山田太一論 家族と暮せば 文 川本三郎(評論家) 山田太一論 家族と暮せば 文 川本三郎(評論家)

イラスト/瀬藤優
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冬構え
中編

作品:
冬構え
1985年3月(全1回)NHK
脚本:
山田太一
演出:
深町幸男
音楽:
毛利蔵人
出演:
笠智衆、沢村貞子、岸本加世子、金田賢一、せんだみつお、谷村昌彦、藤原釜足、小沢栄太郎、水原英子ほか

一人旅の老婦人との出会い。

昭二は青森県の八戸市の山のなかの出身で、一度、実家に戻ろうとしている。そこでこれからの身の振り方を考える。いつも陽気な麻美は、若い自分たちには仕事はいくらでもあると気楽に考えている。それにまた気前のいい圭作と会えれば、自分たちの店の資金を出してくれるかもしれない。 

宮城県から岩手県へと向かう圭作と、それを追う若い二人。秋が深くなり、山々の紅葉が美しい東北をそれぞれの旅が続くことになる。

圭作がまず訪れるのは、中尊寺(岩手県)、金色堂、さらに毛越寺(もうつうじ)。東北の代表的な観光地。東北ははじめてという老人の一人旅だから、ごく普通の観光地を辿るのは当然だろう。

秋の美しい紅葉のなかを歩く。コートにマフラー、そしてソフト帽とバッグ。ステッキをついているとはいえなかなか健脚である。

中尊寺周辺を歩いているとき、行く先々でやはり一人旅らしい老婦人(沢村貞子)に会う。ごく自然に挨拶を交わし、ごく自然に二人は一緒に歩くようになる。

中尊寺の参道の食堂で共にそばを食べる。圭作は、若い頃、旅をすると誰か女性に会い親しくなることを夢見たが、一度もそんな幸運にはあわなかった、それがこの年齢になってごく自然に親しくなれたと、晴れがましい気持ちを伝える。

1985(昭和60)年3月30日(土)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

きれいなままで過ごす夜。

二人は山沿いの和風旅館に泊まることになる。この粋な感じの女性は、藤村アキという。熊本出身の笠智衆が熊本出身の圭作を演じているように、浅草出身の沢村貞子が浅草出身のアキという女性を演じている。このあたり私小説の感がある。

沢村貞子は明治四十一年(一九〇八)の生まれだからこのドラマの時は七十七歳。笠智衆より四歳年下になる。

旅館の同じ部屋でこたつにあたりながら、圭作とアキはそれぞれ互いのことを語り合う。行きずりの男女の一夜だけのいい関係が生まれそうになる。

が、しかし、二人とももう年齢だから酒を飲む以上のことには発展しない。

ひと風呂浴びて部屋に戻ってきたアキは正直にこんなことを打ち明ける。一人旅をしているといったが実はそうではなく、明日、盛岡のホテルで夫と落ち合うことになっていると。そういって申し訳ありませんと詫びる。

圭作はそれを聞いて、むしろほっとしたように「そうですか、このままきれいでいましょう」と応じる。八十歳になる身としては、もとよりそんな気持ちはなかっただろう。ただ話し相手が欲しかった。

笠智衆の穏やかな笑顔が見る者を安心させる。アキはそれを見ながらいう。「穏やかにお年齢をお取りになって。私などいまだ主人や息子、その妻に生ぐさい気持ちがあります」。

それを聞いた圭作は「自分も生ぐさい人間ですが、こんどの旅でかわりました。人を見る目、ものを見る目もかわって、穏やかな気持ちになれました」という。

妻を亡くした設定と重なる枯淡の境地。

東北への一人の旅は、一種の巡礼の旅になっているようだ。紅葉の美しい風景を見ながら圭作は心が浄化されていったのだろう。旅の力である。

こういう枯淡の境地を演じられる俳優は笠智衆くらいしかいないだろう。山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズで笠智衆と共演した倍賞千恵子は、山田監督は笠智衆を「後光がさしている」と評したという(倍賞千恵子『いつも背筋をピンと』、笠智衆『あるがままに』に所収小池書院、一九九八年)。渥美清が笠智衆死去の報せを受けて「生き仏」のようだったと敬意をこめていったのと重なる。

圭作は六年前に妻を亡くしているという設定だが、笠智衆自身も、一九九一年に一歳年下の愛妻、花観(はなみ)を動脈瘤の破裂によって亡くしている。花観は松竹の脚本部にいたからいわば職場結婚だった。二人が結婚したのは昭和四年。まだ笠智衆が大部屋俳優で苦労しているときだった。

奥さんは笠智衆と違ってタバコも酒もやる。車も運転する活発な女性で、身体も丈夫だったから自分より長生きすると思っていた。そこへ突然の死。悲しみはいかばかりだったろう。葬儀のあと、笠智衆は火葬場には行かなかったという。

「僕は、火葬場には行きませんでした。花観が灰になる場所に居合わせたいとは、思わなかったからです」「すべてがなにか夢のような、遠い昔の出来事のように思え、倒れて以降、ずーっとボンヤリしていただけだったのかもしれません」(前出『あるがままに』)

イラスト/オカヤイヅミ

美しい東北の景観とともに。

藤村アキと別れた圭作は一人、盛岡へ向かう。画面には、盛岡市のシンボルというべき北上川に架かる開運橋と、遠くに見える南武冨士とも呼ばれる岩手山(いわてさん)が映し出される。

盛岡市は美しい町。市内を三つの大きな川——北上川、黒石川、中津川が流れる水の町。戦災に遭っていないので大正時代や昭和初期に建てられた古い建物がいくつも残り、町に落ち着きを与えている。

二〇二三年には、ニューヨーク・タイムス紙による「世界の行くべき52ヶ所」のひとつに選ばれて話題になった。

圭作は、南部藩の城のあった城跡公園で紅葉を楽しむ。美しい景色に心が洗われたことだろう。

盛岡の次には、同じ岩手県の港町、宮古(みやこ)へと足を伸ばす。盛岡からは、国鉄(現在のJR)の山田線に乗る。

山田線は盛岡—宮古—釜石を走る。山間部を走る宮古までと、宮古から三陸海岸に沿って走る宮古—釜石までと二路線にわかれる。

圭作はまず宮古に行き、小さな和風旅館に泊まる。次の日、宮古から陸中海岸をめぐる観光船に乗る。宮古から北の久慈(くじ)の手前あたりまでの海岸はリアス式の景勝地が続き、陸中海岸国立公園になっている。

圭作はウミネコの飛ぶ様子を船から見て顔をほころばす。圭作のゆったりした気分が見る者に伝わってくる。

死への願望と恐怖。

しかし、その穏やかな表情は長く続かない。

陸中海岸には鵜(う)の巣(す)の断崖という絶景地がある(田野畑村)。二百メートルもの巨大な柱のような断崖が五列に並ぶ。

圭作は船から降りてこの断崖を見に行く。上から海を見下ろす。ここから落ちたら当然、命はないだろう。崖下を見下ろす圭作の顔つきはさきほどの穏やかな表情が消えて険しい。

ひょっとするとこの崖から飛び降りたいと思っているのではないかと見る者は、ここではじめて圭作の旅は死に場所を探し求めているのではという疑いにかられる。もしや老いた圭作の旅は死出の旅ではないのか。

しかし、下を見て恐怖にかられたのか、圭作は逃げるように崖から離れてゆく。

一方、若い二人、麻美と昭二は圭作のあとを辿ってゆく。宮古まで来て、圭作が三陸海岸を巡る観光船に乗っていったと知り、自分たちも宮古から北上する。

二人が最初に行くのは田老(たろう)という海辺の町。この町は、これまで何度か地震による大きな津波にやられ、大勢の死者が出たために、万里の長城と呼ばれた防潮堤が作られていた。

にもかかわらず、このドラマのあと、二〇一一年三月十一日の東日本大震災でまたしても大きな被害を受けた。その事実を知って、いまこのドラマを見ると、若い二人が田老の防潮堤のところでこれからのことを語り合う場面に複雑な気持ちになる。二人の背後に、あの日の惨劇を見てしまう。
※以下、後編に続く(6月18日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)、『陽だまりの昭和』(白水社)がある。

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