コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第15回「障がいについて」

障がいなんてない方がいいに決まってる。

神足裕司(夫・介護される側)

出演料をもらうのは悪いことなのか

 夏の終わりになると、24時間連続のチャリティー活動を行うテレビ番組がある。いつも観ているわけでもないのだが、今年はチラチラと拝見していた。
 まだ、健常だった頃、雑誌の取材だったか、このテレビ番組のことについてインタビューを受けたことがあった。

「○○さんは(何故か一人だけ名指し)、この番組に出演するのに推定で××円の出演料をもらっているらしいのですが、どう思いますか?」と、唐突に聞かれた。
「別にいいんじゃないですか?仕事なんだから」といったら、なんとなくその答えにがっかりしている様子。「寄付を募るその番組に、高額の出演料をもらっているのはいかがなものか」そんな感じの話だった。
 そんな取材を受けたのも、もうずいぶん前なことだけど、ボクの答えに誤解がないように話したい。

募金活動を行う長寿番組を観る神足さん。
(写真・本人提供)

障がいを持った人や家族が口にする「障がいは個性の一つ」に思うこと

 今年のその番組終了時点の募金総額は3億1819万4209円。
 番組をやって、それだけのお金を集めて、番組はそれを寄付する。
 製作費(出演料)がそこから出るわけでもないので、スポンサーがそのためにいる。そこに出たタレントさんたちが番組を作り盛り上げ、プロの仕事をして募金を集めるのだから、仕事としての対価をいただくことは悪いことではないとは思う。
 そのタレントが、寄付をする、しないはまた別の話だ。
 番組の中心にいる人は「障がいを持った人自身」かもしれないが、タレントたちが仕事をして、お金を集めるのも悪いことではないとは思う。

 もちろん番組自体の賛否については別問題だ。ただ、やらないよりも3億というお金が本当に障がいを持った人たちに使われるのなら、やる意味もあるんじゃないかなと思う。
 もう一つの批判の対象にあるのが、障がいを持った方々が出演することや、お涙頂戴的なことが過剰になってはいないか、ということだ。
 義父はテレビを一緒に見ながら「ずっと(24時間)障がいを持った人が出ていて、あんな小さな子までが一生懸命やってるの、見てるの辛くなってくるなあ」そういっていた。

「可哀想」とみるとそうなる。

 番組の中で何回も、障がいを持った人や家族が口にしていたことは「障がいは個性の一つ」「今の自分にできることをやりたい」「望むならやらせてあげたい」そこに出演している人たちの本心である。
 そこに至るまでの苦しみもあっただろう。これからそういう気持ちになれなくなることだってあるかもしれない。

 ボクのちっぽけな経験上の話だって「障がいなんてない方がいいに決まってる、個性の一つだなんてなかなか思えない」それが本心だ。
 けれど、そういう体になってしまったのだから、できることを最大限やっていくしかない。どうせならそれを楽しむしかない。これも本心だ。
 自分のできるパフォーマンスを見せることは、努力の塊だったり、自分の生きている証だったりする。
 誰にでもできることではない。価値があることは確かである。

いつも「障がいは100人いれば100通り」だと感じます。

神足明子(妻・介護する側)

意見や工夫を障がい者同士で交換できたら

 今回の原稿のテーマである24時間テレビ、「裕司がそういう感想を持ってみていたんだなあ」と原稿を見て改めて思いました。
 私は私で、我が家の「障がい者としての立ち位置」をテレビを見ながら考えていました。

 障がいを持っている人や、高齢者の家族って、例えば「家族会」みたいなものがよくあると聞くけれど、我が家の場合、あまりそういう知り合いすらいません。
 テレビを見ていると、「こういう仲間がいる」とか「こういうスポーツを通してのグループがある」とか、障がい者同士でも「仲間がいる」のをよく目にしました。もし、当事者同士、意見交換とかできたらもっと違うのかもなあと。

 例えば、くも膜下出血で半身麻痺になった裕司には、医療や看護・介護、マッサージやリハビリ、福祉用具の専門家や、その他医療看護の有識者や関係者の人がものすごくたくさんいらっしゃいます。
 そのほとんどが障がいや、高齢になっていない方。私のように「身近でみているが当事者ではない」そんな専門家とたくさん話します。意見を求められることもたくさんあります。「障がいを持った人の意見を聞きたい」「実際どうですか?」そんなお話もたくさんいただきます。

 率直に「こういう方がいい」「これってどうなの?」そんな話を伝えます。
 その意見がどの程度通るかわかりませんが、裕司や介護する側の私の率直な意見です。「こんなモニタリングをたくさんの方として、メーカーの方は努力されて商品はできていくんだなあ」といつも感心します。
 本当によく学んでいて。

 いつも感じているように「障がいは100人いれば100通り」。事例もたくさんあるでしょう。
「こんな工夫をしています」そんな話を聞ければ目から鱗のこともあるかもしれない。そうテレビを見ながら思いました。

裕司にとって一番いいものを考える

 裕司の数少ない脊髄損傷の車椅子乗りの友人が、同じ尿意を感じられない身体であるにも関わらず「オムツ使ってないよ」そう言って見せてくれたのは、排尿パックのようなものを繋げて尿を取るもの。
 そんなのも初めてみるものでした。
「外出していてもオムツ交換なんていらないんだよ」「へえ、そうなんだ」
 なんでそんな情報は入ってこないんだろう。

 旅をするにしても、オムツは半端ない量の荷物になります。同行者には「現地で買えばいいじゃないですか?」と言われるけれど「使い慣れたものが売っているのか」そんなことを考えて、介護する側としては、万全を期してしまうのです。
 車椅子の裕司を連れて、さらに大荷物。でもその友人が使っているパックがあれば荷物は激減します。その友人は「それが一番いい」と思っています。でも「本当にそれがいいの??」まだまだ知らないことがたくさんあります。

 裕司にとって一番いい(であろう)ものを推薦している。それは使用してみてわかってもいるつもりです。
 そして、いろいろ試して(自分なりにですが)「こんなのはこうだった」と原稿にしてお伝えすることを自分の使命とも感じている裕司です。

新しい機器の説明を受け体験している神足さん。
(写真・本人提供)

 テレビを見ていると本当に色々な障がいを持った方がいらして、「まだまだ奥は深いなあ」と感じたわけです。

 同じような立場の人たちがテレビに出て頑張っている姿の、ちょっと裏側を考えていた私でした。

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

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