コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第21回「ちょっと嫌なこと」

介護に携わる皆さんは“そういう話し方”を習うのかな?

神足裕司(夫・介護される側)

ほんのちょっと思うところがある話し方

 ボクが介護関係者で、ちょっと嫌だなあと思うのは、「お父さん、今日はお加減どうですか?」とかとか、大きな声で耳元でわかりやすくゆっくりと話すアレ。

 ボクの耳は遠くもないし、君のお父さんではない。

 相手は、最善の心配りでやってくれていることもわかるから、無下にもできない。ニコニコしているのがいい返答なのだろうと思う。もちろん嫌な顔などしない。「なんでそうなんだろうか?」そう思うくらいの、心の中の疑問ぐらいな“嫌さ加減”である。でも気になり始めたら「なんでなんだろうなあ」と毎回思う。笑

 確かに、介護に携わる皆さんにとっての対象者は、そうして話す方が“通じる確実さ”が大きいのだろうか。我が家の場合、3人の要介護者がいてそう話さなければいけない(耳が遠い)対象者は1人。
 不思議なのは、ボクという人間を知っている人も“そういう話し方”をすることだ。そういう人は、全員に“そういう話し方”をしてるんだろうなあと思う。

家人の補聴器
(写真・本人提供)

 こんなことを書いて申し訳ないとも思う。悪気はないんだろうし、彼ら・彼女らは、仕事を忠実に果たしている。失礼のないようにわかりやすく、気も使ってくれているんだろう。

 もうコロナ前に、デイサービスのようなところにお風呂へ入るために通っていたことがある。
 色々なご老人がいて、その中では一番若いであろうボクの面倒を見てくれるご利用者の御婦人軍団もいる。それはそれで、心地よい空間だった。お茶の時間、隣の男性に施設のヘルパーさんが麦茶を出すときにそのトーンで「お茶ですよ!」と大きな声で一言話してお茶を置こうとした。するとその高齢の男性がものすごく怒った。
 なんて言ったかは忘れたが、「そんな大きい声じゃなくても聞こえる」とかそんな感じだったと思う。手を払ったおかげでそのお茶は空を飛びボクの膝に着地した。その場で、その怒られたヘルパーさんもボクの対処はしてくれたが、横の怒った男性への対応で周りは大慌て。しばらくして「あら、神足さんお茶こぼしちゃった?」と違うヘルパーさんがきた。「ああ濡れ衣だあ」と思った記憶がある。なので、よく覚えている。

 その人も怒っていたなあ。あの喋り方。最近気になり始めてよく思い出す。

 良かれと思ってやってくれているのに申し訳ない。もしかしたら資格研修かなんかで習うのかな?「大きな声で」「ゆっくりわかりやすく」。そういう立場の人になったらものすごく、ありがたいんだと思う。だけど、ちょっと嫌だなあと感じてしまう。

 今回はほんのちょっと思うところの心の中の声。我が家に来てくれている方は、長年付き合っているからそういう話し方の方はいないのだけどね。

この機会に「ちょっと嫌なこと」はどんなことがあるか、考えてみました。

神足明子(妻・介護する側)

ケアが始まって10年は経つのに慣れないこと

「裕司は、大きな声でゆっくり話す『あの話し方』は嫌なんだなあ」と初めて知りました。
 我が家にいらっしゃるヘルパーさんは、もう裕司をよくご存知なのでそういう話し方をする方はいないのですが、何かの体験に行ったような時とかに、その話し方を聞いたこともあるような、、、「そうだったかもしれないなあ」と。気がつかなかったです。

 私は、ヘルパーさん関係で「ちょっと嫌なこと」は、どんなことがあるかなあ?とこの機会に考えてみました。

 嫌なことではないですが気になること。

「こうして欲しい」という裕司や私たちの要望は、ケアマネさんを通じて伝えてもらったり、サービス担当者会議があればそんな時に話したり。計画も業者ごとに立ててくれます。大体やっていただくことは決まっています。
「これはこの時期追加でお願いしたいこと」は別に伝えます。

 私はいつもサービスに立ち会っていないのですが、最近お父さんを引き取って介護を始めた友人は、「ヘルパーさんが来るから家を出られない。サービス中、悪いから何か手伝ったり、話したりする」とのこと。
 私は、「そうなのかあ、なんとなく真逆だわ」と。その友人を単純に「偉いなあ」と感心してしまいます。

 感覚的にですが、私は1日5、6回の下の世話があるとして、その2、3回はヘルパーさんにお任せしています。早朝や夜寝る前は私がやる。そんな分業スタイルで。ヘルパーさんがいる時間に私がいることもありますが、ほとんどお任せ。
 私は「裕司から離れられる時間」と割り切っています。たまに世間話なんかもすることもありますが、ほとんど違う仕事を別の部屋でしています。今も裕司の部屋にはヘルパーさんがいて、朝の着替えをしてもらっています。チラッとこちらの部屋(リビング)でこうして原稿を書いているのも「申し訳ないかな」とかも思ったりもします。
 ヘルパーさんは、いらっしゃるとインターフォンを鳴らしてから玄関を入って来てくれます。私がいてもいなくても入って来られるように「秘密の鍵」が渡されています。
 私がこうしてリビングにいれば、玄関まで行って「お願いします、終わったらこちらの部屋にお願いします」と声をかけ、あとは事前に用意してある洋服に着替えを、口腔ケアや体を拭いてもらったり、その間は覗くこともあればこのように仕事を続行することもあります。「そんなお任せしていいのか」「なんかお話ししに行った方がいいのか、、、」「皆さんはどうしてるのかなあ??」と不安になったりもします。
 もちろん「これはどうしますか?」なんてケアの途中で聞きに来ても下さるのですが。

 もうケアが始まって10年は経つのですが「兼ね合い」は慣れないです。あとは、昔お願いしていたはずの毎日の足浴のプログラムがなくなってしまったり、、、「よく話し合わなければいけないのだろうなあ」と思うことはあるのですが。
 やはり人間対人間なので、分かり合えなければお互い心地よいサービスはできないとわかっているつもりです。
 サービスを受ける裕司本人もそうですが、そのすぐ近くにいて、大切な家族をお任せしているわけですから、私ももっとコミニケーションを取る努力もしないといけないと思っています。

足湯中の神足さん
(写真・本人提供)

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

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