<毎月第2・4火曜更新>2011年、突然のくも膜下出血により要介護5となった神足裕司さん(コータリさん)と、妻の明子さんが交互に綴る「要介護5」の日常。介護する側、される側、双方の視点から介護生活を語ります。
連載第48回「国際線チャレンジ記」
身体が不自由になったって、旅はできる。
神足裕司(夫・介護される側)
今は「お願いする」「甘える」「自分のペースを守る」ことが大切だと知った。
ボクは旅が好きだ。仕事でもよく旅に出るが、それに加えてプライベートでもよく行く。
皆さんは心配してくれる。「飛行機大丈夫ですか?」
飛行機の中でくも膜下出血を発症したからだ。でもボクは病気をしたって乗りたいなと思った。片側の手足が思うように動かなくなっても、気持ちはまだ旅人なのだ。
だが、空港ってやつはとにかく広い。まるで街ひとつ分くらいある。チェックインカウンターから搭乗口までが遠い。しかも最近はインバウンドで混んでいる。何回来てもボクは空港が好きだ。さて、そこから旅は始まる。
ANAとJAL、どっちがどうだ?
日本発のフライトとなれば、やっぱり安心感があるANAとJAL。結論から言うと、どちらも障がい者対応は丁寧。だけど違いもある。
まずはANA。電話対応が丁寧で、サポートデスクの人たちはまるで秘書のよう。事前に「車椅子が必要」「座席は通路側がいい」など伝えると、当日は全てが準備されている。
国内線での慣れもあるのか、全体的にスムーズ。優先搭乗等はあるが「みなさん平等で」という感じがする。
成田発になるとターミナルが複雑で、案内の連携がやや甘い印象もあった。
JALはというと、さすが「おもてなし」を前面に出しているだけあって、スタッフの目配り気配りが細かい。チェックインから搭乗まで地上係員の同じスタッフが付き添ってくれた。安心感バツグン。
ただ、機体によってはトイレが狭く、長時間のフライトだと身体がきついという点は覚えておいたほうがいい。荷物などもお手伝いが必要な方が先に出てきたり、サポートはボクはJALが手厚いなあと感じる
ちなみに、どちらも事前の「サポート申請」が超重要。出発の48時間前までに連絡を入れておくと、車椅子、同行者の搭乗補助、搭乗前の優先案内などが用意される。
これを怠ると、空港で「え? どうする?」みたいな空気になるので注意。
空港での流れはこんな感じ。
1. 出発2〜3時間前に到着:時間には余裕を持つべし。通常より移動に時間がかかる。
2. サポート受付カウンターでチェックイン:ANAもJALも専用の窓口がある。
3. 保安検査〜出国審査:車椅子利用者は専用レーンでスムーズ。靴を脱がされることもなく、ボディチェックも優しめ。
4. 搭乗ゲートへ:スタッフが付き添ってくれる。トイレの位置などもここで確認しておこう。
5. 優先搭乗:一般客より早く機内へ。これが、すごくありがたい。
機内でのこと。
席は通路側を選んだほうが無難。窓際だと乗せてもらう時大変だ。長時間フライトでは、機内用車椅子を借りられることもあるが、トイレはやはり狭い。だから、搭乗前に「できるだけ軽装備」で臨むのがコツだ。
座席にクッションを持ち込んだり、背中に当てるパッドを使う人もいる。僕は持っていく。じゃないと、尻がやられる。
CAさんたちは、みんな親切。だけど、ちょっと遠慮してしまうのが日本人のサガ。ここは遠慮なく「体勢変えるの手伝ってもらえますか?」など気軽に伝える。これ、旅の中で一番大事なマインドセットかもしれない。
海外の航空会社に乗ってみた感想。
ちょっと面白かったのが、エミレーツ航空。中東の航空会社だけど、サポートはなかなか手厚い。ドバイ国際空港のラウンジはバリアフリー対応も進んでいて、車椅子のまま入れるトイレがめちゃくちゃ広い。本当に広くて驚くくらいだ。あれには感動した。
KLM(オランダ航空)では、なんと「空港内専属アシスタント」がついてくれた。オランダ人の青年がずっと付き添ってくれて、ボクにチョコレートまで買ってくれた(これはサービスじゃなく、たぶん彼の優しさ)。
逆にちょっと残念だったのが、LCC(格安航空会社)。サポートはしてくれるけど、事前連絡をしていても、手配が間に合っていないケースが多い。「もしかして連絡されてない?」なんてこともあった。でも10年前に比べて数段、素晴らしく考えられるようになった。
身体が不自由になったって、旅はできる。ただ、準備と工夫、そしてちょっとの「図々しさ」が必要。昔の自分なら考えなかったけど、今は「お願いする」「甘える」「自分のペースを守る」ことが大切だと知った。
空を飛ぶということは、自分の身体をもう一度信じること。
今回は仕事先のご厚意でビジネスクラスを用意してもらったが、隣の席の介助者とうんと離れていて食事介助などはしてもらいずらいことこの上ない。
ゆったりと横になれるのはありがたいけど、介助者には大変不便だった。エコノミーを2席とかのほうがあっているのかな。
また飛行機に乗ろう。次はどこへ行こうか。空の上で夢を見る。それだけで僕はまだ、生きてるって気がするのだ。
個々の席が独立し通路を挟むレイアウト(写真・本人提供)
空を飛ぶというのはただの移動じゃない。
神足明子(妻・介護する側)
介助スタッフの「お任せくださいね」の一言が、ほんとにありがたい。
飛行機に乗るたびに思う。「空港って、宇宙だな」と。
人はみんな忙しそうに歩いていて、ルールも言葉も違うし、どこか浮世離れしてる感じがある。昔から大好きな場所でした。
車椅子の裕司と一緒に飛行機に乗るようになって、その“宇宙”の知らない入り口を発見した気分です。
裕司は国際線の話をしましたが、私は国内線について。
今回の旅は大阪万博。「万博って東京からは新幹線じゃないの?」と思うかもしれませんが、少し交通費はかかるけど飛行機で行ってよかったと思っています。その話は別の機会に。
飛行機の旅は、まずホームページで航空券を取ったあと「車椅子です」と申告。ホームページ上からできます。
「ご自身の車椅子は、手動式ですか? 電動式ですか?」であったり「お体の状態について、全く歩けず移乗の際も人の助けが必要ですか?」という内容の質問には「歩けるけど階段は無理」「長くは歩けない」など段階別の確認があります。
ANAの方がさっぱりしている印象で、JALの方が細かく確認があるけどその分手厚いかな。
羽田空港では、車椅子利用者専用のカウンターでチェックイン。介助スタッフの方がすぐに来てくれて「お任せくださいね」とニッコリ。この一言が、ほんとにありがたい。
搭乗のときは、専用のリフトで飛行機に乗せてもらうこともあります。最近はスタンダードになっている「搭乗口からタラップなどを歩いて機内に行けるタイプ」“ではない飛行機”の場合。専用のバスに乗り、エレベーターがついた大型コンテナのようなものに乗るのです。操縦してくれる人、誘導してくれる人、かなりの人数が動いてくれます。
裕司を連れて行ってくれる係員の方もいて、こちらも補助に回ります。リフトの揺れ方にちょっと笑ったり「機長さん見えるかな」なんて言って緊張をほぐしてくれることも。
皆さんが絶対通らない動線で飛行機に乗る場合もある一例です。今回の万博行きはそうではなかったですが。
さて、機内では通路が狭いので、座席まで行くには「機内用の細い車椅子」に乗り換えます。もしくは大きい車輪を外して機内のサイズに変身するのです。
介助スタッフの方は「お尻が痛くならないように」とクッションまで敷いてくれて「座席に移るの、ゆっくりでいいですよ」と丁寧に言ってくれます。
その細やかさに、私も裕司も、思わずホッとするのです。
今回の飛行機は満席だったけれど、CAさんたちが声をかけてくれるたびに「見ててくれる人がいる」って思えるから、不安が和らぎます。
到着地では、すべての人が降りてから最後に降ります。そこでも手持ち無沙汰かとCAさんが話しかけてくれました。
「ご旅行ですか?」「え!今日お帰りですか?すごいですねー、お疲れが出ませんように」
私は「いえ、空を飛ぶってすごいことだから、大好きなんです」と答えるようにしています。
たしかに、面倒は多い。時間もかかる。でも、これだけの人たちが動いてくれて、たった1時間ちょっとで、大阪まで来られるなんて。
それはやっぱり、「奇跡」だな、と思います。
空港のバリアフリーは、まだまだ完璧ではありません。
トイレの場所が分かりにくかったり、ゲートが遠すぎたり、エレベーターが混んでいてなかなか乗れなかったり。
でも、「その人がその人らしく旅できるように」と願ってくれる人たちがいるのも空港です。
今回の旅は帰りの空港で、同じように車椅子の方とすれ違いました。
その方も娘さんらしき人と手を繋いでいて、なんとなく、うちと同じ空気が流れていた気がします。
声はかけなかったけど、すこしだけ、心で会釈しました。
空を飛ぶというのは、ただの移動じゃない。
「また来ようね」と言える、その気持ちの芽を静かに育てる時間なんだと、私は思っています。
機内用車椅子での移動と移乗の様子(写真・本人提供)
神足裕司
こうたり・ゆうじ●1957年広島県生まれ。大学時代からライター活動を始め、グルメレポート漫画『恨ミシュラン』(西原理恵子さんとの共著)がベストセラーに。クモ膜下出血から復帰後の著書に、『コータリン&サイバラの介護の絵本(文藝春秋)』など。
神足明子
こうたり・あきこ●1959年東京都生まれ。編集者として勤務していた出版社で神足さんと出会い、85年に結婚。1男1女をもうける。