<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第50回「人生まだいける」
旅は「生きてる感触」を思い出させてくれる。
神足裕司(夫・介護される側)
くも膜下出血で半身が動かなくなってから旅は「こなすもの」じゃなく「思い切って挑むもの」に変わったのだ。
今年は旅の仕事が多い。今も台湾のホテルの部屋で、窓の外をぼんやり眺めている。
湿った空気のなかに、どこか懐かしい匂いが混じっている。東京よりも気温は低い。最高でも30度だ。でも湿度はかなりのもの。
空港に着いて街を歩けば、なんか懐かしい匂いがしてくる。あれは夜市の匂いだ。焼き餅に八角、汗ばむ人の肩がすれ違う、あの感じ。色々な地の色々な匂い。「ボクは今、旅をしている」そんな気分になる。
通販生活でこのコラムを書くようになって、もう50回になるらしい。編集部から連絡が来たとき「えっそんなに書いたか?」とちょっと驚いた。色々な意味の旅を書いてきた。
ボクは昔、自分のことを「旅の達人」だと思っていた。テレビのロケで、講演で、地方局で、1年の5分の4は自宅にいない生活。あっちの新幹線、こっちの飛行機、駅弁の売り場の位置まで把握していて、効率よく、無駄なく、旅をこなしていた。そんな風に「こなしていた」のがボクの旅だった。
けれど、くも膜下出血で倒れ、半身が動かなくなってから、旅は「こなすもの」じゃなくなった。「思い切って挑むもの」に変わったのだ。
「旅に出る」――それは今のボクにとって、大げさじゃなく「プロジェクト」である。スケジュールを決めて、誰と行けるかを確認して、航空会社に連絡し、車椅子対応のホテルを調べ、トイレの位置までチェックしておく。行けない理由は山ほどある。でも、行く。行ってみる。そういう気持ちになる。
砂浜にだって、もう一度行きたい。車椅子にとっては最悪のロケーション。砂はタイヤを飲み込むし、動かない身体は日差しにさらされる。でも、行きたい。裸足になれなくても、波の音だけでいい。少し風を受けるだけで「ああ“ここまで来たんだ”」って思える。ボクにとって旅は、そういう「生きてる感触」を思い出させてくれる時間だ。
雪国にも行きたい。車椅子で吹雪の中は無理だって言われるかもしれない。滑るとか、足元が危ないとか。でも雪って、あんなにも静かで、あんなにも包み込むものだったんだって、あの空気をもう一度味わいたい。寒さのなかで、身体は少し縮こまっても、心がどこかほっとする。そんな旅も、ある。
それに、行く先々で人の優しさに出会えることが多くなった。昔は「誰か手を貸してくれないかな」と思っていてもなかなか言い出すことすらできないでいた。「申し訳ない」という気持ちが先に立ち躊躇していた。今でもそんな気持ちは拭えないが、世の中はそんな捨てたもんじゃない、自然と手を差し伸べてくれる人も山ほどいることを知った。助けてもらって、つながって、旅先での小さな会話が心のどこかに残っていく。
そうして「移動」が「旅」になる。行ける場所も、できることも、昔よりずっと限られているけれど、今の旅のほうが、ずっと濃い。
通販生活で書かせてもらったこのコラムでも、そんな旅のことをいくつも書いてきた。電動車椅子での移動、航空会社のサポートの違い、地方の温泉旅館での奮闘記。バリアフリーの現実。そこにあるユーモアも、苦労も、発見も、ありのままに届けてきたつもりだ。
ボクにとって「旅」は「もうだめかも」と思ってからも「まだ行けるぞ」って思わせてくれる存在だった。
身体が動かなくなったことを理由に、世界から距離を置くのは簡単だ。でもちょっとがんばって世界に触れてみると「ほら、意外といけるじゃん」と自分自身に言いたくなる。
今、台湾のホテルの部屋から、窓の外を眺めながら書いている。あそこには何があるんだろうな。大通りから角を曲がったらごみごみした路地が見える。マッサージ屋にルーロー飯の店。どうせ行ってもガタガタ道は進みづらいだろうけど、それでも行ってみたい。
旅は、あきらめなければ、まだ続いていく。
そしてボクはまた次の「行ってみたい」を探している。
台湾の夜市とホテルの窓から望む景色(写真・本人提供)
簡単ではない車椅子での海遊び。
神足明子(妻・介護する側)
海を前にした裕司の顔を見れば「ああ、来てよかったな」と心から思うのです。
裕司の「旅」は続きます。最近では宮古島に行きました。宮古島といえば、なんといっても海。
「与那覇前浜(よなはまえはま)ビーチ」や「砂山(すなやま)ビーチ」などは全国的にも有名で、目を疑うような美しさです。エメラルドグリーンから群青へと変化していくグラデーションは、まるで絵の具をこぼしたみたい。浅瀬は水面がきらきら光り、奥に進むにつれて透明なブルーが深くなり、見ているだけで心が溶けていきます。
けれどもこの「楽園の入り口」にはひとつだけ手ごわい相手がいます。それは砂浜。
車椅子にとって海の砂は強敵です。タイヤは沈みこみ、ちょっと前に進めるにも全身の力を使います。平らに見えるところも、少し傾斜があれば簡単にずるっとタイヤを取られてしまいます。
ましてや、砂浜を抜けた先の波打ち際までは、ふつうの道具や力では近づけません。
もちろんいつもの※JINRKI(じんりき)は持っていきます。※けん引式車椅子補助装置
それでも手強い自然の砂浜。しかも、今回はバリアフリーを謳っているビーチではありません。なんとか砂浜へ行ける方法はないか探します。
裕司は元・水球選手。海も、水も、大好きなのです。くも膜下出血で体は思うように動かなくなっても、心の中の海では今も現役。きっとスイスイと水を切って泳いでいる自分をイメージしているのでしょう。
だからこそ、波の音が近づくと、怖がるどころかまっすぐ海に向かっていきます。その背中にあるのは、競技のときと同じ集中した空気。そばでサポートしている者は、ドキドキしながら見守っていますが、それでも——海を前にした裕司の満足げな顔を見れば「ああ、来てよかったな」と心から思うのです。
今回訪れたのは、新城(あらぐすく)海岸。観光ガイドでは「初心者でもシュノーケリングが楽しめる海」として紹介されることが多い場所です。
確かにほかの宮古島のビーチと比べると、車椅子でも砂浜のかなり近くまで行けるのがうれしいところ。駐車場からの道も比較的平坦で途中までなら介助者ひとりでも押していけます。ただ最後はやはり数段の階段。そして砂浜。その先には海まで続くやわらかな白い砂。ここから先は、ひとりでは無理です。
今回お世話になったのが、海の家GLAM(@glam_miyakojima)のみなさん。海の男たちは力持ちで、しかも動きに無駄がなく、やさしい。裕司の身体を支えながら、まるで軽い荷物を運ぶみたいに、スッと海へ運び入れてくれます。その手つきは決して乱暴ではなく「楽しんでもらいたい」という気持ちが全身から伝わってくるものでした。
カヤックへの移乗と海の上での様子(写真・本人提供)
「とにかく楽しんで帰ってほしい。手伝えることは言ってくれればやるから」——そう言ってくれる海の皆さんの声は、波音よりもまっすぐ心に届きました。砂浜までの階段を下ろしてくれたり、波打ち際まで車椅子ごと運んでくれたり、カヤックに乗せて引っ張ってくれたり。海の中では、ぷかぷかと気持ちよく浮かばせてくれました。
海に浮かぶ神足さん(写真・本人提供)
ひと休みしたいときには、屋根付きのブースで風に吹かれながら涼み、海を眺める。そうやって裕司は宮古島の時間をたっぷり満喫しました。
海の中は透明度が抜群。足元までくっきり見え、魚たちが影のように泳ぎ回っています。光の帯が水中で揺れて、砂に模様を描く。少し沖に出ればウミガメが悠然と泳いでいて、近づいてきます。手を伸ばせば届きそうな距離です。
すぐそばにいるウミガメ(写真・本人提供)
車椅子での海遊びは、正直、簡単ではありません。計画、準備、そして何よりサポートしてくれる人たちの力が必要です。それでも、海が好きな人にとって「行って良かったなあと」思う瞬間があるのです。
裕司が海に浮かび、波に身を任せ、太陽を見上げる。その瞬間の笑顔を見たら、すべての苦労は一瞬で吹き飛びます。「まだまだ好きなことができるんだなあ」——そう感じたとき「感動」という言葉が少し陳腐に思えるほど、心に深く沁みるものがありました。
旅の最後の日、私たちはもう一度、新城海岸を訪れました。潮風が心地よく、波はゆるやか。海の家の人たちとも顔なじみになり「また来てね」と笑顔で送り出されます。今回は事前に準備されたバリアフリーな行程でもなく、行ってから、海の家GLAMさんと、SUP(スタンドアップパドルボード)やカヤックを利用させていただいたSmile Sup miyakojima(@smile_sup_miyakojima)さんなどの皆さんにお願いしてみました。快く快諾してくださった皆さんに感謝してもしきれません。
浜を離れるとき、裕司はまだまだ名残惜しそうに海を見ていましたが、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしました。
帰り際、裕司が小さく「よかった、楽しかったな」と言ったそうです。短い言葉だけれど、そこには全部が詰まっていると思いました。新城海岸の皆さん本当にありがとうございました。
お世話になった新城海岸の皆さんと(写真・本人提供)
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。