<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第8回「感情」
若い頃は考えたことなんてなかった「死を考える瞬間」が生まれる。
神足裕司(夫・介護される側)
今までの人生で2回死にかけたボク
動かない体になって一度だけ「今の自分は死にたくたって自分で死ぬことだってできない、そんな身体だ」そんなことを書いたことがあった。妻の逆鱗に触れた。悲しませた。
ほんのちょっと前まで、いつ死ぬかなんて人生において考えたこともなかった。とはいえ、ボクは今まで2回死にかけた。
1回は高校生の時。競輪選手が乗るような自転車で通学していた。急に横切ってきた車と正面衝突した。よくあるような、スローモーションで宙を舞っている間「自転車のハンドルを離さなきゃ」とか「ああ、これは顔から落ちてやばいことになるな」とか一瞬で色々なことを考えていた。気がついたときは大事故になっていた。そして生死を彷徨って生還した。
もう1回はくも膜下出血を発症した10年前。1ヶ月はICUで生死を彷徨い、それから1年の入院を経て帰ってきた。入院していた1年間の記憶も朧げ。死の直前は"時間がゆっくりになる"というがその1年は、ゆっくりなのか、時間が消えてしまった1年なのか。時間軸は確かに違った。そんな死と隣り合わせの経験をしているはずなのに、脳裏からいつの間にか「死」は忘れ去られる。
夜中に目が覚めて一瞬だけ"昔の自分"に戻る
発病前までは「こんな生活していたら長生きできないよ」そう言われていたが「自分が衰えて死んでいく」なんて考えなかった。
それが最近、夜中に目が覚めて今の自分を認識するちょっとの時間"昔の自分"に戻る。動ける時の自分、しゃべれるときの自分。一瞬だけ。寝ボケている脳が勘違いするんだと思う。その瞬間、上手くすれば喋れたりする。ほんとうに。
そして「背中が痛いな」なんて横を向こうとすると体が動かない。足もクッションがずれて、痛いけれど動かせない。
数秒の覚醒の間に今の自分を思い出していく。そしてなんのことはない、動けない自分がそこにある。「ああ、そうだった。これが今の自分だった」と思い知る。
「早くまた眠ってしまおう」現実逃避。そう思う。
そして天井を眺めていると「いつまで生きているんだろうなあ」と死を考える瞬間が生まれる。別に絶望しているわけでも、今が不幸なわけでもない。
もうすぐそこなのか?人生の折り返し地点を過ぎてちょっとたっただけなのか?考える。
夜中に目が覚めてもこうしてまた眠る。(写真・本人提供)
友人の医師と話していたら「それが歳をとったってことなんだよ。」そう悟りを開いたような真面目な顔で言うので驚いた。健常なまだ第一線で働く彼も「あと何年生きているんだろう」そう思うことが最近あるんだという。若い頃は考えたことなんてなかった。
なんだか哲学的な話のようにもなっていったが、最終的には「神足はまだまだ煩悩の塊である。好奇心が無限にある。そう言う人はまだ死なない(死ねない)んじゃないか?」と。生きる力がなくなってくれば自然と好奇心もなくなってくるんだとか。
確かに、病気の状態が芳しくないときは、好奇心も失せている。「ああ、こんなことがしたいなあ」とか「あの人に会いたいなあ」とか。それどころか、隣の部屋の食卓にだっていきたくなくなる。「ベッドですするのでいい」なんていう。大好きな読書だってしなくなる。何かを諦めてしまう。
体調が芳しくない時はやる気が出ない。(写真・本人提供)
「今は、そうじゃないんだろ?だったら君がどうしたいかは別として、まだ残念ながら先は長いよ」
なんとなく、ボクはいい感じに励まされて彼と別れた。
パパはどう感じてる?どう思ってる?それをいつも考える。
神足明子(妻・介護する側)
なかなか自分のことを話さないパパ
いつも思うことは「思っていることがすぐ伝えられない辛さ」です。
外出から帰ってきて「ただいま」と言うと「おかえり」の合図。普段しゃべることのほとんどないパパに、朝起きた時とか、帰ってきた時とか、「おはよう」や「おかえり」の挨拶は発語するまで強要することにしている。もう発病からなん万回も言っているので普通にやりとりできることがほとんど。たまに忘れることもあるけれど、そんな時はパパを覗き込む。「おかえり」声にならないこともあるけど、口はそう動いている。
挨拶がすみ着替えて戻ってくると、ほんのちょっと顔がゆがんでる。
「どうした?何かあった?」「トイレ?」「お腹すいた?」「のど乾いてる?」「痛いところある?」
首を縦に頷うなずくのと横に振る、イエス、ノーで答えられるあらゆる可能性の質問をしてみる。
「痛い」でようやくうなずく。「どこが?言える?書く?」掠れた声で「足」と言う。
言える時は残念ながら切羽詰まったことが多い。そのままイエスノークイズが続くこともある。そんな時はまだ余裕がある時。
「足」と言われて掛け布団をガバッとまくる。麻痺した左足のつま先が何故かクッションの下で逆に曲がっている。曲がっているというか?曲がらない方にグジャっと突っ張っている。
掛け布団の下で足首がねじれてしまっていることもある。(写真・本人提供)
「いつからそのままなのか?最後に看護師さんがきてから1時間は経ってるなあ、、、」
麻痺してるからって痛いものは痛い。感覚はあるんだから。動かせないで最長1時間はそのままにしてしまった足首。赤くむくんでいる。
「あ~あ、ごめんね。」クッションを外してとりあえず逆まがりの原因をとる。
「帰ってきた時、すぐに言ってくれればよかったのに。」そうパパには言ってみるものの、苦笑いが返ってくるだけだともわかっている。
「言える人も手段もなかったよなぁ」と思う。それにパパはなかなか自分のことを話さない。「こんなに痛くなるまで?」なんてこともある。「大丈夫だから」そういう。「大丈夫なんかじゃないんだから」そうプリプリする私。なんか、諦めていると言うか、、、「そのぐらいの不自由は当たり前なんだから平気だよ」って言う感じかな?
「ねえ、ねえ」「ん~~大丈夫だよ~」
私だったら「痛い痛い」って騒いでるかもしれないのに。我慢しているのか?
どう思ってるのかな?どう感じているのかな?それをいつも考える。自分からは言ってくれない、言えない。気づけない私自身にがっかりする。
夜中に目が覚めた時パパは真っ暗な中で何を考えているんだろう?
仕事のことだってパパが「こうしてほしい」と言うことはなんとなく伝わる。けれど、100パーセント思っていることは伝わらない。本人じゃないんだから当たり前だ。黙ってしまう。誰かに伝えたい事の真意が伝わらなくて話が終わる。そんな時もちょっと諦めた顔をする。
夜中に「ゴソゴソ」っと音がして目が覚める。
「パパ起きてるの?」「うん」
「電気つける?」「テレビつける?」「うん」
夜中に目が覚めたって自力では何もできない。真っ暗な中で何を考えているんだろう?何かあった時のためにせっかくベッドの横で寝ているのに、何か気がつくことなんてできてるんだろうか?痛いのに痛いって言えないのって辛いよなあ、、、そう考えると怖い。
私はそんなに口数が多くなかったはず。でも今はパパに向かって必要以上に話しかける。
苦笑いのパパが「大丈夫だってば」そう声にならない声で口を動かすと少し安心する。強引に言わせている感も否めない。
けれど、本当は何を考えているんだろう?真意を聞けないでいる自分がいる。
パパが本当は何を考えているのか、真意を聞けないでいる。(写真・本人提供)
健常だった頃よりずっとおしゃべりな私なはずなのに、肝心なことは口に出せないでいる。今は本当の本当はどう思っているかは聞けないでいる。
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。