<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第39回「身内の死にまつわること」
人が1人亡くなると、次から次へと必要な手続きや「やることが」あるのだ。
神足裕司(夫・介護される側)
葬儀に慣れはしないだろうから。
立て続けにお葬式があった。まさかそんなに早く亡くなると思っていなかった方達ばかりだった。自分の病院へ行っていた妻が、救急車で運ばれて急死した叔父と傷心の叔母を迎えに行った。叔父叔母には子供がいなかった。姪である妻と妻の弟が身寄りということになる。妻の父がお兄さんということになるが只今入院中。
病院の霊安室に移された叔父。まずは葬儀屋さんを決めなければいけない。大きな病院だったので、当番制でその日の葬儀屋さんを紹介しているシステムらしい。妻の弟関係で繋がりがある、違う葬儀屋さんを頼む話に進んだ。
心筋梗塞で急死した叔父は、まさか自分が死ぬなんて夢にも思っていなかったらしい。体の弱かった叔母より先に死ぬことを考えてもいなかった。その日から「人が1人亡くなると大変なんだなあ」という作業が我が家にやってきた。
叔母や叔父は妻や僕らの子供を自分の子供や孫のように可愛がってくれていた。こんな時に力にならないわけにはいかない。
まず、葬儀屋さんの話。叔母はもう身内だってごくわずか、定年してからだって20年ぐらい経っているんだから「家族葬にしたい」といっていた。その紹介された葬儀屋さんにも59万円からの家族葬と謳っている。家族葬にしたい旨を伝えた。叔父は、病院から安置してくれる場所に運ばれていった。火葬まで混んでいて、しばらく安置しておかなければならないという。
次の日葬儀屋さんが叔母の家にやってきた。僕と妻は叔母の家でその話を聞く。
家族葬59万円のパックに入っているプランでは、まず1番大切な火葬までご遺体の保存に必要なドライアイス代が含まれていないという。それとご遺体を綺麗に治す作業は別。1日合計で7万円以上の金額だ。約1週間で70万円もの費用がかかる。それに火葬場の料金はもちろん別。お花代も別。祭壇も別。火葬場までの移動はどうするのか。なんやかんやどんどんプラスされていく料金。
最後にそのプラスされた合計金額よりちょっとお高いパック料金を見せられる。これならお花も祭壇も標準の保管料も付いている。
「これの方がいいよ」妻は叔母にいう。
叔母は「なんだか家族葬って感じでもないわね」そういった。「おじちゃんが小さく家族葬にしようねって言っていたのに。これじゃ普通の葬式だわよ、あっこちゃん」と仕切る妻へ「どうにかせよ」と顔で訴えている。
「でもさあ、1番高価なのがドライアイスなんだから節約できなくない?1番やらなきゃと思うものだからね。じゃあ、パックにした方が安いじゃない」
相手の思う壺というか、家族葬59万円は夢に消えた。お金がなきゃできないんだから59万円だってやれないことはないだろうに。まあ、そうだ、ドライアイスがなくて顔がぐしゃぐしゃになろうが、お花がなかろうが火葬場に行くまで59万円でできるはずだ。
そんな話を他でしていたら「家族葬30万円でできたらしいよ」とか「火葬場直送っていうのもあるようですよ」とか色々な話を聞いた。亡くなった翌日とかに決めなければいけない葬儀は「うまくできなかったかも」そういう反省点でいっぱいだ。葬儀に慣れはしないのだろうから「今度はうまくやりたい」と思ってもなかなかできない。
葬儀当日も、みなさんで火葬場まで行き精進落としのお食事も用意してあったのに、うまく連絡が行き届かず、お帰りになってしまった方が数人。火葬場まで一緒に行っていただけるかも確認しなければいけないが「来て欲しい」とお誘いするのもどうかなあと思ってしまう。
若輩者の私たち夫婦にとってはその辺りも悩んでしまった。叔母は来ていただいてお食事でもてなすことが故人にとってもその方にとっても良い、と思っている様子だが、果たしてそうか。誘ったら断りづらいんではないか、とか。その辺りのしきたりみたいなものがわからない。
葬式が終わってからも、不幸を聞きつけたご近所さんや、お友達が家へお悔やみにやってくるという。部屋を片付けお茶請けなどを用意する。
葬儀費用は後で銀行から出すのか。
先にも話したが、叔父は自分が死ぬなんて微塵も思っていなかったから、通帳もほぼ叔父の名義だった。普通預金には残高も生活費程度しかなく、家族葬から4倍以上になった金額はありそうもなかった。定期預金からまだ下ろせるのか。わからないことだらけだ。
妻は「おじさんが亡くなったと申告した時点からお金が動かせなくなるって聞いたけど」そう叔母にいうと「大丈夫、内緒にしてくださいっていったから」
「え?誰かにいっちゃったの?」
「担当から電話がかかってきてちょうど定期が満期になったっていうから」
「もうダメなんじゃないの?」
「大丈夫よ」と叔母は強気だったが、銀行へ行ってみると、やはりもう「死亡」の話は銀行に通ってしまっていた。これらの定期預金を下ろすのにはたくさんの書類と死亡届などが必要とのこと。
「みんなが葬儀屋の領収書持っていけば銀行がやってくれると言っていました」と叔母も引き下がらない。
「みなさんってどなたですか?」銀行のお偉いさんが叔母に聞く。
「ご近所のお友達が」
「今日はお引き出しすることができません」
何も用意していかなかったこちらが悪いのだ。叔母は「内緒にしてくれなかった」と憤慨している。
「内緒にできるわけないじゃないねえ」妻も誰にぶつけていいかわからない愚痴を隣にいるボクに話す。銀行の人に話しちゃったらもう止められちゃう。貸金庫もだよ。キャッシュカードがあれば叔父名義でも引き出せるけど。
他にも公共料金の口座名義の変更、年金事務所へ死亡届や遺族年金の手続き。区役所では世帯主変更届。生命保険の申告、新聞の名義変更。次から次へとやることがある。
もう90歳に近い叔母にその手続きは不可能である。みなさんはどうしているのだろうか。
叔母は色々なことが頭の中を駆け巡り、亡くなった悲しみと共に具合が悪くなってしまい、我が家へ泊まりにきている。また高齢者が1名、我が家に増えた。グループホームのようである。まあ、最近そんな我が家も悪くないと思えてきた。妻は大変なんだけど。
家族葬とはいいづらい祭壇。(写真・本人提供)
若い世代の肩に多数の老人が乗っているのは社会保障の問題だけではありません。
神足明子(妻・介護する側)
少子化の世の中で叔父・叔母問題の話もよく聞くように。
叔父が亡くなったことで、しばらく私も忙しくなりそうです。急なこととはいえ、叔母の傷心具合が結構激しく、車で早くて1時間、混んでいれば2時間ぐらいかかる道のりを行ったり来たり。気丈だったはずの叔母の変わりように困惑しています。でも、私が幼い頃からたくさん遊んでもらった大好きな叔母です。
よく、若い世代の肩の上に多数の老人が乗っている社会の縮図を絵で見ることがありますが、社会保障の金銭的な問題だけではありません。この少子化の世の中、私の周りでも叔父・叔母問題の話をよく聞くようになりました。親の介護さえもままならないのに。まさか、私がそうなるなんて思ってもいなくて、友人達の「大変話」を横で聞いていただけなのに。
「叔母を地方の老人ホームに預けたの。月に叔母が出せる金額は15万まで。地方しかなくって。でも仕方ないわ、面会にも行けないけど」
そんな話を皮切りに「叔父が亡くなったって行政から連絡があって、、、付き合いもなかったから困った」という話も聞きました。
「叔父が亡くなって母の妹にあたる叔母が一人になった。結構認知がひどくて1人で何もできない」と話していた仲の良い友人の「大変話」を横で笑い話のように聞いていたのに、だ。
その友人は自分の家の近くの老人ホームに入居させ、病気になれば入院させて手術にも立ち会う。面会にだって周りが心配するぐらい毎週行って、好きそうな洋服やお菓子の差し入れもする完璧ぶりでした。
「大変だねえ、お父さんの介護が終わったばかりなのに」彼女はお父さんを自分の家に引き取って介護してお見送りしたばかり。もちろん両家のお母様はご存命でこれから先、介護も待っているでしょう。彼女みたいに完璧主義だったら今の私はパンクしていると思います。
我が家の場合は両親が要介護4と5、裕司も要介護5。そして今回叔母が加わったのです。お葬式が終わって1ヶ月ちょっと。半年ぐらい会っていなかった叔母が「こんなに弱っていたか」と思うぐらい、少し歩けばふうふういって「何にもする気になれない」といいます。眠れない、食べられない、フラフラする。もう3回も倒れました。点滴をしてもらって、ご近所の方々にも迷惑をかけています。近くの友達が食べるものを持ってきてくれるのだといいます。我が家にも何回か泊まりに来てもらったりもしています。
泊まりに来ると「家が気になるから帰りたい」といって落ち着かない雰囲気。「叔父が全てやっていた」と聞きましたが、本当に「全て」やっていたんだなあと。新築したばかりの家のお風呂の栓の抜き方も、洗濯機のスイッチも。もちろん預金や生命保険、カードの支払いも、何もかも「叔父任せ」だったようです。
「あっこちゃん、わからないわ。多分これ」いつも夫婦2人で何をするのも一緒でしたから、なんとなく隣で見ていて「わかっていたつもり」だったのかもしれませんが、結局最初から調べないといけないことだらけです。「叔母は幸せな人生を歩んでいたんだなあ」とつくづく思います。これからやらなきゃいけないものを詰めるバッグを作り通帳や支払い、生命保険の証書などを入れてみましたが、そのバッグは日増しに膨らみ「やらなきゃいけないリスト」は増える一方です。
「人が1人亡くなってやること」を経験するのは初めて。こんなに膨大な手続きをお年寄りがやるのでしょうか。誰かがアドバイスしてくれるのでしょうか。
そうそう、アドバイスに関してですが、本当に「色々なアドバイス」が叔母の元にも入ってきます。叔母が1番信用しているのは友人のアドバイスなのですが、そのほかにも色々な電話がかかってきます。営業の電話だったり本当にさまざま。「アドバイス、相談に乗ります」といわれお話を聞きますが、どれが良い話でどれが危ない話なのかもよくわかりません。
叔母には「電話がかかってきても手紙が来ても『姪が来るまでわかりません』っていって」と話して、一人で進めないようにしています。我が家にいる実の母も叔母も「まだまだ現役」そう自分を思っています。もちろんそうなのですが「ちょっと意見を聞いてから返事して欲しい」そう話しています。そう思ってしまうような危険がいっぱい転がっているのも事実です。
最後に介護する側からひとつ。このところ葬儀が立て続けにあり、裕司を連れて葬儀場や火葬場に行くことが何回かありました。
葬儀場はしかたないとして火葬場にも裕司が使用できるタイプの「フル装備バリアフリートイレ」はありませんでした。
葬儀は最初から最後まで列席すれば半日はかかります。
「高齢者も多い場所だろうになあ」とちょっと疑問に思いました。火葬場などは行政が行っているところも多いと思うので、ぜひそのあたりの整備もお願いしたいと感じました。
無事に納骨を終えることができた。(写真・本人提供)
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。