<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第4回「オムツの話」
オムツには自尊心や尊厳やそんなことがいっぱい詰まっていると思う。
神足裕司(夫・介護される側)
「尿意が感じられない」それを理解して納得するのには時間がかかった
ボクは、尿意が感じられない。
病気になってしばらくした頃「そんなはずはない」って思ってもみた。それは、おしっこが出て、それが肌に伝わった感覚があるから。出た瞬間にはわかるのだ。
このことが「尿意ってものが自分にないのかどうか?」よくわからなくしていた。出たことがわかるんだから。何回も自分に言い聞かせてみたりもしたけど、やっぱり尿意は感じていないみたいだ。それを理解して納得するのに時間がかかったのだ。
気がついたら倒れてから1年以上経っていて、動けずに横たわっているだけの自分になっていた。「ちょっとみてみるね」とオムツをパッと開けられる。退院してきたばかりの時は、いたたまれなかった。病院で看護師さんに下の世話をしてもらっていた時はあまり感じなかったけれど(病気でそれどころじゃなかったってこともあるけど)自宅で特に妻に世話をしてもらうのは気恥ずかしかった。
体もほとんど動かないのに自然に体が妻のいる方向と逆の方に向く。
しゃべれない、動けないボクがほんのちょっと体を動かすことによって「ちょっと恥ずかしいかも」と表現しているのがバレちゃう。そんなちょっとした動きでも、妻には気持ちがわかってしまう。ますますお互い気まずくなる。と、、、、ボクは思っていた。
トイレ事情はそんな調子だったから、病院の先生も、退院を迎え入れてくれたケアマネさんをはじめヘルパーさんも、ボクがトイレを使うことなんて思ってもみなかった。トイレどころか部屋に置くポータブルトイレだって必要がないものだと思っていた。動けないんだから。
それがある日、車椅子でリビングに座っていた時、大便がしたくて踏ん張って顔を歪めてたんだと思う。「パパもしかしてうんち?」と妻。頷くボク。大慌てでトイレに連れて行ってくれて、トイレで大便をするのを成功させた。踏ん張っているのを妻が発見してくれればトイレでできるって寸法。この初めてのウンチ成功には、すごくすごく、家族全員で喜んだ。ボクも嬉しかった。できないと思っていたことができたんだから。
それからなんとなく、オムツを変えてもらうのも恥ずかしくなくなった。家族中でボクのトイレ事情がオープンな話題になったのだ。明るい嬉しい話になった。
妻の話を聞いてみると「最初はパパが嫌なのわかっていたから、ちょっとどうかなあと思っていたけど、大丈夫。うんちやおしっこが出てくれた方が嬉しい」という。
ありがたいことだ。妻の「嬉しい」は本心だとも確信していた。でも「ごめんね」といつも思う。
「トイレで大便はできるかも」とトイレの改装もした。
改装した家のトイレ(写真・本人提供)
なかなか頑張ってきたが結局、尿意が戻ってくることはなかった。ずっとずっとオムツの世話になっている。時には夜中にベッドのシーツまで換えなければいけない失禁もする。朝まで気がつかなければいいが、大体匂いで分かってしまう。そうすれば1時間コースで夜中にオムツ替えからシーツまで換える。申し訳ない。思えば長い長い期間の介護生活だ。まだ続く。
「なんでこうなっちゃったかなあ」と思うのは下の世話をしてもらう時と、しゃべれないこと
発病からは、10年経ったが、実はいまだにオムツ替えは慣れることはない。
妻は10年経っておむつ替えもベテランだ。だけど、替えてもらうってことに抵抗がないと言ったら嘘になる。替えてもらうときは目をつぶる。
オムツを替えの時は目をつぶる神足さん。(写真・本人提供)
あまり考えないようにしてるけど「なんでこうなっちゃったかなあ」そう思うことは、この下の世話をしてもらう時と、しゃべれないことだなと、思う。
色々できなくなっちゃったことはあるけど「後悔」という言葉を口にするとしたら、この2つができなくなったことかもしれない。寝返りも打てないぐらい体が動かなかったり、もちろん歩けなかったり、記憶障害や、食べる事が困難になったり。さまざまな、病気に見舞われたり。
自分でもびっくりするぐらいの変化があったけど、やっぱり一番は、よく聞くように「下の世話にはなりたくなかったなあ」だと思う。
自尊心や尊厳やそんなことがいっぱい詰まっているとは思う。これは今回明かす初めての本音ではある。
でもね、体がこうなってしまった以上、尊厳もへったくれもない。感謝あるのみだ。これも本音である。
「どうやったら自然な排泄を促せるか?」いつも頭から離れない。
神足明子(妻・介護する側)
パパの排泄の問題は、パパ以上に悩んでいると思う。
病気になって寝たきりになると何が大変かっていうと、食べることと排泄の問題だと思う。
食べることと排泄は、生きる上で呼吸をする次ぐらいに大切なことなんだと思う。口からものを食べられなくなった時も危機を感じたけれど、排泄問題がうまくいかないのも頭を悩ませる。
本人が一番辛いことはもちろんわかっているけれど「どうやったら自然な排泄を促せるか?」ほんといつも頭から離れない。3日間便秘で、気がついたら1週間出てない。そうなったらすごく焦る。何年か前は、腸捻転にもなってしまった。浣腸やら摘便やら薬の調整やら、ありとあらゆる手段を使う。訪問看護の方や、往診の先生とも薬の飲ませ方なんか綿密に相談している。
「私は医者か?看護師か??」と思うほど薬にも詳しくなった。「今日はもう一錠これを増やしてみよう」なんて私が様子を見て調整する。先生の指示通り、薬局の薬剤師の方にも相談して増やしたり減らしたり。
薬を増やした途端下痢になってみたり。便秘も辛いけど、下痢は皮膚が爛れたり、本当に辛い。そして、それはすぐになる。あっという間におしり「まかっか」になる。毎回お風呂に行って洗ってあげたいぐらい。一度下痢になると数回続き、本当に辛そう。トイレも間に合わなくなる。便秘も辛いけど、これもまた辛い。
最近では訪問看護師さんに摘便をしてもらう。定期的に出してもらうのだ。私は、今でもそれがいいことか悪いことかわからなくなる。
摘便をしてもらう前は、かろうじて自分が出たいと思った時に、顔の表情の合図でトイレに行って大便はできていた。成功した時は、パパはへとへとになっていたけれど、私はすごく嬉しかった。「大仕事を終えてご苦労様です。スッキリした?」週に1回か多くて2回、頑張ってトイレに行けているパパに付き合うのが嬉しかったのだ。それがすっかりトイレに行かなくなっちゃったのですから。なんかなあ。。。。できている機能をあえてやらないのは、こちらの都合なんじゃないかって思ったり。体が悪くなるから仕方がないって諦めないといけないことなのか。
パパの排泄の問題は、パパ以上に悩んでいると思う。毎日頭から離れないって言っても過言では無い。
トイレでの排泄を頑張る神足さん。(写真・本人提供)
私は全く気にならないけれど、パパはやっぱり抵抗があるみたい
病気を発症して初めて家に帰ってきて、オムツを替えなければいけなかった時。病院でも何回も練習してきたはずなんだけど、家のベッド上でオムツをパッと開けた時、動けないはずのパパの体が私と反対側に少し向いた。ほんのちょっと。「ああ、嫌なんだな」って思った。そしたら私も突然恥ずかしいような気持ちになって。でもそんなこと言ってる場合じゃない。私の方が強固な気持ちで「はい!!パパ今替えるからね」テキパキ!!!とやってるつもりでも、なんとなく恐る恐るやっていたんだろうな。気持ちは伝わっちゃう。
毎日の必需品。(写真・本人提供)
退院後、初めて家のトイレで大便を成功させた日を境目に、パパのトイレ事情は、我が家にとって「明るい今日の嬉しい報告」って感じの話題になった。それからなんとなく、オムツ替えも気の許せる間柄になれたかなって思う。私はもう全く気にならないのだけど、パパはやっぱり抵抗はあるみたい。それもうっすらわかってはいるんだけど、それは仕方ない。なかったことと思ってもらって清潔に過ごせるようにしていきたい。
そう、私をそのときは看護師さんだと思ってくれればいいかな。
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。