<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第11回「リハビリその2」
失った機能がリハビリをやって回復するならば「しゃべること」を選ぶ。
神足裕司(夫・介護される側)
リハビリは「やる気」が全て
この10年、リハビリを続けてきた。今も細々続けている。
発病後の1年余りは「急性期」「回復期」と前にも(※連載第6回「リハビリ」)お話したことがあったかもしれないが、スパルタなリハビリ病院に入って、スパルタにリハビリをしていただいていた。
実はその頃のことはほとんど覚えていなくて、うっすらとリハビリ病院から再度大学病院のリハビリ科に移り、訓練したことは覚えている。古い病棟にはニコニコした橋本先生という主治医がいて、いつも面倒を見てくれていた。
その頃は、パンパンに浮腫んだアンパンマンみたいな顔で、トドの様にグテングテンとベッドに転がっているだけだった。誰しも長く座っていること自体、自分で食事ができるようになるなんて思ってもみなかった。
箸を持ち上げることも、ストローで吸うという行為も忘れてしまっていたぐらいなんだから。
入院中に自主練習をする神足さん
(写真・本人提供)
入院している1年の間は、毎日毎日3時間のリハビリができていた。それが「回復期」というカテゴリーに入ると、国の決まりでは「もう大体これぐらいでいいだろう」と、リハビリを積極的に行わなくなる。
「え??これからはどうなるんですか??」家族は狼狽えたという。まだまだやればよくなるに決まっていると思っていたからだ。
自費でやるか、デイサービスのような施設に行って20分程度のリハビリをやってもらうか、マッサージと称するリハビリをしてもらうか。介護保険でも今では自宅に来てもらってできるようにもなったと聞く。
我が家では、マッサージに週4回入ってもらいリハビリ目的でデイサービスも週1回通った。その他にもHAL(※身体動作支援ロボットスーツ)での訓練をしに筑波まで通ったりもした。
今現在行っているリハビリ目的のマッサージ
(写真・本人提供)
退院して2年ぐらいは、本当に頑張った。
装具をつけて横に付き添って貰えば「廊下を歩く」真似事もできるようになったのだ。
何千回の練習の繰り返しにより「お箸で口に運ぶ」という行為もできるようになった。いまだに本当にギリギリでできているようなものだけど、なぜか美味しいものだとすんなりいく。「やる気の問題なんだな」ってわかってはいるけれど、なかなか根性がいる。「やる気」が全てだ。ちょっとでも諦めたらそこでおしまいだ。
リハビリで「悪くならないように維持する」のも相当な努力が必要
発病からもう11年が経とうとしている。
リハビリの開始は早いに越したことはないけれど、今でも「できないってことはない」と思っている。もしも左手を懸命にリハビリしたら、今からでも、もうちょっとマシになるとは思う。
この10年頑張った成果は現れていて、だらんとしているだけの左手は「こっちで(左手)で携帯持つんだよ、そしたら右手でメール打てるから」そう自分に自覚させると、左手がちょっとは使える。
スイッチを入れないと使えないのだけど、意識すればちょっとは動くようになった。不思議なことだけど、左手はスイッチ機能で使用可能。
ボクの場合は、自分一人ではなかなかリハビリを実行するまでには至らないので、家族の意向がメインになる。実は最近はちょっと停滞気味。自分がどうなりたいか目標を失いかけている。諦めたのではない。
でも「悪くならないように維持する」っていうのも相当な努力なのだ。
歩けるようになりたいのか?階段を降りたいのか?しゃべれるようになりたいのか?ボクは今失った機能の中でリハビリをやって回復するならば「しゃべること」を選ぶと思う。
「体が良くなるにはお金がかかる」当たり前のことも昔はよくわかっていなかった。
神足明子(妻・介護する側)
自費でのリハビリはお金がかかりすぎる
リハビリは「やればやるだけ体にかえってくる」ってことは重々わかっています。
でも発病から10年も経つと「もうこれぐらいしかできないんじゃないか」とか「このぐらいでいいかも」なんて「私の都合の良い考えだけで決定してしまっているんじゃないか」といつも心配になります。
国の指針だかなんだかわからないけれど「もうこのぐらいで回復は緩やかな曲線になりあまり望めない」とリハビリを保険でできる範囲がグッと少なくなる時期があります。
しかもそれは発症から割とすぐで、まだまだ「本当の意味でリハビリによる回復」を期待している時期に、です。
その範囲内でできるリハビリではもちろん不足で、自費でもリハビリを追加したいと考えました。あまりにお金がかかりすぎるので「自費でなんてリハビリになかなか手が出ない」と思い、なんとか介護保険や健康保険を使用する方法はないか模索してきて、現在に至ります。
「あの時に教えてもらったリハビリをやっていたら」そんな後悔が頭をぐるぐるする
「体は良くなるのもお金がかかる。」
そんな当たり前のことも、昔はよくわかっていなかったんだなあとも思います。もっとこうしてあげたいけど、、、、限界もあります。
もう8年ぐらい前に「すごくいいリハビリがあるよ」と教えてもらいました。
そのリハビリの先生が九州の病院で実践されている方法が画期的だとテレビでも何回か紹介されていました。
「でも九州じゃ無理だわねえ、、」遠方からも通っていらっしゃる方もいると聞いていましたが、我が家はちょっと手が届かない。
そんな話をしていると、まもなくその先生のラボが渋谷にできると聞いて「おおチャンス!」とオープニングにお邪魔して取材もさせていただきました。
一般の見学者の中から麻痺のある、動かない腕の筋に沿って先生開発の触り方(さすり方?)をしていきます。
そして動かない関節の曲げ伸ばしをする、それの繰り返し。脳に「この筋を動かしますよ」とまず認識させて関節を動かす、それを繰り返してやっていくうちに脳が正常な頃を思い出す。
簡単にいうとそんな感じだったと思います。
ラボ・オープニング時のマッサージの様子
(写真・本人提供)
体験された方の拘縮していた腕は、その場で少しリラックスし、柔らかくなったように見えます。
それを毎日繰り返す。自宅でもご家族がやってあげてもいい。ただ、やはりプロの先生の確認や作業療法はあったほうが効率的なのでなるべくラボには通ったほうがいい。
効率的なのは週に一回か、本当は二回くらい。少なくても月二回程度。
もちろん保険外です。「いいんだろうなあ」と私も思っていたのですが、結局その金額を聞くと、出せる勇気も出ませんでした。まだまだ仕事もままならないその頃。いいとわかっていたってできない。
昨年のこと。古いパパのお知り合いの方が訪ねてきてくださいました。裕司と同じ病気にかかって麻痺や記憶障害に悩まれていたとのこと。
その方は杖をつき、ご自分ひとりでやってきました。ずいぶん回復されているように見えます。お一人で暮らしていて、しかも海外を行ったり来たりの生活。
「神足さんにも是非試してもらいたいリハビリがあります。私も全く動けなかったんですが、ここまで回復したのはそのリハビリのおかげなんです。『お節介かもしれない』と悩んだんですが、お知らせしてやるかは神足さん次第ですから。遅いということはないと思いますよ」
そうおっしゃる。
わざわざ海外から、そのリハビリを受けるために年に何回かは帰国しているんだそう。
それがなんと、あの渋谷のラボのリハビリだったのです。
その方は、その先生を信じてずいぶん通い、もちろんご自分で自宅でもハードに訓練していた様子。
「芋虫のようにゴロゴロしかできなかった自分をここまでにしてくれた」と話してくださいました。
その方法で歩けるようになった女性と。
(写真・本人提供)
「ああ、あの時パパにそれをやっていたら、この方のように歩けていたかもしれない、、、、」
金額の問題だけではありません。自宅で家族がやってあげられるプログラムの本まであったのに、私は行動にすら移しませんでした。
「やっていたら、、、」そんな後悔が頭をぐるぐるします。「私がよくなるはずのものを見逃したんではないか」と反省します。
そして今ならそこに通うこともできるかもしれないと、その方に紹介いただき、連絡して「始めてみよう」という矢先、、、、、、なんと渋谷のLabは終了してしまうとのこと。
リハビリの話はつきません。
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。