<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第14回「仕事」
VRの世界に行くと障害を持った体が自由になった気がするのだ。
神足裕司(夫・介護される側)
VRアートは違う世界に行く準備がされていく感覚
今回は仕事のことを書きたいと思う。
今熱心に進めているプロジェクトに「福祉を超えろ!わたしの居場所」という企画がある。
今、メタバース(編集部注:ネット上に作られた3次元の仮想空間やそのサービス)の世界でもっとも輝いているVRアーティストせきぐちあいみさんがスペシャルアドバイザーに就任し、東京大学の登嶋健太さんと社会福祉法人千楽という障がい者施設が、障害を持ってなかなか外に向かっていけない施設の皆さんとタッグを組む。
その方々が描いたVRアートの展覧会をするために、クラウンドファンディング(編集部注:ネットを介して不特定多数の人から少しずつ資金を調達すること)を実行しているのだ。
クラウンドファンディングは発進2日目で目標額達成。いろいろなところで注目されているのがわかる。これからは日本の各地でこの活動を広めるため支援を募る。
クラウンドファンディングで目標額を達成。関係者と一緒に記念撮影。
(写真・本人提供)
ボクら夫婦も描いた作品をNFT(編集部注:代替不可能な安全にデータを記録できるブロックチェーン技術を使用して発行した「暗号資産」のこと)で出展するという暴挙でプロジェクトに参加している。
「発達障がい」や「引きこもり」の方に、以前からも創作プログラムは広く活用されている。絵画や、染色、農作業に至るさまざまな創作活動というのは当事者の心が見えることもある。
普段喋ることが苦手だったり、感情をうまく表現することができなかったり、コミニケーションを取るのが苦手だったり。そんな方々に、さまざまな創作活動を通じて、新しい自分の発見や、今までできなかったことの扉を開いたり。そんなことに有効なことがあるんだそうだ。
新しい取り組みとして、VR(人工現実感)のなかに作り出すアートを施設の皆さんに紹介。せきぐちあいみさんに施設でライブパフォーマンスで披露してもらい、その場でそのVRアートの世界をみてもらった。
ボクもその現場にお邪魔していたが、せきぐちあいみさんが、その場でVRアートを描いているパフォーマンスを見ているだけでも引き込まれていく。違う世界に行く準備がされていく感覚だ。
「やりたいこと」を心にしまっておいても、絶対できない
ボクは、高次脳機能障害や、半身麻痺、言語障害などのさまざまな障害を持っていて、控えめに言っても現実の世界ではちょっと苦労する。
できないことも多いし、行けない場所があったり、感情を抑え込んだり、喋れない。不自由なことを数えたらキリがない。これは障がい者でも高齢者でも似たような感覚だと思っている。
でも、VRの世界に行くと、そんな体が自由になった気がするのだ。
もちろん神足裕司そのものでいてもいい。だけど、VRのゴーグルをかぶったボクは、別の人間になっていてもいいわけだ。
VRアートを描こうとすれば左手にもリモコンを持つので、それは自由に使えないし、不自由なことも多いけれど、VR上で出会う人たちには「そこにいる神足さん」であって「車椅子に乗った神足さん」ではない。
そこの中で自分ができていく。新しい自分が、見たこともないアートの世界に佇む。そんな自由が欲しくてついゴーグルをかぶる。
VRのゴーグルをかぶる神足さん。
(写真・本人提供)
こんな感じで、ボクは動けもしないのに「やりたいこと」や「こんなことをしたら楽しいのに」っいうことを、口に出したりメールで発信しておく。
言わないで心にしまっておいても、絶対できないからね。
「無理かもしれないなあ」っていう企画でも口に出す。やりたいことを。
この企画も、ずっと前に「こんなふうなことができたら」って思っていっていたことが形を変えてボクのところに帰ってきてくれた。
「こんな夜更けにバナナかよ」という作品をいつも思い出すが、、、ちょっとわがままなボクを許してほしい。真剣にいいことだと思っているんだから。
どんな形であれ実現できて嬉しいんだから。まずは、VRアートの中に入っていって、その不思議さを体験してみてほしいと思うのだ。そして日本各地の同じような悩みを持った方々にも体験してもらいたい。
クラウンドファンディングはコチラから。ぜひ日本中で皆さんにお会いしたい。そしてVRアートを体験してほしい。
どんなリハビリよりも「原稿を書くこと」は裕司の脳に効いたと思います。
神足明子(妻・介護する側)
「パパは大丈夫」という自信があった
10年ほど前の9月、1年の入院生活を終えて我が家に帰ってきた裕司(パパ)。「自宅で介護して生活していくのは無理だ」と専門家には反対されるほどの体の状態だったから、まさか仕事に復帰だなんて思ってもみませんでした。その時の印象としては。
入院中は寝たきりで、食事も動くことだって、何もできませんでした。目だけがぎょろぎょろ動いて、何をどう考えているか、どこまでわかっているかもよくわからない状態。
そんな頃から「パパが少し良くなってこの度のことを書くって言い出したら困るからね」と記録用に写真を撮ったり、どんな様子か走り書きのメモを取ったりはしていました。
カメラマンが「もうこんな姿になってしまって、、、」と助からないのではないかと涙ぐんでいる横で「カメラ持ってる?この姿撮ってくれませんか?」と言ってビックリもされました。
なんとなく、手術中も「もう助からない、会わせたい人を呼んでください」と言われても「大丈夫」そんな自信があったのです。
それから1ヶ月以上、目が覚めない危篤状態は続くのですが、私は「パパはまた仕事をする」そんなことを真剣に思っていました。
今思えば、私はその頃、正常な心身ではなかったのかもしれません。
我が家の大事件からつながった「仕事」
裕司が病気をするまで、私は仕事に関してほとんどノータッチでした。
フレンドリーな裕司のこと、仕事仲間を家にお招きしたり、私の元仕事関係の方とダブっていたりはするので、なんとなくのお付き合いはわかっていました。ですが「ある一定の距離感でサポートする」という感じで、仕事のことはほとんど知りませんでした。
そして新婚から今までなかったような、裕司とずっと一緒の自宅での生活が始まりました。
裕司はベッドに横たわっているだけ。テレビとかをつけても「見てるのかなあ?」そんな状態でしたが、我が家は「なるべく家族と一緒に同じ生活をしよう」と努力していました。
そんな退院して間も無いある日「何もできない」と思っていた私たちの前で、裕司が梨をむいたのです!
息子が何気なく「これむいて」と梨と無謀にも包丁まで渡したら、それまで動くこともないと思っていた左手で、梨をまな板の上で支えてむき始めたのです。
一同ビックリ。過小評価をしていたのでしょうか??それともそのとき、裕司の脳がパキッと繋がっていたのか、、、、
とにかく我が家の大事件でした。
その様子をSNSにあげると、それを見ていたTBSラジオの阿部プロデューサーが「もしかして少しなら原稿書けるんじゃない?ナイターがある時期だけの特別番組があるんだけど、そのラジオ番組にコーナー作ってえのきどさん(編集部注:コラムニストのえのきどいちろうさん)に読んでもらうから書いてみて。 1行でも2行でも。「今週の神足さん」みたいな感じでやるから。」
そんなさらにビックリするお申し出があったのです。
できるかどうか半信半疑でしたが「仕事」です。
原稿用紙を前にした裕司には、明らかに変化がありました。
最初は2行ぐらいしか書けませんでしたが、回を追うごとにしっかりした文章を書くようになりました。
私が横にいるだけで気が散って原稿は書けなくなるのですが、ひとり原稿用紙に向かうときの目は違っていました。どんなリハビリよりも裕司の脳には効いたように思えました。
原稿用紙にむかう神足さん。
(写真・本人提供)
それからありがたいことに、違う仕事もするようになりました。
しかし、健常な時の仕事とは全くといって違うのだと思います。どんどん出歩いて、自分が質問して取材して書き上げていった以前に比べて、社会へ向かう窓の狭いこと。
ため息をつく裕司の横で「足の代わりになろう」とか、いろいろ試みるのですが、私には以前の裕司の100分の1もできるわけではありません。切なくなります。
それでも「今の裕司にしか書けないことがある」と思うので、今できる最大限のことをやっていくしかありません。裕司の仕事を手伝う時いつも思うのは「本当にこれは裕司がやりたいこと?言いたいこと?」と不安です。
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。