評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。前回の『キルトの家』に引き続き、東日本大震災三部作の1作『時は立ちどまらない』を取り上げます。当初、3・11を題材にすることをためらっていた山田さんでしたが、どのような思いであの悲劇を描こうとしたのでしょうか。興味は尽きませんが、厳しい視点を持ちながら優しさも忘れない山田ドラマの神髄が本作でも発揮されているようです。川本さんとともに味わっていきましょう。
時は立ちどまらない
中編
- 作品:
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時は立ちどまらない
2014年2月(全1回)テレビ朝日 - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 堀川とんこう
- 音楽:
- 沢田完
- 出演:
- 中井貴一、樋口可南子、黒木メイサ、吉行和子、柳葉敏郎、橋爪功、岸本加世子、倍賞美津子、渡辺大、神木隆之介、新井康弘、大島蓉子、前田旺志郎ほか
震災後に語られる心霊譚。
ドラマから少し離れる。地震のあと被災地では死者の霊に遭ったという不思議な事例が相次いだ。ある石巻のタクシーの運転手は夏だというのに冬のコートを着た女性を乗せた。女性は南浜というところへ行ってくれという。そこはもう更地になっていて誰もいない、というと女性は「私は死んだのですか」と震える声で応える。驚いた運転手がうしろを見ると、そこには誰も乗っていなかった。
東北学院大学 震災の記録プロジェクト 金菱清(ゼミナール)編『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』(新曜者、二〇一六年)に紹介されている事例である。
金菱先生とゼミの学生たちは、被災地で一種のフィールドワークをして多くの人たちの話を聞くうちに、こういう不思議な話をいくつも聞いたという。しかも興味深いことに、死者の霊に遭ったという人たちは、そのことに怖れを抱くのではなく、むしろ敬虔な気持ちを持ったという。おそらくその人たちも、生き残ったことの安堵の気持ちと、死者に申し訳ない気持ちとに引き裂かれ、その葛藤が霊を引き寄せたのではないだろうか。
被害にあった者と被害のなかった者たち。
一度に三人の家族を亡くした吉也は、良介たちに思いもかけないことをいう。
「すまねがこのつき合いは、今日までにして貰いたい」。両家のあいだには大きな溝が出来てしまった。すべてを失った自分たちは、親切にされることが負担になってきている。自分たちはなんにもお返しが出来ない。それがつらい。
それを聞いて良介は、自分たちは無事であることがうしろめたい。せめて被害の大きかったあなたたちのお役に立ちたい、と言葉を絞り出すようにいう。
被害のなかった人間には、被害にあった人間の気持ちなど分からない。吉也はそう思っている。一方、良介のほうはそれは分かっていても、このまま何もしないではいられない。二人の真剣な気持ちがぶつかりあっている。
良介の気持ちを多少は分かったのだろう、吉也は良介に背中を向けたままだが、「そんなにいうなら今度一晩、泊めてもらおうか」という。良介も妻の麻子もそれを聞いてほっとしたように、もちろんです、喜んで、と受け入れる。吉也たちが自分たちを頼ってくれれば、被災者に対する申し訳なさが少しは軽減される。
『男たちの旅路』と長谷川櫂の和歌に通じる思い。
このやりとりは『男たちの旅路』の一篇「車輪の一歩」で、鶴田浩二演じるガードマンが車椅子の若者たちにいう、心に残る言葉、「君たちは、ギリギリの迷惑はかけてもいいのではないか。むしろ、かけなくてはいけないのではないか」を思い出させる。あるいは俳人の長谷川櫂(かい)が震災のあとに俳句ではなく、あえて和歌を詠んだひとつ、「被災せし老婆の口をもれいづる『ご迷惑をかけて申し訳ありません』」。
その夜、祖父の吉也、父親の克己、そして孫の光彦は、無事だった西郷家の二階の部屋に泊まることになる。
そこでなんとかいっときの安らぎを得る——と思って見ていると思いもかけないことが起こる。山田太一は、ここで両家が和解するという甘い展開などそう簡単には用意しない。
怒りと悲しみが吐き出される夜。
夜、二階の部屋から叫び声のような大きな声が聞こえてくる。何が起こったのか、と良介たちはいぶかる。
二階の部屋では、祖父の吉也が何か叫んでいる。大人しくしている息子と孫に叫ぶように言葉をぶつける。
「大声でわめいたことがあるか。泣いて騒いだことがあるか」「思いっきり泣け、いや、泣かなくてもいい。大声でわめけ!」。
これまで悲しむのを我慢してきた。耐えてきた。避難所にはいつも人がいた、そんなところで人前で泣くことは出来なかった。悲しみを心のうちにためこんでいた。だが一度くらいは思い切り泣きたい。大事な家族が三人も死んでしまった。家も流された。怒りを、悲しみを吐き出したい。
祖父につられて高校生の光彦は叫ぶ。「婆ちゃ、お母ちゃーん」。それまで内に抱え込んでいた悲しみが一気に声になる。
惨劇を伝えるテレビの報道番組で見た忘れられない光景を思い出す。なんとか高台に逃げて無事だった中学生くらいの女の子が、津波に消えた母親を求めて海に向かって叫んでいた。「母ちゃーん」。

イラスト/オカヤイヅミ
分断と絶望の先にあるもの。
祖父も父も、そして光彦も、三人が、はじめて心に素直になって泣き、叫ぶ。それだけでは足りずに三人は部屋のなかのものを次々に外に放り出す。夕食の膳をひっくり返す。皿や急須を投げ捨てる。窓ガラスが割れる。まるでまた地震と津波が襲いかかってきたようだ。
様子を見にきた良介は三人を見て驚いていう。「なにするんですか!」。
たちまち吉也が反論する。「なにするんだと?」。克己が続く。「津波に比べりゃ、このぐれえがなんだ」。そういわれたら良介としては反論できない。やはり三人はわだかまりを持っていた。自分たちは家族を失い、家も失ったというのに、良介の家は全員無事で、家も助かった。どうしても比較してしまう。やりきれない。
吉也を先頭に三人は、叫びながら良介の家を出てゆく。「修一!」「正代!」「おばあちゃん!」とそれぞれ狂ったように叫びながら夜の道を駆け出してゆく。無事だった家にいることは亡くなった家族に申し訳ないという気持ちもあるだろう。
三人は夜の道を叫びながら走ってゆく。良介はそれを茫然と見送るしかない。このドラマでもっとも衝撃的な場面である。やはり両家のあいだの溝を修復するのは簡単なことではない。
震災のあと、「絆」がよくいわれた。無論、「絆」が大事なのは誰もが分かっている。しかし震災の悲劇は、人々のあいだに分断を作ってしまったことも事実だろう。
それでも、そこで立ち止まらないところが山田太一の凄いところだ。絶望の先になんとか希望を見つけようとする。
※以下、後編に続く(3月26日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)、『陽だまりの昭和』(白水社)がある。