コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第30回「介護生活」

ちょっとバランスが崩れると、色々回らなくなる。

神足裕司(夫・介護される側)

妻は3人もの要介護人の面倒をみなければいけなくなった。

 妻は、紛れもなくボクのキーパーソンである。ボクの発病後数年は、長男長女が結構な割合で色々な意味で手伝ってくれていて、まだ若輩ではあったが、決め事も妻と二人でやっていたようだった。ものすごく心強かったと思う。

 それから2人の子どもたちも結婚して、巣立っていった。責任感のある子どもたちは、結婚しても、もちろん気には止めてくれるが、やはり妻の比重はかなり大きくなったんだと思う。それでもそんな生活にも慣れて、介護に加えてボクの仕事なんかも色々手伝ってくれ、それなりに生活できていた。

 それがちょっと妻の具合が悪くなったり、我が家のバランスが崩れると、途端に色々が回らなくなる。

 それに加えて、今まで元気だった義両親がちょっと普通の生活がしずらくなってきたのだ。

 まず、義父がある日突然、心筋梗塞で倒れる。もう入院して2ヶ月がたとうとしている。救急車で大学病院に運ばれ、その分院に転院し、さらにリハビリ病院に転院した。
 心筋梗塞は即座に手術で解消されたが、まだ足にも血栓あるそうで、いつその手術をするのか、はたまたしないのか、どのぐらい良くなって今後どうするのか。
「入院で弱った足腰をリハビリで治して、歩けるようになって家に帰ってくるんでしょ?」と安易に思っていた。いや、今でもそう思っている。

 それがだ。その義父の入院中に、義母が家の近くで転び手を骨折してしまった。ギブスをはめて、ほぼ自宅でも寝ている生活になってしまったのだ。体の状態だけいえば、入院中の義父より義母の方がよっぽど病人らしい。
 妻は、「おばあちゃんは入院でもしたら歩けなくなって寝たきりになって帰ってくるようだわね」そういうような感じだ。入院中の義父より自宅の義母の方がよっぽど悪い。

 いやはや、動けないボクを含め3人もの要介護の人間の面倒をみなくてはいけない妻となった。
「いくらなんでも無理ですよ」と、ケアマネさん。ケアマネさんには足を向けて寝られないほど相談に乗ってもらっている妻。ケアマネさんがいなかったら、妻は爆発しているかもしれない。

 昨日も今日も、リハビリのために転院したはずの義父からメールが入る。「今日のリハビリはベッドの上で屈伸のみ、コロナ予防のため廊下を自分で歩くのも禁止されている」「今日はベッドの上で足し算引き算を10問、これでは今まで大学病院で歩けるようになった100歩も歩けなくなってしまう、こんな病院おかしくないか?」と「早く違う病院を探して欲しい」と毎日連絡が入る。
 義母の状態を話してあるので「今自分が自宅に帰るのは大変だ」と思ってくれているようではあるが、どうしても我慢ができないと。

 さて、これから3人の介護をどうすればいいのか。妻は今、悩みに悩んでいる。

義父のお見舞いに来た病院(写真・本人提供)

1人で3人の介護はキャパオーバーと感じることも。

神足明子(妻・介護する側)

我が家の様子を文章化すると「このままではいけない状態」と感じてしまいます。

 今まで裕司が病に倒れてから「介護」というものをやってきたつもりになってきました。
でもこの半年、自分の両親が「介護の必要な体」になりつつあり、「あれ?なんか今までと勝手が違うぞ、、、」そう思うことが多々あります。同じ要介護5でもずいぶん違うのです。

 私が介護するのも1人ならまだ手が回るけれど、3人になるとキャパオーバーなんだな、と思うことがしばしば。
「なんとかなる」と今まで思っていたことも流石に「明子さん、なんとかなりませんよ、浅はかです。もっと慎重に考えてください」そう言われることが多くなってきました。
 例えば母が「認知症かもしれない」と自分で不安を抱いたので、大学病院の物忘れ外来を受診しました。結果は、認知症の症状は今の所あまりはっきりとしたものは出ていなかったのです。横で見ていた私の方が「今あった品物を思い出すだけ言ってみてください」なんて思い出せないぐらいでした。

 もう2ヶ月前ぐらいになりますが、父の具合が急に悪くなり救急車で運ばれ、大学病院に入院しました。心筋梗塞で救急外来から緊急オぺとなり、カテーテルで命を取り留めました。足にも血栓があるそうで、今後それをどうするか考えなければなりません。急性期の大学病院からとりあえず分院に移り様子を見ることになりました。
 家に帰れる時期などを相談する中、担当のソーシャルワーカーさんに「母は認知症の検査をうけましたがまだ大丈夫みたいです」と話すと「だってお鍋、たまに焦がしちゃうんでしょ?それはもうダメだってことですよ、火事になったりしたらどうするんですか?」
「だめってこと、、、、」まだまだ生活できると思っていたのにダメ出しをいただき、しゅんとなってしまいました。それに、我が家の様子を文章化すると「このままではいけない状態」と感じてしまうのだと思います。
「誰か他に助けてくれる人はいなのですか?」そう聞かれて「私の息子も娘も本当に今まで父親のことをよく手伝ってくれています、、、これ以上何かって無理かもしれないです」そう答えるしかないです。
「他の方にサポートをお願いできないなら明子さんお1人では無理です」
「無理です」ってパキッと言われると、本当にがっかりします。「じゃあどうするの?」「どなたかを施設にお預けするとか?」「え???」
 施設に預けるのは当たり前のことかもしれませんが、私にとっては意外な答えなのです。

長く歩けなくなったので電動車椅子を試す母(写真・本人提供)

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

コータリさんと明子さんへの応援メッセージ、取り上げてほしいテーマをお寄せください。

ご意見・ご感想はこちら

バックナンバー

コータリさんの要介護5な日常TOPへ戻る