コータリさんの要介護5な日常

<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。

連載第9回「神足家のルール」

大勢の人がチームとなって様子を見に来てくれるから、生きていける。

神足裕司(夫・介護される側)

ボクの1日のスケジュール

 我が家の決まりに「2時間ルール」というのがある。「2時間以上ボクを一人にしない」というもの。寝ているボクの部屋に誰かが来てくれる。

 朝起きてから寝るまで、誰かが代わるがわるやってくる。人はわがままなもので「ひっきりなしに部屋に人が来るのもちょっとなあ、、、疲れる」と思うこともある。本音を言えば。

 けれど、仕事があって家を午後から夜まで空ける妻。妻は、ボクの仕事の動かなければならない部分を代わりに動いてくれているので、毎日いないわけでもない。しかも義両親も自宅にいる。ボクのことはなにかできなくたって、家の中にいてくれるってことはありがたい。サプライズおやつや飲み物を部屋に持ってきてくれることだってある。

 だけど、家人がいないことを前提にスケジュールは組まれている。「いない時だけ」みたいに急には予定を組めないからだ。

 午前は着替えや身体を拭いてもらったり、いわゆるモーニングケア。妻がいる確率が高いのであまりびっしりは予定されていない。昼ぐらいにはマッサージがきて、2時過ぎにリハビリ、訪問看護、往診、歯科、などなどがやってくる。5時過ぎに最後のヘルパーさん。1日に3~4回、、、、。まあ、妻がいなくても2時間を空けることなく誰かしらやってくる。

 一番大切な目的は、水分補給。
 それと、寝返りも打てないボクの身体を必ずゴロンと動かすか、車椅子に座らせるか、状態を変えてまたベッドに寝かせてくれることになっている。

ベッドから車椅子に座らせてもらう神足さん。(写真・本人提供)

 歯医者さんの先生はそこまではしないけれど、ボクだけの部屋に入ってきて治療をしてくれて帰っていく。
 妻としては安否確認も兼ねているので、誰かしら部屋に来てくれて、顔を見てくれればいいと思っているとのこと。そしてくる人のほとんどがボクのバイタルチェックをしてくれる。尿の色がどうだったか?肌に異常がないか?熱はあるか?血圧は?パルスオキシメーターも使う。

 家に来てくれる人は心得ていて、何事もないようにこなして帰っていく。ヘルパーさんなんかは世間話をしていってくれる人もいる。飲みたくない水分を「はい!あと5口は飲んでくださいよ〜」なんて言って一口一口飲ませてくれる。ボクはボクの性格もわかっているから、夏場なんて、置いておいてくれたお茶も飲めずに「この人たちがいなかったらに点滴(脱水症状)になってしまうんだろうなあ、、、」と感謝もしている。このシステムがあるから、大袈裟でなく生きていけるわけだ。
 自宅で過ごすことができている。

贅沢にも「もうちょっとのんびりしたいなあ」と思う

 とはいうものの「本当にせわしない」とちょっと思う。うとうとしていても、誰かがやってくる。
 朝なんてうっかり寝坊をしていたら「おはようございます!」なんてドアが開いて始まっちゃうことだってある。「もうちょっとのんびりしたいなあ、、」なんてボクは贅沢にも思ってしまう。
 けれど、もしきてくれなかったら、誰か気がつくまで、夕方暗くなっても電気もつけないまま、布団がずれ落ちてもそのまま、トイレに行きたくたって、そのままだ。もちろんその2時間のあいだにだって緊急なことが起きるかもしれない。
 でもね、、、どうなんだろうなあ。と考える。贅沢な悩みだともわかっている。そうしないと生きていけないのだから。

 色々考えて「何か不必要なものはないか?」なんて思うこともあるが、相当考えて考え抜いて作っているスケジュールだから「これはなくてもいいかな」っていうのはなかなかない。贅沢な話だ。

 大勢の人がチームになってやってくれているからボクは家で過ごすことができている。体が動かないボクを家でみるってことは並大抵のことではない。

「チーム神足」のおかげもあり家を空けるコツがつかめてきた。

神足明子(妻・介護する側)

パパをひとりにする時間に後ろめたさを感じる。

 いつも「風船ゲーム」をしているみたいだなあって思う。風船がふくらんでいって、一定の時間内に解除ボタンを押さないとパンって風船が破裂しちゃうゲーム。遠くのもの取りに行って急いで帰ってきて割れないように解除ボタンを押す、アレである。

 いつもそんな風にせわしない。「クリーニング屋さんの途中でバーバを病院に送って行って、リハビリまでには間に合うかな?」「リハビリとヘルパーさんの間にZOOM会議入れて間に合うかな?」「今日は都内の美術館まで行かないとだから、私がいないってマッサージの人に言っておかなきゃだな」「何時までに帰れば、パパの食事には間に合うな」とか。「リハビリが終わらないと出かけられないな」とか。

ぎっしりつまったスケジュール。(写真・本人提供)

 なんだか、パパに危険のないようにしっかりスケジュールを組んでいるつもりが、すっかりスケジュールで生活が「がんじがらめ」になっているようでもある。
「スケジュールのために色々しなければ」が形成される。

 でも、その今ある我が家の「2時間ルール」でも、結局はひとりにしている時間があるわけで。寝たきりで動けないパパに何かあったらと、常に後ろめたさがある。

「もし、いない間に何かあったら?」そう思いながら仕事に行ったり、時には私が遊びに行ったりしている。懸命な人は、その2時間弱の一人の時間だって許さないのかもしれない。パパが、全く動けないということがそれを可能にもしている。
 ちょっとでも自分で動けたら、、、、逆に目が離せないかもしれない。しかも自分のために時間を取るなんて贅沢中の贅沢。「介護人としてどうなんだ?」と思うこともある。

我が家にはあっていなかったショートステイ

 自宅での介護が決まった直後の10年前は「介護メニューの中に家族のレスパイト(休息)「ショートステイ」を月に一回ぐらい入れましょう」そう当時のケアマネさんに提案されて実行していた時もあった。

「レスパイト」は主に私の休憩時間ってことである。
「ずっと介護中心の生活では大変だから、パパがショートステイに行っている数日間は好きなことをやってゆっくりしてください。」そう言われた。

 でも、そういうメニューの中、まず預けにいく。ご飯を食べているか?困っていないか心配で顔を見にいく。そして帰宅。赤ちゃんみたいに具合が悪くなって帰ってくる、、、なんてこともあり、それはそれで落ち着かない日々を過ごしていた。
 結局パパが嫌がっているのを知らんぷりできなくて、半年もたたないうちに「その計画は我が家にはあっていない」と思い、やめてしまった。

 パパはもちろん私が楽ならばと「行きたくない」とは決して言わなかったんだけど、体は正直で、なんとなく調子が悪くなる。私がものすごくめんどくさがり屋なので「預けにいってまた帰ってくると自由になる時間なんてそんなにないのよね、、、」とか「施設にいる間も顔を見にいくなんてやっているぐらいなら、自宅にいてくれた方がずっと楽よね」とか色々理由をつけてやめてしまった。

 それでも私が入院しなければいけないことがあって、そんな時はそのシステムがありがたかったけれど。
 やめてしまうときにパパから「ボクをひとり家に残してでも明子が遊びにいくならショートをやめてもいい」って逆提案されてしまった。
 見透かされていた。
 最初は恐る恐るでなかなか勇気が持てず、パパがベッドに入った夜の時間、こっそり仲良しのママ友とロイヤルホストでお茶するのが精一杯だった。
 パパの代わりにちょっと遠出しなければいけない仕事があって、長時間家を空けることもあって、だんだんコツもつかめてきた。
 今では、ケアマネさんをはじめとする「チーム神足」のおかげでかなり「風船ゲーム」は緩やかになっている。

お灸やマッサージをうける神足さん。(写真・本人提供)

 パパは「もっとゆっくりしたいから時間をあけてくれ」というけれど、怖くてなかなかできない。
 いつも「何かあったら?」そう思いながら2時間の間を思う。

神足裕司

こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。

神足明子

こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。

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