<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第2回「リフトの恐怖」
彼女の後悔や心配やいろんなことは、しなくていいことなのに。
神足裕司(夫・介護される側)
リフトが怖くても、なければ外には出られない。
ボクの家は玄関から門までの間に12段ほどの階段がある。ついでに言えば高台の坂の上にある。2階のベランダからは遥か、東京副都心、東京タワーからベイブリッジまで見える。なだらかな丘の上に立っている。眺めがいいのが自慢の家だった。両親が若かった頃、介護生活のことなんて何も考えずに購入した土地で、ボクが家を建てる時だって歳をとった時のことはあまり考えていなかった。この階段は、ボクの今の体には相当なネックになっている。
退院してきた当初は、外に出ることはあまりないだろうけど、階段をなんとかしなければ陸の孤島になってしまうと思った。そこで、階段に大きな支柱を立て、上から吊るすタイプのリフトをつけて階段の上り下りをした。大きな工事だったらしい。
1台目の吊るすタイプのリフト。外国製。(写真・本人提供)
その機械が外国製だったため、メンテナンスが途中困難になり2台目のリフトを作ることになった。色々と試行錯誤の末、今のリフトがやってきた。(今のリフトも外国製)介護保険のレンタルである。階段の一段一段にモーターで動くタイヤを噛ませて降りていく。駅か何かの階段で、ドリンクの箱を運んでいるのをみたことがあるかもしれない。そんな感じのリフトが椅子になっているものに車椅子から移乗するのだ。
駅の階段で見かける昇降機と似ている。
背後の支柱は初代リフトで使っていたもの。(写真・本人提供)
それが導入されてからというもの、もちろんそれがなければ外には出られないので、降ろしてくれる人(ほとんど妻)を信じて乗り込む。操縦する人は講習を受けている。人間を乗せる前に機械だけ動かしたり、講習を受けている人同士で乗って動かしたり。階段の突端で大きなリフトは斜め上向きではあるが止まる。ストッパーが効いて階段の先で止まることはわかっているが、結局妻のハンドル捌きや押さえ込んでいる力にかかっている。「そんなに力はいらないんですよ」。そう説明されていたが、乗っているボクはちょっと怖い。遊園地の足をぶらぶらさせて乗るアトラクションに乗っているようなもんだ。
見る人見る人が「危ないんじゃないの」「この前死亡事故があったんだってね」。そんな感想を漏らした。危ないかもしれないけど仕方ない。気をつけるしかない。気をつけるって言ってもボクはどうすることもできない。それにボクは外に出られないことの方が大変なことなのだ。家の構造上、今はそれしか選択肢がないならば仕方ない。何度も乗るうちに、妻が操縦するリフトは安定してきて、怖くもなくなっていた。何千回それで外に出入りしただろう。怖い目にあったことはなかった。
階段での転倒
それが、ある日の帰りのこと。車からリフトに乗り込み、門を通過した一段目。まだ階段になっていないところで、妻が重心を崩した。何かを踏んだのだ。「リフトが倒れる」と思った妻が、とっさに前側に回り込み、ボクやリフトを支えようとした。「ごつん」「ズルズル」スローモーションで門と階段の間の踊り場へリフトごと倒れた。シートベルトをしていたので、ボクと機械は一体化されている。妻が支えたので、頭だけがゆっくり門の横の壁に擦っていった。妻は機械とボクを支え、壁に挟まれて潰れた。「だ、大丈夫か?」ボクは思わず声が出た。妻が大変な怪我をしたぞ、と思ったのだ。妻も同時に「大丈夫?」そうボクに声をかけた。「ああ、すごいことになった、パパ大丈夫?ごめんね」妻が火事場のバカ力でリフトとボクを立て直した。「パパ頭から血が出てる。痛い?」妻の判断でそのまま車で救急に行くことになった。救急車を呼ぶか、ほんの一瞬、それぐらいの事態に感じたらしい。
妻・明子さんのとっさの行動で頭の傷は擦り傷ですんだ。(写真・本人提供)
彼女は自分を責める。しなくていいことなのに。
脳外科の先生もいてCTも撮ってもらえた。頭の傷は擦り傷で大したことはない。たまたま2日後にかかりつけの別大学病院の脳外科に受診予定があったので「2日間は様子を見ましょう」ということで帰宅。
「大丈夫かな?」数十回妻は聞く。うなずくボク。「本当に大丈夫だって」。ああ、ボクのためにまた余計な心配かけちゃったなあ、彼女の後悔や心配やいろんなことは、しなくていいことなのに。ええかっこでもなんでもなく本当にそう思っているのに、彼女は自分を責める。彼女の腕や肩の青あざは病院に見せることもしなかった。
「明子は大丈夫?」そうパパに言われて切なくなる。私はどうってことない。
神足明子(妻・介護する側)
ケガさせちゃった。何回謝っても足りない。
「ああ、またやっちゃった」どくどく頭から血を出しているパパ(夫の神足裕司さん)を、やっとの思いでリフトごと立て直して、自分もようやく立ち上がった。パパを乗せたまま、車椅子ごとリフトを転倒させてしまったのだ。
階段の上から母が大あわてで何か叫んでいる。何を言っているかなんてまったく頭に入ってこなかったけれど、「ガーゼと包帯持ってきて」とっさに言葉が出た。消毒液をかけガーゼを当てて包帯をぐるぐる巻にした。「救急車呼ぶ?」母はオロオロしていたが、私は「このまま車で病院まで行ってくる」そう言って降りたばかりの車にまたパパを乗せた。「大丈夫?ごめんね」ポロシャツにも血がついている。「うん」と頷くパパ。「ああ、ごめんね」何回謝っても足りない。私、倒してケガさせちゃった。「明子は大丈夫?」そうパパに言われて切なくなる。私はどうってことない。
先日もパパを車椅子ごと危ない目に合わせた。バックしていたら後ろの花壇にぶつかって転げたのだ。パパは勢いがついて、車椅子に座ったまま「スーーッ」と駐車場を横切って行った。「おお、危ない」。たまたま居合わせた友人が受け止めてくれたけど、車でも走っていたら大事故。一方、転んだ私は花壇に激突して、結果肋骨を2本も折った。お花畑に取材に行ったり普通にしていたが、足を打って2、3日痛かったので「こりゃやばいよ」と思っていたが、それよりも脇の下あたりが痛くて腫れてきた。寝られないぐらい痛くなって、さすがに病院に行った。整形外科に行くと「足は打撲。でも肋骨折れてますよ」とのこと。
肋骨が折れていることを知らずに行ったお花畑への取材(写真・本人提供)
二人の息があうと、力がなくても体を動かせる
めっきり力がなくなってきた。頑丈で、力持ちなのが取り柄の私だったのに、最近車椅子付きのパパが重い。「うまく移乗出来ないんですよね」。そんなことを言うヘルパーさんに「力じゃなくテクニックよ」なんて思っていたんだけど、最近とんと自信がなくなってきた。
テクニックだけじゃなく、力もあるのかもしれないと最近思う。パパは体格がいい。病気をして半分ぐらいの大きさになった今でも大きく感じる。健常の時より体重は20キロも減った。でも車いす込みだと80キロ近くある。そんなことは言い訳である。
介護ってやっぱり力でグイっといくというよりは、二人の息がスッとあって協力しあって、力がなくても割と簡単に体が動かせるものだと思っている。もう10年になる介護生活。車椅子で廊下を歩けば、自室に入るドアは先を切ってパパが動く右足で蹴って開けてくれる。私がベッド上で寝ているパパのパジャマを直そうとすれば、柵を持って腰を浮かせてくれる。
自室のドアは神足さんが右足で蹴って開ける。(写真・本人提供)
何にも言わなくたって、あうんの呼吸で二人の行動は一体化されているのだ。パパは私を信用して、動きを任せている。怖くて力が入っちゃうところを、私に任せて力を抜いていてくれている。身を任せてくれている。
空中に浮かぶように、足をぶらぶらさせているような階段のリフトでも、操縦している私を全面に信用して乗っている。以前、講習を受けるためにこのリフトに乗ったことがあったけれど、私は「ブーーーン」と車輪が段を噛ませて、膨れるように上がっていくのが怖くて力が入った。
歳をとるということ
自分ではまったく動けないそんなパパを倒して、ケガさせてしまった。これから、もっともっとお互い歳をとって、噂に聞く老々介護(私もあと数年で65歳)になっていったらどうなっちゃうんだろうかって怖くなる。そのためにも「体力作りして、長生きしなきゃな、私」って最近思う。
私の2歳年上の友人がいる。その友人が老眼になって、何回もメガネを作り直しているのを横目に見て「おかしなことしてるなあ」と思っていたが、同じ歳ぐらいになった時には、自分もやはりどんなメガネでも合わない気がした。「ついにアッコもそういう時期になったか」そう言われた。「今は大丈夫でも1日に2個も3個もスケジュールをこなすのなんて無理だからね」。そう数年前に言われて「いよいよそんな時が来たのか」と納得した年もあった。今回の事件を話すと、その友人が「やたらと友人たちが骨折するようになった時代があったんだよね」そう言われた。「自分がこれぐらい動けると思っていても足が上がらなかったり、非力になったり、今までと違う自分に気がつく時があったんだよね。違うってことを自覚した方がいい」そう友人は言った。「それか」そう思った。2年先を行く先輩はいつも「ああなるほど」と思うことを言ってくれる。
パパ今回は本当にごめんね。歳に寄り添い頑張る。まだ10年は余裕で大丈夫だと思う。
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。