある。
1. まず、今年のボクをちゃんと認める
年末になると、ボクは毎年「今年のボク」をひとまず認める作業から始めている。認めるといっても、別に表彰式をするわけじゃない。鏡を見て「まあ、こんなもんだろう」とつぶやくくらいだ。
「今年はよく頑張った」とか「今年はしんどかったな」とか。体の動きが少し減った日もあったし、逆に「まだこんなことができるんだ」と思える日もあった。
いい日も悪い日も、ぜんぶ含めて「これが今年のボクだったな」と、そう思っておく。年末の「準備体操」みたいなものだ。
2. 家の中の「ちょっとした困りごと」を片づける
大掃除、なんて言葉はもう使えない。そんなに動けない。でも小さな困りごとは年末に片づけておくと気持ちが軽い。
・リモコンの電池をかえる
・薬のケースを新しくする
・明子が「はやくやってよ」と言い続けている書類にサインする
・車椅子のネジの緩みを見てもらう
・冷蔵庫の「忘れ物ゾーン」を明子に指示しながら整理する
こんなとこだ。些細だけど、生活の「つっかえ棒」みたいになっているものを、ひとつずつ倒していく。やり終えると、妙にスッとする。年末にやっておいてよかったと思う。気持ちの大掃除だ。
3. 来年の旅の「夢だけ」は続けておく
体の状態を考えたら、行けるかどうかはわからない。だけどボクは「夢の段階」の旅をやめない。年末はそれを軽く棚卸しする。ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドン、パリ、フィンランド。UCLAを見に行きたい気持ちもある。ラスベガスで毎年吸っていたあの乾いた空気も思い出す。明子と行ったイギリスで仕立てたスーツの店の前も、地図の上でひっそりと残っている。
旅の下調べは、行かなくても楽しい。むしろ、いまのボクには調べている時間こそが旅だ。年末は「少し時間に余裕ができる」くらいの気持ちで、動画を眺めたり、地図を広げたりする。それで十分だ。
4. 家族への「ありがとう」を溜めておく
これは、かっこつけずに言えばただの反省会だ。
人の手を何度借りたか。息子夫婦にも、孫にも助けられた。取材に付き添ってもらった日。車椅子を押してもらった日。ただ隣に座っていてくれた日。年末にそれを思い返すと、なんとなく胸がつまる。うまく言い表せないけれど「ああ、今年も支えられて生きてきたんだな」と実感する。
口に出して言うのは照れくさい。だから、年末には「ありがとうの在庫」だけ心の中で増やしておく。年明けに少しずつ渡すつもりで。
5. 書き残しのメモを整理する
ボクの机には、読めるのか読めないのかわからない字で書かれたメモが散乱している。「広島 水内川」「明子の話」「味覚のこと」「VR」「旅の気配」
年末にはそれを整理する。整理といっても、捨てたり分類したりするんじゃない。ただ、もう一度読み返して「これは来年書こう」「これはもういいか」を決める。
書き残しがあるのは恥ずかしいことじゃなくて「まだ生きたいと思ってる証拠」だと最近は思う。
6. 食べたいものをひとつ選ぶ
年末は、どうしても思い出の味が恋しくなる。ふーみんのにんにくそばを思い出す日もあれば、広島のお雑煮の味が頭に浮かぶ日もある。体に合わせて食べられるものは限られているけど、その中でひとつだけ「今年のごほうび」を決める。食べる量じゃなくて「食べたい」という気持ち。それがまだ残っているなら、それだけでボクは十分だ。正月に何を準備しようか。
7. 来年の自分に「余白」を渡しておく
年末は、キチキチに計画を詰めすぎると息苦しくなる。だからボクは、わざと「来年の宿題」を残しておく。
・まだ読んでいない雑誌の切り抜き
・旅の候補地
・書けそうで書けなかった話
・孫とどこに行きたいか、のメモ
これらを、あえて「未完成」のまま置いておく。来年のボクが手に取って「よし、少しやってみるか」と思えたらそれでいい。
完璧な年末なんて、もう必要ない。余白があるほうがボクにはちょうどいい。
8. 静かに「来年も生きるぞ」と思っておく
年末だからといって特別な決意はいらない。ただ、小さく「来年も生きるぞ」と思っておく。それだけでいい。
ボクはもう、強がって「大丈夫です」と言う必要もないし、がむしゃらに走るわけでもない。体は年々ゆっくりになっていくけれど、それでも「家族と笑いたい」「どこかへ行きたい」という気持ちは残っている。その小さな気持ちを温めながら年末を迎えられたら、それだけで十分だ。
まとめ:年末にやることは、たいしたことじゃない
結局のところ、ボクが年末にやるべきことは派手じゃない。むしろ、地味だ。生活の延長線だ。
・今年のボクを認める
・小さな困りごとを片づける
・来年の旅を夢だけでも準備する
・家族への「ありがとう」を溜めておく
・書き残しを整理する
・ごほうびの味を決める
・来年へ余白を残す
・静かに「生きよう」と思っておく
これが、ボクの年末だ。カッコよくもないし、ドラマチックでもないけど、こうやって今年を締めくくれれば、それでいい。

年末の町と神足さん(写真・本人提供)
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介護は「一方通行」じゃない。
神足明子(妻・介護する側)
父や母、叔母、裕司たちの存在に、私はどれだけ支えられてきたんでしょう。
今年の年末はいつもと全く違います。つい一週間ほど前に、同居していた父が亡くなったのです。葬儀もこれから。厳しくて、不器用で「昭和そのもの」の父でした。幼い頃から厳格な父でした。
私の介護は4人分。裕司、父、母、叔母。今日は誰にどんな風にして動けば良いかを考えるだけで、朝から晩まで、まるで呼吸のように体が動いてしまう日々でした。「1日が36時間あっても足りない」何度もそんなふうに思ってきました。
そのうちの一人が、急にいなくなったのです。軽くなるどころか、胸の奥にぽっかりと穴だけが広がっていくようで、気持ちの置き場を見失います。
「やること」が減ったんじゃなくて「誰かと一緒に生きること」が一つ消えてしまった。その実感が、思っていたよりずっと寂しいものになりつつあります。
父は、普段はとにかく強がりで「忙しいなら来なくてよい」とよく言っていました。それでも私が病院や施設へ行くと、照れたように嬉しそうにしてくれて。ほんの少し身体を起こしただけで、私のほうが助けられるような笑顔をしてくれた。ハイタッチまでしてきました。
「お前は忙しいんだから、後でよいよ」そう声をかけられるたびに、張りつめていた自分の気持ちがゆるんで、同時に「ちゃんとしないといけない」と思い直す力にもなっていました。亡くなった後、施設から返ってきた荷物を整理していたら、父が使っていた下敷きの中に、私たち神足家の家族写真、弟家族の写真が、そっと挟み込むように入っていました。
あれだけ「忙しいんだから会わないでよい」と言い切っていた父が、最後の最後まで、家族の写真を手元に置いていた。その事実を見た瞬間、息が止まるほど泣けてきました。父にも、寄りかかりたい気持ちがちゃんとあったんだ。あたりまえです。「ただ、それを言葉にできなかっただけなんだ──」そう思ったら、胸がぎゅっとなりました。
そんな中でも日常は普通に流れていきます。叔母からは「いつこれる?」とのコール。
父の葬儀のこと、母の体調、叔母の細やかな変化、裕司の1日のリズム。ぜんぶ頭に入れたまま動く日はきついけれど、ひとつでも崩れると、どこで息をしたらいいのかわからなくなることもあります。
でも、裕司の文章に触れると、すこし肩の力が抜けるんです。「余白を残していいんだ」と言われているようで。私はまだ余白をつくるのが下手だけど、裕司の余白の中に、私がそっと入ればいい。そう思えるだけで、どこか救われます。介護は「一方通行」じゃないと。
私はずっと、自分のことを「介護する側」と思い込んでいました。でも父の写真を見つけたとき、ふと気づいたんです。
父は最後まで私を案じていた。母も、叔母も、裕司もきっとそう。世話をしているつもりでも、その人たちの存在に、私はどれだけ支えられてきたんでしょう。
介護は、一方だけが頑張るものじゃない。寄りかかり合う関係の中で、日々を回していく作業なんだな。ようやくそんなことが腑に落ちました。
年末に向けての片付けは、正直まったく進んでいません。気持ちの整理も、泣きたい日も、まだごちゃごちゃのままです。でも、それでもいいんだと思うようにしています。
父が手元に置いていた写真のように、本当に大切なものだけを、最後にそっとそばに残すのかもしれません。
介護の毎日は、忙しさのかたまりみたいです。けれどその忙しさは、誰かの命と暮らしに寄り添っている証でもあります。
父を見送ってもなお、私は明日もきっと、母の様子を見て、叔母の手をさすって、裕司の言葉に耳を傾け、また一つ「共に生きる」を積み重ねていくのだと思います。

祭壇の前に佇む神足さん(写真・本人提供)

神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。
