コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第13回「怒る」

喋れない今のボクは「怒り」を封印した感じもある。

神足裕司(夫・介護される側)

子供たちには怒らず、わかるように説明した

 昔のボクは怖かった。家の外では。

 家では怒ったり、声を荒げたりすることは全くなかった。その必要がなかったからだ。

 でも一度だけ、息子が小さかった頃、多分幼稚園ぐらいの頃だったか、ちょっと強めに怒った事があった。一度だけ。
 普段からそんなに怒られることをするような、ヤンチャな子供でなかった息子。けれど、ボクに怒られて、おもちゃごと玄関の外に出された。約束を守らない、息子とママとのやりとりを聞いて怒ったんだと思う。

 その時の後悔の念がずっとずっと残っている。ボクのようなものが怒るということは、ものすごくおっかないことなんだなあと反省した。

 それからは、二人の子供にはわかるように説明する方法をとってきた。いけないことはいけないのだけど、それはボクの尺度である。「だからボクはこういう理由でこう思う」と説明してきた。それで、怒ることはなくなった。
 あとは妻を怒るなんてとんでもない(笑)

明子さん、長男・祐太郎さん、長女・文子さんと
一緒に写るやさしい表情の神足さん。
神足さんの故郷・広島に初めて文子さんを連れて行った際の一枚。
(写真・本人提供)

 家の中ではこんな調子だったけれど、家の外では「違うものは違う」と自分の線を譲らないことも多々あった。
 酒場で喧嘩になったこともあったし、原稿の直しで、ひらがなで書いたものを親切で漢字に直した編集者に対して「なんでこれをひらがなで書いているかわからないの?」とキレたこともあった。

酒場で煙草をくゆらせる神足さん。ちょっとおっかない雰囲気が印象的。
(写真・本人提供)

 

 そんな昔の仕事仲間たちが、家にいる今のボクを見て「神足さん優しくなった」そう言う人も少なくない。

 いや、家ではこうだったんだよ。とは思う。
 でもね、「怒り」を封印した感じもある。
 封印が正しい表現かわからないが、喋れないボクが怒っていたってよくわからない。それに「怒ったからって」と思ってしまう。怒って嫌な思いを周りにさせるなら黙っていようと。

 今ボクが怒るとしたら、あまりに非礼な行いをする人に対して。それは介護をやってくれている人たちだったりすることもあるし、仕事のこともある。「お前何考えてんだ?」と。あとは家族に危害が及ぼうとするとき。

 ボクだって怒ることはあるよ、心の中では。実際声にすることはない。でも、病気になって、言っても怒っても、届かない事が増えた。

わかるような気がしてきた高齢者の気持ち

 よく、高齢者の人が、子供たちが来るっていってたのに急に来れなくなって、本当は悲しいのにそれを通り越して怒っちゃって、、、子供や孫たちに嫌な思いさせちゃった、っていうことを聞いていたが、他人事ではない。

 まってまって待っているのに、来なかったりしたら怒っちゃうかもなあと。
 怒っちゃってることも表さないから、ややこしい。「来れないの?寂しい」なんて言えない。子供に負担がかかちゃうからね。

 そんな話を他人事で聞いていたけれど、ボクも仕事で、毎日忙しくする時期を過ぎれば、それも遠くない将来起こることなんだろうなあ、と思うようになってきた。

 あと、怒りっぽくなる高齢者もいる。認知症がそうすることもあるのを聞いた。他にも自分の体が思うようにならない、忘れちゃうことの不安。

 理由はいろいろあるけれど、不安の裏返しか。ずっと寝ていると、そんな気持ちがわかるような気がして複雑な気持ちになる。人生の先輩たちに「わかるような気がする」なんて言うのは烏滸がましいが、「怒る」感情は、若い頃のあの血気盛んな「怒り」とはちょっと違う。

 それにボクは、究極の時しか声にしない(と思う)。もし、ボクが「怒っている」と感じたなら、相当怒っていると言うことだと思う。

裕司の代弁者として「本当の意見を聞き出して伝えないといけないな」と思っています。

神足明子(妻・介護する側)

仕事では怒るのも裕司の姿だったんだな

 裕司(パパ)は、家庭ではほとんど声を荒げることはありませんでした。なので、怒っているパパを見ることはホント稀で、その光景は家族にとって「ええぇ、、、、」って驚く光景でもありました。

 一回は、久々の家族そろっての夕食時、家に担当から電話があった時。多分締め切りの催促か何か。「タイミングが悪すぎる。今食事中!!!」とだけ言って電話を切りました。それだけでもすごく怖かったです。お相手の担当さん、ごめんなさい。

 もう一回は、初詣に出かけた広島県・宮島で、JRのホームで電車を待っていた時のこと。我が家は広島の両親やまだ幼かった子供たちと列に並んで電車を待っていました。初詣の宮島なので混んでいます。
 電車が来て「さあ、乗り込むぞ」という時に、中学生ぐらいの子が2人が割り込んで、ドドッとなだれ込んできました。最初に並んでいた他の家族に当たって、おばあさんがよろけます。
「危ないだろ!」と声を荒げたパパ。「シーーーーン」一瞬凍りつきます。その中学生は、電車の中に入って他の車両に逃げて行ってしまいました。
 おばあさんに「ありがとうございます」と言われたけれど、我が家族はちょっと固まったまま電車に乗り込みました。それぐらい裕司が怒ることに免疫のないわたしでした。

初詣で行った広島県・宮島の厳島神社。
(写真・本人提供)

 けれど、病後裕司の仕事に関わるようになると、武勇伝というか、家族に向けていた姿とは違う裕司の姿も垣間見えてきます。「ああ、それも裕司の姿だったんだな」と感じます。

ジレンマと諦めの「YES」

 今、わたしにとって一番困っていることは、裕司の代弁をしていることです。その場ではなかなか本意を聞くことができないので、そのことについては、なるべくすぐに聞き直します。

「パパ、これって本当にそれでいいの?」首を振るパパ。
さっき聞かれている時「うんうん」ってうなずいていたじゃないの。
「いや、めんどくさくって」
 そんなことがあまりに多すぎて『本当はこうしたい』と思っていても、不本意な返事で済ませてしまう。だから代弁者のわたしは、「本当の意見をなるべく聞き出して伝えないといけないな」とは思っているのです。

 もちろん裕司とわたしは別の人間なので、いくら寄り添っていたって同じ意見なわけでもなく、裕司のは本人に聞いてみないとわかりません。
 裕司の不本意ながらの「YES」。それで済むようなことならいいけれど、そうでないこともたくさんあります。
 仕事やヘルパーさん、リハビリの先生などに伝えたいことだったり、やりたいこと、やりたくないこと。「それはボクの意見とは違う」っていうことでも、「喋れない」ということの弊害で、うまく伝わらないことがあります。何回裕司自身でやり取りしても。ジェスチャーだったり、時には文章だったり。

 わたしがいる時ならまだいいのですが、そうでない時もあります。ジレンマで、普通は諦めの「YES」になってしまうことがほとんどなのですが、最近「ああ、怒ってるな」そう感じることがありました。
「黙っている」という表し方なのです。
 普段から喋れないパパが「黙っている」という行動で怒りを表すって???と思われるかもしれないですが、それは普段喋らないのとは別のものだとすぐにわかる、抗議の「黙っている」でした。わたしに怒っているわけではないのですが、感情が溢れたんでしょう。
 わたしはどうしたらいいか?何をどう伝えるか?聞いてみても「黙っている」のです。

機嫌が悪い神足さん。
(写真・本人提供)

 まあ、今はそっとしておいた方がいいのかな?

 今まで当たり前のように言葉や行動で自分を表せていた人間が、うまく表現できないだけでかなりなストレスなのに「怒らせる」に至ってしまうことは、裕司のとってもかなりなことだったんだな、と思いました。

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

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