コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第33回「旅のトラブル」

いくら座りやすい車椅子を揃えても、旅はやはりどこか無理が来る。

神足裕司(夫・介護される側)

褥瘡を侮っていた。

 尻が痛い。
 今回の旅は長かった。

 やはり家は介護ベッドだの座りやすいクッションだの様々な便利なグッズが取り揃えてある。旅に出ると、いくらバリアフリーの部屋でも、いくら座りやすい車椅子を揃えても、やはりどこか無理が来る。

 6日目位からだろうか、尻が痛くて何かおかしい。痛い部分をずらす。ずるずると車椅子の前のほうに足が出る。介助者に「落ちてきちゃったのね。危ないわ。」と言ってきちんと座り直されてしまう。また痛いところが直撃である。ズルズルっと少しずつずらす。するとまた「あれ危ない。」直されてしまう。今回は直されてしまうときに痛い顔、ちょっと困ったような顔をしてみる。いや実際痛いのだ。わかってくれ。そんなやりとりが2日ぐらい続いた。

 そして、夜シャワーに入って、介助者が僕の尻の傷を発見した。褥瘡(床ずれ)である。

 話によると、500円玉位の大きさ。結構厚みもある。まぁその500円玉位のところは、因幡の白兎状態なわけで、皮膚が剥け、赤くただれているらしい。

 あいにくその日は日曜日で、まず薬局に行った。そして薬剤師さんに相談する。「あの、寝たきり状態の人間なのですが、お尻に褥瘡ができてしまって。明後日、帰宅の予定なのですが、アズノール軟膏(非ステロイド系抗炎症薬)などを持ち合わせていません。何か代わりになる薬はありますか。滅菌したガーゼで傷を覆えば大丈夫ですか。」

 色々と相談した結果、結局マキロンで消毒してかなり大きなバンドエイドのようなもので、その傷を覆うことにした。

 お風呂に入ってもいいと言うことだったので、その大きな大きなバンドエイドをしたままお風呂に入り、また消毒してバンドエイドを貼り直す、を繰り返した。

 次の日の月曜日の朝、いつもお世話になっている自宅付近の調剤薬局に電話をする。今旅先で、褥瘡ができて大変困っている旨。そして持ち合わせている薬はリンデロン(ステロイド抗炎症薬)しかなく、薬局でマキロンなどを購入した旨。

「マキロンで消毒してからリンデロンをつけて。そして大きなバンドエイドを貼る。急いで帰ってきてお医者さんに見せてください。」とアドバイスしてくれる。

 次の日、帰路のフライト前に車椅子で世界を1周したことのある車椅子トラベラー・三代くんと空港でランチをした。「褥瘡できちゃったんだよね。結構ひどいんだよね。」と話すと「ねぇ神足パパ、それってやばいよ。侮れないんだよ。」真剣な顔だ。「僕の友達なんて褥瘡になってもう3回目の手術をするんだよ。なかなか治らない。僕も世界を一周しているときに1度なった。本当に痛くて痛くてたまらない。それで世界一周の旅が途中で中止になるじゃないかと思った位なんだ。だからパパ、今日帰りに仕事に寄るなんて言ってないで、早く帰ってね。」とかなり心配顔。調剤薬局の方も、三代くんも「それってかなりヤバいですよ。」と。

 僕も痛くて、我慢ができない位痛かったけれど、そんなに大変なこととは知らなかった。褥瘡って怖い怖い症状らしい。

 帰宅の次の日、往診の先生が来て薬を出してくれた。訪問看護の方が毎日来てガーゼを取り替えてくれることになった。早く治るように万全の処置をしてくれた。「結構ひどいですよ。栄養とって安静ですよ。」

 知らないとは言え、褥瘡を侮ってしまっていた。半分麻痺しているので、痛さはきっと半分位なんだろうと思う。それでも結構痛い。きっと麻痺してなかったらものすごく痛いんだと思う。はじめての経験である。これを戒めに旅先にも柔らかいションを持っていくとしよう。

褥瘡ができる前(左)とできた後(右)(写真・本人提供)

知らないということは恐ろしいこと。

神足明子(妻・介護する側)

ピンチな時は声が出る裕司が「すごく痛い」と。

 裕司はしゃべれない。厳密にいうとしゃべれないわけではないのですが、しゃべることを普段は忘れています。

 だから、通常のコミニュケーションは、裕司が「なにか言いたいんだな」というような時、二択や三択の答えを私が矢継ぎ早に質問します。それに対し首振りで「うん」と「いいえ」の答えが多いのです。話したいことを予想して質問するので、裕司が話したいことに全く当てはまらないことを提示しちゃうこともあります。

 今回もそうでした。長い旅に連れて行ってもらいました。その前には、連続で違うところにも出かけていました。

 車椅子に移乗しても、なんだか座っている姿勢の保持ができず、すぐにズルズルと下がってきてしまいます。

 姿勢を正すため、車椅子の後方から裕司の両脇に手を入れ、ズボンのベルトのところを引っ張り上げます。よいしょ。

「パパ、疲れてる?」首を振る裕司。「そうかあ、なんでずれちゃうんだろ」またすぐにズルズルと下がる。「旅行仕様に新しい電動車椅子にしたけど。座りずらいのかも、この車椅子」

 勝手にそう思っていました。100均でクッションの上に敷く滑り止めの代用品まで購入しました。滑らないように。

 精一杯の対策をしたので、前方には滑りづらくなったのだけど、今度は右に傾きます。クッションの下にタオルを入れ、体が傾かないように補正までしていました。

 一生懸命努力して、少しでも座りやすくしたつもりになっていたわけです。そして、お門違いな質問をしていたわけです。「疲れてる」ではなく「痛い」のですから。

 そんな対策をして2日目の夜。シャワーを浴びてベッドに横たわる裕司をケアしていると大発見。大きな褥瘡ができています。500円玉以上はあるかな、皮は厚く上の方に剥けています。見るからに痛そう。素人目にも厚く剥けているのがわかります。

 介護生活を続けて11年、初めての褥瘡です。介護を始めたばかりの頃「褥瘡の実例」をビデオで見て「どんどん悪化し骨まで見えてしまうこともある」「一度なると厄介なものだ」と習ったことを思い出します。寝たきりの状態が長い方は、一度なると本当に苦労するものだと聞きました。

「え?あれになっちゃったの?」内心穏やかではいられません。日曜日だったので、薬局へ行き応急手当ての材料を購入しました。

「パパごめん、痛かったんだね、わざとずらしてたんだね」私は気がつけなかったことに自責の念。「どのくらい痛い?」「すごく?我慢できるくらい?そんなでもない?」

「すごく!」ピンチな時は普段しゃべらない裕司から声がでます。それくらい痛いんだ。「ごめんね」

 ガーゼなどで褥瘡をカバーすると、少しは痛みも軽減できた様子。

 帰宅後は、往診の先生に見ていただき、その指示で医療の訪問看護で毎日手当をしていただいています。

 車椅子の友人からも「パパどう?1、2ヶ月寝たきりで安静にしなきゃいけない、なんてザラだからね。ちゃんと治さないとだよ」と、私にも「褥瘡の恐ろしさ」を伝えてくれます。

「ああ、失敗しちゃったなあ。なんで気がつけなかったんだろう」とつくづく思います。痛いのに「痛い」となかなか伝えられないパパを思うと「辛かっただろうなあ」と考えてしまいます。

 さらに友人は、車椅子移動時のクッションの大切さも教えてくれました。

 車椅子に乗りはじめた10年前は、クッションを勧められ、購入したりレンタルしていましたが、裕司があまり好きでないのでやめてしまいました。

「ママ、クッションなしだなんて、ボクら車椅子乗りにとったら鉄板の上に直に座ってるくらい痛いよ。パパは少し麻痺があるから痛さ半減だとしても、身体は感じているはずだよ」とダメ出し。

 そうだったのか。

「機内にもちゃんとマイクッションを持って行ってね。マイクッションを持って行かない車椅子乗りなんて、今までに聞いたことがないくらいだよ。みんなそうやって気をつけているんだよ」

「がーん!」そうなの?知らないということは恐ろしいことです。

 そういうことがあり、いままで購入して納戸で眠っていたクッションを出してきて、さらに最新のものを福祉用具の会社から何個かデモでお借りしました。

「車椅子にクッションを更に敷く」または「違うクッションに変更する」のはどれもお気に召さない様子。いままでの座り心地と違うのが嫌なようです。そういえば、何年も前にクッションを勧められたときも本人が嫌だといって使用しなかったことを思い出しました。

 けれど、今回は本当に褥瘡までできてしまったのですから、何か対策を考えなくてはいけないと思っています。栄養管理に加え、クッションも合うものを探さなくてはいけないです。

現在お試し中のクッション(写真・本人提供)

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

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