コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第29回「排泄障害」

排泄は自分でできなくて辛いことの筆頭。

神足裕司(夫・介護される側)

若い人も高齢者も、排泄障害に悩む人は多い。

 もしかしたら歩けないより辛いかもしれないと思うことに「排泄」というのがある。排泄障害。

「神足さんトイレは大丈夫ですか?」よく外で取材していると聞かれることがある。
「ええ、大丈夫です」そういってもらうが、ボクがトイレに行くということはかなりかなり大変なことだ。外ではほとんどトイレに行かない。

駅の中にあったトイレは大人用ベッド付きだが、商業施設にあったトイレは幼児用ベッドしかないので使えない。(写真・本人提供)

 尿が出る・出ないの感覚はない。だけど「出た感覚」はあるので「排泄障害なんですよ」といわれても「いや違う、ボクはわかる。わかるんだ!」そんなことを思っていた。
 こんなことを文章にしてどうかなとも思うが、尿が出た瞬間に「出た感覚」はある。いや、感覚があるというか、出た後に伝わってくる尿の温かさなどが皮膚に伝わって、わかるだけなのかもしれない。

 排泄障害のためにカテーテルのようなものを試してみたり、色々なオムツを試してみたり。オムツをしているなんてやっぱりいいたくない。内緒にしておきたい。でも仕方ない。いつ出るかわからないんだから。
「ああ、膀胱がいっぱいだ」そんな感覚がなくなるのだ。お腹に計測器を貼って膀胱の尿の量を測るみたいな機械を使ったこともあるが、介助してくれる人と一丸にならなければ意味がない。

 この障害は厄介だ。しかも結構な数の人が悩んでいる。若い人も高齢者も、尿漏れから始まって、全く感覚がわからなくなる人もいる。

 便も「感覚はない」ということになっているが、ボクはかなりの硬便で、出すのが一苦労。トイレでするとなったらずっと籠っていなければならない。
 妻はかなり反対していたが、体に悪いからと言われ、自然排便から浣腸をしてもらい摘便という方法に変更し、看護師さんに週2回出してもらっている。自分でトイレでできていたものを、こうやって看護師さんにお願いして出さなければならないのは妻も「自分でできている機能を使わないのは、また一歩後退してしまうみたいで嫌だ」とお医者さんと攻防戦がしばらく続いていた。
 だが、2年ぐらい前からは摘便に切り替えた。「自力で」といっても半日トイレに籠るのか?というぐらい、その日は「トイレの日」といってもいいぐらいだった。
 自分だけかと思っていたら「麻痺のある人はやっぱりみんな苦労している」という話を聞いて「これ辛いよね」出なかったら次の日も外に出られないんじゃないかってヒヤヒヤする。出かけた先で出たら一大事だ。

 排泄の準備は、取材で出かけたり、長く旅に出るときは困ってしまう。出かける前の日に看護師さんに来てもらって帰ってくる日のまた来てもらう、と綱渡り。「自分でできないと・辛いこと」の筆頭である。

神足さん用にリフォームされた自宅トイレと使用中のオムツ(写真・本人提供)

食事と排泄問題は毎日の悩みでもあり課題です。

神足明子(妻・介護する側)

できないことを嘆いても仕方ない。今できることをそれ以上にやる。

 ずいぶん前のことになりますが、映画を見に行った時のことです。珍しく裕司がトイレだと。「ベッド付きのバリアフリートイレがない」と私が騒いでいると、同じ車椅子乗りのお嬢さんが「どうしてベッドが必要なの?」と聞いてきました。
「いや、オムツもテープ式(主に寝たきりの人が使う、体がくにゃくにゃの新生児なども)だし、自力で数秒しか立てないから横になる場所がないとオムツを替えられない。家のトイレは裕司用にできていて、オムツさえ外せていればもちろんトイレで用をたせる。けど、バリアフリーのトイレで今まで裕司が使えるトイレというのはなかなかお目にかかったこともないなあ」
 そういうと、かなりびっくりしていました。

 彼女が排泄関係でどうしているかなんて聞いたこともなかったですし、聞けない話のトップでした。彼女の周りの車椅子乗りの方も様々なので、一概にはいえないですが、男性だったら排尿の時は直接サックみたいなのをつけてチューブでズボンの足部分あたりの内部に袋(パック)をつける方法もあります。オムツを替える必要もないし、洋服まで濡れてしまう失敗はかなり減ると聞きました。
 そしてトイレはそのパックの尿を捨てる時に必要になるくらいと。「へ〜そんな良いものがあるんだ」初耳でした。「なんで誰も教えてくれないんだろう?長時間移動の時に便利だわ」とも思いました。
 さっそくその海外のメーカーのものを取り寄せました。が、残念なことにベッドで寝て過ごすことの多い裕司には合わないとのこと。

駅の中でやっとみつけたベッド付きのトイレ。(写真・本人提供)

「彼女・彼らのように車を運転できたり、車椅子から自力でベッドや椅子に移乗できたりする「車椅子に乗る人」とは違うんだなあ」とその時お互いに感じたのを覚えています。

 裕司の場合、左半身に強い麻痺があるので、多少動く左手も力は入りません。「もうちょっと力が入れば世界も変わるのに」とないものねだりです。左足に関しては動かすことも、地上に一秒着くこともできないのです。少し拘縮しているので地上に足をつけないし、力も入らないのです。それでも使える右足でかなり踏ん張ってくれるので、介助する私にとってはかなり楽です。両足に全く力が入らない方だっていらっしゃるわけだし、そういう方は、また違う介助の仕方をされているに違いないと思います。

「トイレの話というのは車椅子乗りにとって様々な「苦労あるある話」として尽きることがないんですよ」と彼女。
 裕司が「ボクと同じようなカテゴリーに入る車椅子乗りには、小児麻痺などのお子さんもいるんだよ。その子たちも赤ちゃん用のベッドが使えない年齢になると、途端に外出時の「トイレ問題」が浮上すると聞いたよ。大きな車にして車をベッドがわりにするか、折りたたみの簡易ベッドを車に積んでバリアフリートイレに持って入るかなんだって」というと、彼女は「目から鱗だわ。今まで考えたこともなかった」と様々なトイレ問題を話しました。
 結局、排泄障害(尿が出る感覚がないなど)は同じでもトイレ事情はかなり違うようでした。

 私は「車椅子で自走できるか・できないか」でかなり大きく違うカテゴリーに入るのだなあと思います。
 裕司の口癖で「できないことを嘆いても仕方ない。今できることをそれ以上にやる」というモットーのような、何度も聞かされている言葉があります。「使えなくなった体の機能を嘆くのではなく、使える機能で頑張るよ。迷惑かけてごめんね。」と。
 そんな言葉をサラッという裕司を見ていると、本人の方が100倍大変なのに私がへこたれている場合じゃないなあ、と反省します。

 食事と排泄問題は毎日の悩み。いえ悩みではなく大きな課題です。自然にトイレに行けていた時代には考えてもみなかったことですが、毎日のことです。街で入れるトイレがほとんどないことも課題の一つですが、自宅では薬での排便コントロールや、訪問看護の方による摘便など、これまた「様々な方のお世話になって生きていけているのだなあ」といつも思います。
「食べたり飲んだりしたら出す」という当たり前だと思っていたことができずにいる人たちも、周りにかなりいらっしゃるのだなあと改めて思います。

 みんな健常な時は話題に出しずらい話です。車椅子乗りの知人から「私もそうです。便を出すのは毎回一仕事、一日がかりです」と聞いて「裕司だけじゃないんだ」と。あんなに元気に飛び回っている彼女も、色々乗り越えなければいけないこともあるんだと。話してくれたことで勇気をもらいました。

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

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