コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第10回「どこまでやれるか」

我が家の周りは「スパルタな過保護」であふれている。

神足裕司(夫・介護される側)

ボクと同じような症状で自主的に仕事をやるのは根性がいる

 まあ、ボクの周りはかなり過保護である。しかもスパルタな。

 もしも、ボクと同じ病気を発病して一人暮らしだったら。施設に入るか、、、自宅でヘルパーさん達に来てもらい、ほぼ寝たきりの生活を送っているか?
 つまるところ、ボクは家族がいるから今の生活が成り立っている。仕事もわずかながらできるし、旅にもいける。

 最近、知人が同じような病になってしまった。ボクよりずいぶん症状的には良さそうに見えるけれど、一人暮らしだったため施設に入った。ボクより若い。60歳ぐらいかな?
 お見舞いに行くと施設の生活は快適で「仕事もしなくなったが、のんびりできているよ」という。「仕事手伝って」そういうと「神足さんの仕事ならいつでもやりますよ」そういってくれる。
 難航している書き下ろしの原稿を持っていって意見を求めるが、なかなかできてはこない。やっぱり施設の生活の流れで、自主的にやらなくてもいいようなことをやるのはなかなか根性がいる。わかるような気がする。

 ボクの場合は、「もうこれやらなきゃいけないから、締め切りがせまっています」そういって妻が素材を出してきて、机の上に広げてくれる。資料も広げてくれる。必要ならウェブで調べてくれるし、取材時の録音も何回でも流してくれる。写真も見せてくれて「この人はこう」とか説明もしてくれる。程よい距離感で、でも「締め切りに遅れるよ!」と有無をいわさず「書いて!」といわれているようなものでもある。

 そうでなければ、ふとした瞬間筆は止まってしまう。集中して今のように書いている分にはいいのだけれど、途中、何かに気が逸れたら、原稿は台無しだ。ほとんど最初からやり直しなぐらい、書くことを忘れてしまう。
 筆が止まる。妻が促してくれなければ、そのまま違う妄想の世界に入ってしまうこともある。

 食べている時も、ふと違うことを脳が考え始めると、食べることを忘れる。色々なことを一度に考えられない。それが「自分の今」だということがわかるまで数年かかった。今でも実際のところは分かってないのかもしれない。
 病とうまく付き合って特性を理解しなければ、できないことは増える。トイレに行けるか行けないか問題も、どこまでやるか?「自分の体を言い訳にできない」と決め込んでいることもたくさんある。

一人だったら諦めていたかもしれないことにもチャレンジできた旅

 最近旅に出たとき、陶芸をする機会があった。「左手もほとんど動かないし、体を前に倒すのだってムヅカシイ。陶芸のろくろを回して器を作るなんてできないよ」今回の旅でもボクは諦めムード。
 けれど、周りが「やりたいの?やりたくないの?」そう聞く。「やりたいけど、できないだろ?」「じゃあ試してみよう」
 提案者の同行者も陶芸家の島田先生も妻も前向きだ。消極的になることはまずない。「できなかったらその時考えれば?」という。まあそうなんだけど。

ろくろと真剣に向き合う(写真・本人提供)

「左手が使えないなら右手だけでできるようにしましょう」「体を倒す時は後ろから支えてみましょう」いろいろなアイディアで、なんとか自力で一つの器が出来上がった。

後ろから支えられろくろを回す神足さん(写真・本人提供)

 一人だったら「できない」と諦めていたかもしれない。土砂降りの雨の中外に行くかとか、坂道で車椅子では到底無理な場所に行くとか、雪道とか。ボクの周りは「できない」とはいわない。
 いい意味で我が家の周りは「スパルタな過保護」なのだ。

天候が悪くても出かけることは諦めない(写真・本人提供)

「一緒に何かをしたりできるってことは思った以上に「特別なこと」。

神足明子(妻・介護する側)

「普通」ってなんだろう

 今の体の状態でどこまでやれるか、やらせていいのか。悩みに悩みます。

「普通だったらやらないよね」の“普通”ってどの普通なのかな。
 パパは左手が麻痺していて、しかも上半身を前に倒すのも難しい状態です。

 最近旅に出かけて陶芸をする機会があったのですが、車椅子ではろくろに近づく事がまず難しくて大変。陶芸をやるってことだけでも、さまざまな困難が頭に浮かびます。しかも、陶芸教室に出かける日は大雨。

「どうする?(陶芸教室に)行きますか?」小さく首を横にふるパパ。きのうは「やりたい!」とノリノリだったのに。同行者に聞かれて首を横に振っているところに遭遇してしまった。
 本当はやりたいのに「この状況ではボクには無理かもしれなあ」と遠慮というか、そんな態度がいつも先に立つ。
 横から私が「あれ?行きたいって言ってたじゃない。どっち?」「雨だし、行ってもできないかもしれないし」

「できないかもしれないからやりなくないの?」そこで、やめたほうがいいか、それでも本当はやりたいのか。普通なら悩んだ時はやめる?

 私の場合は悩んだ時は「とりあえずやる!」ということにしています。
 3年前ぐらいのこと。パパの体の状態がすごく悪くなった事があったのですが、その時パパが「色々な人に会ったり、どこかに出かけたり。一緒に何かをしたりできるってことは思った以上に特別なこと。当たり前なことではないから、できる時にしておこうと思う」そんなことをぽろっと言っていた事があったのです。
 それからなるべく「したいことをしたいときに」そんな習慣ができてしまいました。

陶芸家の島田先生と。できあがった器も一緒に。
(写真・本人提供)

「小さな目標をたくさん作ってやっていく」今の生活に悔いはない

 できないことだってもちろんありますが、小さな目標をたくさん作ってやっていきたいと思うようになりました。仕事もしたいし、新しい場所にも行ってみたい。

 先日「車で6時間ほど走りました」そんな話をしたら「さぞお疲れでしょう、ちょっと無理しちゃいましたね」と言われた。

 そんな話の流れが普通の話だ。

 パパみたいな人を連れて、一日中車に乗せてあちらこちら行くなんて、まさかそんなバカな計画立てないでしょうね。普通の人でも疲れるんだから。

 夜中に目覚めたパパが「今から出れば、日の出の雲海がみられるかもしれない」「え?いま?夢でもみたの???」「今の時期だけらしい、雲海」「じゃあ、行く?」というやりとりになって、車で片道3時間。雲海を見に行くことに。
 結局雲海は見られず、朝ごはんを食べて帰ってくることになってしまったけれど。

 これで熱でも出されたら「失敗した」と思うのだろうなあと考えながら運転するのでありました。

 でもそんな生活で悔いもないとは思います。

雲海を見ることはかなわず。霧を見下ろして。
(写真・本人提供)

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

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