<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第31回「断捨離」
「好きな物に囲まれて生きていく」と決めていた。
神足裕司(夫・介護される側)
いつか「そんな日が来るんじゃないか」と少しずつ断捨離だ。
明けましておめでとうございます。
「今年の抱負って何かありますか?」と聞かれ色々考えてみた。
「今までと違う自分を作ってみたい」そう思ったりもしている。「今までとは大変身」なんてこの年で、できるのだろうか?今までと違う自分といっても車椅子のボクが変われるわけでもなく。でもいいことを思いついた。もう生きてきて66年、一度も思ったことがない「断捨離」だ。
ボクは、元来「好きな物に囲まれて生きていく」と小学生の頃から決めていた。
こだわって、それなりに生きてきたつもりだ。洋服も値段ではない。好きな一品を長く着るタイプだ。持ち物だって妥協して買うなんて嫌だったから、とことんこだわって、じっくり待って探して、海外に出かけた時に買ってくる、なんてことまでしていた。が、自分で買い物のすべてまでコントロールいかなくなって(いや妻に文句をいっているわけではありません)こだわりなんていってられなくなりました。
こんなに寝ている時間も長くなって汚すことも多い。洗濯の量といったらほんと申し訳ない。どうも寝たきりだとよく別な匂いがしやすくなるってことで、本当に妻はその点で神経質になるのだ。だから洗いやすい•乾きやすいもの中心で家の中のものは選ばれる。
昔のように、自宅用にはフィッシャーマンズセーター1枚とお気に入りのフリースの上下だけでいいや、なんていってられない。「そんな厚ぼったいセーターなんていつ着るの?」だし、お気に入りの上下1枚ではやっていけないらしい。それでも最大限「パパの好きそうなやつ」を選んでくれているらしいが昔のように愛着を感じられないのだ。ちょっと汚れちゃったら処分の対象になる。ボクの意義に反している。
今の生活形態と違うってことはわかる。でも見向きもされない服は「次の場所で活躍してもらう」としてボクの家からは断捨離の対象。
あと本当にこれは絶対捨てられないと思っているものに「愛着のある本」というジャンルがある。我が家は本に埋もれているような家だけど、どうしても捨てられないのだ。
どんなに煩雑になっていても「あの本はこのあたり」なんてわかるほど、その本がある場所もわかっていた。が、もうそれの何ページの何行目のあの一説、なんて何かの折に開くこともなかなかなくなった。
今でもそのまま二階にしまってあるが、いつか「そんな日が来るんじゃないか」と、そろそろ少しずつ断捨離だ。ボクが選ばなければ、誰もお別れをいうことができないはずだ。ああ、断捨離をして家の中の荷物が半分になった時の気持ちよさを想像しよう。できるかなあ。やらなければだ。
たくさんの本と断捨離中の服。(写真・本人提供)
障害を持った裕司がいたら地震や事故の際どうするのだろうか。
神足明子(妻・介護する側)
息子家族は不安な一夜を過ごしたようです。
新年から痛ましいニュースが入ってきました。被害に遭われた方々、お見舞い申し上げます。
ニュースが流れてくる度に「我が家だったら」と考えてしまいました。
1月1日の能登半島地震では我が息子家族も新潟駅で地震にあいました。新潟にある息子の妻の実家から東京へ帰る途中の出来事です。新潟駅から在来線に乗って帰るその実家にはすぐに戻れず、新潟駅の中で「津波が来る」そんな恐ろしい情報だけが入ってきて右往左往。話に聞くと大きな被害があった地域ではなかったようですが、それでも何件も何件も電話して、ようやくその夜を過ごすホテルに入れたそうです。1歳と3歳の子供を連れ居場所を確保し、食料の買い出し、おむつも足りない。そんな不安な一夜を過ごしたようでした。
裕司が一緒だったら?まだ、エレベーターの使えないホテル4階の部屋へは行けたのでしょうか?大人用のおむつは買えたのでしょうか?駅で野宿をしたのでしょうか?
そこを通過しているだけの縁もゆかりもない人はどうすればいいのか?きっと途方に暮れていたと思います。
東京の私とかろうじて繋がるLINEでやりとりしていると、「みどりの窓口へ聞きに行ったら、まだ新幹線復旧の目処は立ってないって」「あら?今ニュースで明日には復旧と言ってるけど」
現地の混乱が伝わってくるようです。能登の方に比べたら取るに足らない経験だったかもしれませんが、それでもその晩は長い長い夜でした。
飛行機で非常事態のとき裕司をスライダーまで運べるのか。
次の日になると、日本航空の事故。騒然とした機内を写す映像も流れてきます。
そう、障害を持った裕司が飛行機に乗るときは「お手伝いが必要な方」の枠で一番先に搭乗します。そして一番最後に降ります。
非常口付近の席には万が一の時に客室乗務員に混じってお手伝いをしてくれる方が限定で座ることになっていたと思います。足元が広いのであえてそこを選ばれる方もいらっしゃると聞きましたが「非常事態のときはお手伝いをする」という口約束の元で、なのです。国際線の場合はその座席に座ると、「注意事項を読んでください」と言われた記憶もあります。非常時にまずやること、ハッチが空いたらドアの両脇に立つなどして一人一人を誘導すること、など細かく書かれていた記憶があります。
なので裕司たちはそこにはもちろん座れないと最初に説明を受けることになるのです。
今回の飛行機にも2名の「お手伝いが必要な方」が乗っていたと聞きました。歩ける方なのか、そうでないのか明らかではないですが、その方たちも、もちろん無事に脱出できたわけです。
飛行機に乗る際のチェック項目には、「自力で歩けて階段の上り降りもできるが長距離は歩けない」「自力で歩けるが階段の登り下りはできない」「歩けない」といったような段階別チェックがあります。客室乗務員にもその情報は共有されているそうですが、身の回りのことができない場合は介助の方が必ず同じクラスに同乗していることが条件となっているのです。もちろん「脱出が必要な際の介助もお願いします」と注意事項にも書いてあります。
「周りの方にお願いしてあのスライダーまで一緒に運んでもらうしかないけれど、私の怪力でどうにか非常口までは抱いていけるかしら」など今回真剣に考えました。
日本航空で客室乗務員などは、自分の誕生日月の前後で必ず一年に一回、非常訓練が行われるそうです。何年か前からは、一人で脱出できない方のための訓練もされていると聞きました。
「スライダーを降りても歩けない裕司はどうするんだろう。車椅子もないだろうに」と色々疑問も湧いてきます。「色々な方に助けていただかなくてはいけないのだなあ」と深く実感しました。
今度飛行機に乗るときは、もうちょっと色々詳しく聞いてみようと思っています。
空港での神足さん。(写真・本人提供)
※ 神足さんの「断捨離」というテーマを受けて介護する側視点の記事をお届けする予定でしたが、正月早々大きな出来事があり「有事の際にどうすべきか」を考える機会となりましたので、内容を変更させて頂きました。
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。