<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第7回「旅」
無理があったと思う旅はあれども行かなきゃよかったと思う旅はない。
神足裕司(夫・介護される側)
自分は旅の達人だと思っていた
ボクは、旅が好きだ。
健常な時から、1年の5分の4ぐらいは自宅におらず、大きな意味で「旅」をしていた。大半が仕事で、あちこち取材やら地方のテレビ局に出かけて行った。毎週行く街、初めての街、外国。様々な旅で、自分は、どう交通機関を予約したらいいか、購入はどうするか、得意な方だと思っていた。旅の達人だと。
本当の意味の旅は家族と年に数回出かけていた。それはほとんど妻が担当していて「8月○日8時出発ね」なんて随分前から口を酸っぱく確認され、それを守っていれば南国に出かけて行けたり、実家の両親を連れて温泉に出かけたり、いい息子やいいパパになれた。そして「いつものボク」から「少し優しいボク」に変身するのに、旅はありがたい時間だった。どちらが本当の自分かわからなかったけれど、そんな時間が自分でも好きだった。旅が好きというか、旅でできた「その時間」が好きなのかもしれない。
新幹線や飛行機には本当にお世話になった。飛行機だって1年で最低でも70搭乗回数ぐらいは乗っていただろう。その時だって今のボクみたいな車椅子の方が乗っているのを見かけたことだってある。けれど、「ああ先に搭乗するんだな」って事ぐらいしか見ても感じてこなかった。皆さんだってそんなものだろう。
旅のハードルは高くなってしまったけれど
車椅子乗りになってみて旅ってものがボクの中で全く変わってしまった。
まず、旅に出るのだって自分では行けないのだから、ちょっと遠慮がある。一緒に行ってくれる人がいなければ成り立たない。車椅子に乗っている人でも自分で頑張って動ける人もいる中、ボクのように自力では動けない人間が旅に出るのは「贅沢な話だよなあ」と思ってしまう。
JALの金属探知機に反応しない非金属性車椅子に乗る神足さん(写真・本人提供)
「寒い時に北海道へ行きたい」とか「砂浜でぼんやりしたい」とか健常な時はフツーにできた旅も、今のボクにはハードルが高い。砂浜は車椅子には天敵だし、寒い雪のある北海道に「車椅子で行けるのか?そんな無理な旅をしなくたって」ってことになってしまう。
通販生活の取材で行った雪景色の青森。車椅子にはけん引式車いす補助装置をつけて一工夫。(写真・本人提供)
だけど、体が不自由だからって守られた感が強いツアーなんかじゃなくってごくごくフランクに、たとえばLCCの飛行機に乗って旅に出られるのか?体が不自由だとお金をかけない旅に行けないの?
健常者ができる旅なら、砂浜だって雪のある街にだって安い料金の旅だって行けるはず。試してみたいとずっと思っている。話せば「いいですよ」と付き合ってくれる知人や家族もいる。ありがたいことだ。
「こんな旅ができた」ってご報告できれば、今後ボクと同じような人だってそんな旅ができるようになる。今は情報が少なすぎる。「ここに行きたい」と思っても車椅子ではどうなのか?このホテルのバリアフリールームは安く泊まれるのか?どんな感じなのか?なんてあまり情報がない。それでもこの5年ぐらい、色々な方が様々なところに情報を載せてくれている。だけどまだまだだ。
行っても「これはかなり無理があったなあ」なんて思う旅もあったが、行かなきゃよかったと思う旅はない。
旅って日常を離れて違う場所で色々な経験をしたり、何もしないで違う空間に身を置いたり、違う空気の中で過ごすことでリフレッシュできることがいい。何もできなくたって嬉しい。開放感がある。自分で動けない人たちにこそ、旅に出て違う空気を吸ってみることがボクは必要だと思うんだけど。やっぱりご迷惑をおかけしてるってことは最初に頭に浮かんでしまうけれど。
裕司との旅は、昔も今も刺激的で新発見のできる旅。安らぐ時間でもあります。
神足明子(妻・介護する側)
「旅」に出ることが唯一の趣味でした。
「旅」私も大好きです。旅を趣味と捉えるのなら、旅は唯一の夫婦共通の趣味といってもいいかもしれません。
裕司は昔から趣味が多く、しかもなんにでも真摯に一生懸命取り組みます。それが裕司のいいところ。麻雀にしても、将棋にしても、読書にしても、映画を見ることにしても、スポーツにしても。自分の大切な相棒と呼べるものだったと思います。
一方、私は趣味があまりなく、若い頃から「旅」に出ることが唯一の趣味でした。会社員時代、色々な休暇を合わせて2週間の休みが取れると、当時まだあまりメジャーではなかった、ツアーではない自由旅行を計画しました。海外の時刻表を買ってみたり、ミシュランガイドを取り寄せてみたり。まだネットが普及してなかった時代ですから、情報を集めることも大変でした。大体の計画を練って出発したら、旅が半分終わったような気もしていました。どういう景色なのか、どんなところなのか、どんな人と出会えるか。思いを馳せながら計画を立てていくこと自体が楽しみでもありました。
結婚してからも忙しい裕司に代わって旅の計画を立てました。「仕事でイタリアに行くからその後で合流してあっちで夏休みを過ごそう」なんてとってもありがたい申し出をもとに、限られた予算と仕事のスケジュールを睨めっこしながら計画を立てます。我が家ではそんな旅のスタイルが定番になっていました。
ですが、裕司との旅は突発的なスケジュール変更が常でした。「仕事で回ってみた観光地ではないのだけど○○っていうとこが良かったから回ってみよう」とか「“ロンドンばし落ちる~”の歌のロンドン橋があるから行ってみよう」とか「今日から移動はやめて2~3日お休みの日にしよう(原稿を書くから)」とかとか。私が「自由旅行」と思っていた自由旅行よりも、もっともっと自由でした。それもあり、どの旅もかなり印象深く残っています。ホテルがうまく取れていなかったり、飛行機に乗り遅れたり、レンタカーがポンコツだったり。「来て良かったなあ」と思う景色に出会えたり。
車椅子の旅での実体験を同じように障害を持った人に知ってもらいたい
障害を持つようになってからも、裕司の頭の中では「そんな旅(自由すぎる旅)をしてみたい」と思っていることはなんとなくわかります。「今までのスタイルをそのまま通したい」というよりも、「障害者が旅に出ようと思うとなんか、金がかかるなあ」そう感じたのが初めでした。当たり前です。飛行機も手間や安全を考えると、チケットの種類だって「これだったら」そう思うものはちょっとお高め。体のことを考えれば安全安心を取るから。
旅を始めた頃はLCC(ローコストキャリア・格安航空会社のこと)の飛行機に裕司レベルの障害者が乗るのは不可能でした。今はLCCの飛行機にも乗れるようになりました。でも実際乗って「旅をしてみてどうなのか?」「どう不便だったのか?」身をもって体験してみないことには「本当に大丈夫なのか?」わかりません。そういうことを「同じような障害を持った人にも知ってもらいたい」というのが裕司の望みでした。なので「なるべく健常な人と同じような旅がしたい」「自分で思ったらパッといけてリーズナブルな旅もできるのか?」がもっぱらのテーマでした。障害者用に組まれた高価なツアーはすでにあるので。
そんな旅をリクエストに応えて組んでみるのです。まず、車椅子利用者が飛行機に乗るには、乗っていく車椅子やゲートまではどういくか、など事前に知らせなければいけません。国際線の場合は書類を提出したり、1週間とか1ヵ月前とか、事前に知らせる期限の縛りが厳しくなります。新幹線だって車椅子席のチケットを取ろうと思ったら、いまだに自動券売機では買えません。小一時間かけて窓口で購入します。乗車時の係員の配置など様々な手続きがあるからです。スッと乗れるわけではありません。でも、本当に細やかな配慮がされたお手伝いをしてくださいます。裕司の場合、在来線に乗るときだって同じで、改札口で申告したら最低10分ぐらい後の電車になります。(申告しないで乗る方法があるのかもしれません。)
LCCの場合は同行者がやらなければならないけれど、JALやANAならやってくれることがあったり、安いなら安いなりの、高いのなら高いなりの違いがあることもわかりました。ユニバーサルな観点から言えば、この3年ぐらいで急速にその幅が狭まっていると感じています。
JALの優先搭乗待ちの様子。車椅子は1番最初に乗って1番最後に降りる。(写真・本人提供)
LCCはユニバーサル化が進み、JALやANAといったキャリアの飛行機会社の「いい意味での簡素化」もあり、健常者の「選ぶ」という意味とそう変わらなくなったと。本当の意味で「選べる時代」が来た感じがしています。
LCCはタラップで乗り降りすることも多いが2018年から昇降リフトなどの補助設備の導入が航空各社に義務付けられたので車椅子利用がグッと身近になった。(写真・本人提供)
車椅子の裕司との旅は、移動の手続きなどは「まだまだ大変だなあ」という印象です。けれど、旅に出られるならば「そんな苦労はなんでもない」というのが家族の一致した意見です。そして手続きのほとんどは「自分が受けるサービスに対する手間」だということです。係員が電車とホームの間に渡すスロープを用意してくれたり、車掌さんに連絡してくれたり。ありがたいことです。
「良い旅になったなあ」と感じさせる、ちょっとした気遣い
「健常者と同じような旅がしたい」といっても、自分自身の体が違うのですから、受け入れなくてはいけないこともたくさんあると思うのです。ホテルだってバリアフリー専用の部屋がいいのか、そうでなくても大丈夫なのか、通常の部屋とはどこが違うのか。バリアフリーの部屋が用意されているホテルだって、出入口が階段だったり、車が横付けできないホテルだってあります。油断大敵。
ホテルの予約サイトの写真は、皆さんとは全く別のところを見ていると思います。色々な写真をみて確認しています。ホテルの玄関前はどうなっているか。洗面所の出入口はフラットか、さらに洗面台の下は物入れになっていないか。(洗面台の下がくり抜かれていないと車椅子では蛇口に手が届きません)
シャワー室があるのか、お風呂に洗い場があるのか。細かいところで言えば、ホテルの部屋にドアストッパーはついているのか。(介助者のいる場合ですが車椅子で出入りするときにストッパーがあるのは大変便利です)
バリアフリールームとは名ばかりのホテルだって少なくありません。逆にバリアフリールームでなくったって、そういう部分が最低限クリアできていれば、一般の部屋でもOKな訳です。
バリアフリールームが空いていればなるべく泊まってみることにもしています。どこが違うのか。
バリアフリールームでなくても、洗面台の下がくり抜かれてたりで車椅子でも使える部屋。(写真・本人提供)
バリアフリールーム。障害があっても自力で入れたりする人向けのお風呂。裕司はこれには入れない。(写真・本人提供)
今までで一番驚いたバリアフリールームは、大手チェーンの比較的リーズナブルなホテル。部屋に入って洗面所を開けると、トイレと洗面台があり、その前にはバスチェアもおかれていて気が利いている。引き戸で使いやすそう。あとはダブルベッドの2人用の部屋でした。「あれ?お風呂がない!」大浴場があるとは聞いていたけど、まさか。そう思ってもう一度その洗面所を開けると、トイレと洗面台の間に密かにシャワーが取り付けてありました。洗面所自体がシャワールームになる構造です。湯船はありません。トイレも洗面台もシャワーで濡れてはしまいますが、実際使ってみたら使いやすい。うちにもベッドルームの横にこんなのがあったらいいのにと思ったぐらいです。旅の間裕司は特別なお風呂でない限り湯船には入れないので、シャワーで十分。申し出る前からバスチェアだって備え付けてくれているのだから、なんの不自由もありません。
コンパクトなのでカーテンに隠れてわからなかった、シャワー。(写真・本人提供)
また、そのホテルのスタッフさんは皆さん心遣いが細やかでした。私は旅に持っていくものとして、使用済みのオムツなどを捨てるために消臭機能付きのビニールを持参しますが、そのごみをトイレの横に置いておいたら、次の日から不透明のビニールを数枚おいてくださったり、ドアストッパーを(掃除の人が使う)おいていってくれたり、タオルを余分においていってくれたり。そういうことで「ものすごく良い旅になったなあ」と私は嬉しくなってしまいます。誰でもできそうで、なかなかできないサービスだと思います。
「日常を離れて過ごしたい」というのも旅ですが、家と違う環境で過ごすということはちょっと大変な部分もあり、兼ね合いは難しいです。でも裕司とともに出かける旅は、昔も今も刺激的で新発見のできる旅。なおかつ安らぐ時間でもあります。
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。