イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は、中年男女の恋愛を描いた山田ドラマの中でもベストと川本さんが推す『遠まわりの雨』です。渡辺謙と夏川結衣が演じる、かつて恋人同士だった二人が20年後に再会して起こるさまざまな感情の機微をじっくり追いかけたこの名作を、川本さんと共に味わっていきましょう。

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遠まわりの雨
中編

作品:
遠まわりの雨
2010年3月(全1回)日本テレビ
脚本:
山田太一
演出:
雨宮望
音楽:
村井邦彦
挿入歌:
スーザン・ボイル「翼をください〜Wings To Fly」
出演:
渡辺謙、夏川結衣、岸谷五朗、田中美佐子、AKIRA(EXILE)、川島海荷、井川比佐志、YOU、近藤芳正、日野陽仁、渡邊紘平、藤村俊二、柳沢慎吾、キムラ緑子、筒井真理子ほか

モノ作りの現場に戻るその心の奥。

ところが、次の日、なんと草平が蒲田の工場にやってくる。いまのホームセンターでのモノを売る仕事にうんざりしている草平は、若い頃に熱心に働いた町工場でまたモノ作りの仕事をしてみたい、古巣を見てみたい、という思いがある。

それに心のどこかには、かつて愛した桜の頼みに応えたい、桜と一緒に働きたいという思いもあるだろう。

昔気質の職人で、無骨で無口な草平は桜への思いを伝える器用なことは出来ないが、二十年ぶりに会った「あの頃よりきれい」な桜のためになんとかしたい。

フランスの映画監督フランソワ・トリュフォーのある映画に「女は恋愛のプロだが、男はそうではない」というセリフがあったが、草平はおよそ恋愛には不向きな口の重い職人だ。

そんな草平が、一度は断りながら、自分のところにやってきたのを知って桜はうれしい。まるで恋人を迎えるように笑顔になり、うきうきしてくる。「ほら、やっぱり」という気持ちがあるだろう。二人のあいだに、若いときの情熱が静かによみがえってくる。

積極的な桜と律儀な草平。

草平は京浜急行の蒲田駅近くの商店街にある小さなビジネスホテルに泊まって、四日ほど秋川精機で働くことになる。

立派なシティホテルではなく、老フロントマン(藤村俊二)が一人しかいないような、どこかうらぶれたビジネスホテルが職人には合っている。

最初の夜、ホテルに付属した狭いレストランで草平が一人慎ましい食事をしているところに、桜が礼をいうために、自転車を漕いで息を切らしてやってくる。表情は明るい。昔の恋人が自分を助けに来てくれた!

礼をいったあと、桜はいう。

「行く?」

部屋に行くかと誘っている。桜のほうが積極的である。しかし、草平のほうは律儀な昔気質の男らしくそれには応えない。起一が脳卒中で入院しているときに、その女房と出来てしまうとはあんまりだ。桜は「そういうと思った」とあっさり納得する。

若いときの恋愛は、勢いにまかせて突っ走れるが、大人はそうはいかない。世間体もあるし、複雑な人間関係も制約になる。自分を抑えなければならない。

次の日、草平は病院に起一を見舞って、自分が数日、仕事を手伝うことになった、と挨拶する。このあたりも草平は、あくまでも律儀である。起一は若い頃に一緒に働いていた仕事仲間なのだから裏切るような真似はしたくない。渡辺謙が昔気質の男らしさを見せていい。

2010(平成22)年3月27日(土)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

機械と格闘する草平の格好良さ。

その日から草平は工場で働くことになる。

仕事に取りかかる前に、現在働いている工員たちに、よろしく頼むと頭を下げて挨拶する。ここでも草平は律儀だ。

草平はさっそく〝絞り〟の仕事に取りかかる。()()と呼ばれる長い金属棒を、金属板に当て()()()のように回しながら、先の尖った円筒を作ってゆく。ミリ単位の間違いも許されない正確さを必要とする仕事である。

その仕事ぶりを見て、工員たちも感服して次第に草平に打ち解けるようになってゆく。

普通のドラマの場合なら、この職人の作業だけはプロの職人に代役になってもらうのだろうが、渡辺謙は、撮影にあたってこの道四十年というベテランの〝絞り〟職人に指導を受け、短期間で()()を覚え、代役を使わずに自分で演じたという。

あとの場面になるが、草平の中学生の娘が蒲田にやってきて父親が〝絞り〟の作業で機械と格闘している姿を見て、思わず見とれる。ふだんホームセンターで嫌な客にも頭を下げてモノを売っている父親よりも、町工場で身体を使ってモノ作りをしている父親のほうが、「格好いい」と思う。父親に実際にそういう。

草平はこれにはうれしかっただろう。

イラスト/オカヤイヅミ

妻の立場もしっかり描く視点。

他方、妻の万里のほうはどうか。

妻には突然、ホームセンターの仕事を放り出し、反抗期にある一人娘を自分に押しつけて、古巣の蒲田の工場に行って働きだした夫が身勝手に思える。怒るのも無理はない。そんなことをしてホームセンターの仕事を失ったらどうするのか。前の工場が倒産した時には妻は苦労したに違いない。夫には、昔働いていた工場のことより、いまの自分の家族を大事にしてほしい。

山田太一は、この妻の立場もきちんと視野に入れている。山田太一が大人のドラマの書き手としてすぐれているなと思うのは、こういうバランス感覚がきちんとしているからだ。

夫が蒲田に行ったきり帰ってこないので、妻はある日、怒って蒲田に出かけてゆく。そして夫が工場で〝絞り〟の仕事をしているのを見て激怒する。

自分の家のことを放り出して無責任だと夫をなじる。草平は反論する。「モノを売る仕事は嫌なんだ。ここでモノ作りをしているほうが自分には合っている。この町は自分の原点だ」。

微苦笑と共に描かれる妻の行動。

妻はもう勘づいている。そんなきれいごとのためだけではない。夫が自分の家を放り出してここにいるのは、桜がいるからだと。

狭い町工場が並ぶ通りで夫婦喧嘩をするから工員たちもみんなこれを見る。もちろん桜の耳にも入る。

妻は工員たちに大声でいう。「皆さん、この人たちを見張っていて下さい」。そのあとのセリフがいい。

「これ以上、騒ぐとみじめだから、帰ります」

そして怒って帰ってゆく。

そのあと、彼女が娘に「四、五日、留守にします」とメールをして家を出ると、東京に行き、銀座あたりに出て高い服を買うのが微苦笑を誘われる。山田太一は決して彼女を嫉妬に狂った悪妻と描いているわけではない。共に苦労してやっと戸建ての家も買えたいまの暮しを夫がきちんと守らないでどうすると彼女が怒るのは、まっとうである。腹いせに高い服を買うくらい許されていいだろう。

この妻を演じる田中美佐子は山田太一のドラマでは、『想い出づくり。』(一九八一年)で柴田恭兵のちょっと不良っぽい恋人、『この冬の恋』(二〇〇二年)ではうってかわって、小さなクリーニング会社を経営し、年下の男の子を契約の愛人にしているしっかり者のキャリアウーマンを演じて印象に深い。
※以下、後編に続く(10月23日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。

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