評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主人公にした『日本の面影』を取り上げます。それまで戦後の日本人の家族を中心に描いてきた山田さんが、小泉八雲を主役に選んだ理由は何だったのでしょうか。近代日本国家の歴史をひもときながら、本作に込められているテーマを川本さんに掘り下げていただきました。
日本の面影
前編
- 作品:
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日本の面影
1984年3月(全4回)NHK - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 中村克史、音成正人
- 音楽:
- 池辺晋一郎
- 出演:
- 檀ふみ、ジョージ・チャキリス、津川雅彦、小林薫、樋口可南子、加藤治子、杉田かおる、佐々木すみ江、加藤嘉、佐野浅夫、日高澄子、河原崎長一郎、真行寺君枝ほか
外国人を初めて主人公にした山田ドラマ。
異色作である。明治時代に日本にやってきて、日本文化を愛し、最後には日本人になったラフカディオ・ハーン(愛称ヘルン)、日本名、小泉八雲を主人公にしているのだから。
それまで『それぞれの秋』(73年)、『岸辺のアルバム』(77年)、『想い出づくり。』(81年)など日本の小市民を主人公にしてホームドラマを書いてきた山田太一が、はじめて外国人を描いた。
この企画に民放は二の足を踏んだ。外国人が主人公のドラマが視聴者に受け入れられるか。話が地味すぎないか。
そんななかNHKだけが興味を覚え企画を受け入れた。誰がハーンを演じるか。日本では『ウエストサイド物語』(63年)で人気を得たジョージ・チャキリスが選ばれた。ハーンの母親はギリシャ人だったが、チャキリスもギリシャ系アメリカ人。この役を切望したという。
一九八四年にNHKで一回八十分、全四回の連続で放映された。異色作であり、意欲作である。
山田太一は歴史ものとしてはすでにNHKの大河ドラマ『獅子の時代』(一九八〇年)で書いている。幕末の、幕府側の会津藩と官軍側の薩摩藩の対立を主題に、日本の近代の夜明けを描いている。『日本の面影』は、その流れにある歴史ドラマといっていいだろう。
日本の怪談に興味を覚えるハーン。
簡単にハーンの略歴を記すと、一八五〇年、和暦でいえば嘉永三年、ギリシャのレフカスという島に生まれている。前述したように母親はギリシャ人。父親はその島に駐屯していたイギリス軍の軍医でアイルランド人。
両親が離婚したため、子どもの頃から苦労して育った。早くから社会に出てさまざまな職業を経験した。子どもの頃、公園で遊んでいた時、遊具が左目にあたり失明した。
このドラマが始まる頃にはアメリカのニューオリンズで新聞記者をしていた。
ドラマの冒頭に興味深いエピソードがある。
ある家に幽霊が出ると噂がたつ。ハーンは取材に行く。父親が応対し、この家には確かに幽霊が出るという。娘が十三歳で死んだ。その霊だろう。
確かに二人が話していると、誰もいない筈の二階の部屋からピアノの音が聞こえてくる。ハーンがその部屋に行ってみると、誰もいないのにピアノの鍵盤が動いている。誰かが弾いているようだ。ハーンが声を掛けると音も、人の気配も消えてしまう。
ハーンはこの不思議な体験を記事にするが、上司に「馬鹿馬鹿しい」と没にされてしまう。このエピソードは、のちにハーンが日本の怪談に興味を覚え、『耳無し芳一』や『雪女』『黒髪』を書くことにつながってゆく。
ハーンは合理主義や科学の対極にある神秘的なものに興味を持つ人間であることがこのエピソードからうかがえる。
当時、一八八三年(明治十七年)、ニューオリンズでは万国博覧会が開かれている。日本も出展している。そこでハーンは服部一三(津川雅彦)という政府事務官と知り合い、日本の展示を見る。そして、織物をはじめ人形、玩具など繊細な日本の工芸品を見て「美しい」と感嘆する。これが日本文化を知るきっかけとなる。
ハーンは服部から明治はじめに日本に来たイギリスの言語学者ベイジル・ホーン・チェンバレンが英訳した『古事記』があることを知る。それを読んで、さらに日本文化、とりわけ神話の世界に惹かれてゆく。
初めての日本訪問、そして姫路へ。
明治二十三年(一八九〇年)に、ある雑誌に日本のことを書くという仕事ではじめて日本にやってくる。旅費は自分で出すという条件だったが、『古事記』の神話世界を生んだ日本を自分の目で見たいという思いが強かった。
そして日本の寺社や庭園を見て歩くうちにいよいよ日本文化への憧れが強まり、雑誌の仕事は断り、もっと長く日本に滞在しようと決心する。その思いを告げに文部省の要職にいた、ニューオリンズで会った服部一三を訪ね、何かいい仕事はないかと頼む。服部は日本文化に興味を覚えるハーンに親しみを持っていたので、すぐにハーンのために職探しをする。
そして紹介したのが島根県松江中学の英語教師。俸給は校長が月九十円だったのにハーンは百円。厚遇である。山田太一はこういう経済面のこともきちんと明らかにする。ホームドラマの作家ならでは。
汽車で姫路に行く。当時、鉄道は姫路までしか通じていない。そこから人力車で山陰地方の松江に行く。山田太一はこのあたりの旅程もしっかり押さえている。ディテールの確かさがドラマにしっかりした骨格を作っている。
静かで信仰心の強い城下町で。
松江は城下町。鉄道がまだ来ていないので江戸時代の町並みが美しく残っている。ハーンは宍道湖に面した旅館の一部屋(旅館の女主人は加藤治子)に宿泊することになる。純朴な田舎娘の信(のぶ・杉田かおる)が、ハーンの食事などの世話をする。
松江の町は、城下町だが、決して騒々しくはない。松江城は築城されてから一度も戦争を経験したことがないという。形容矛盾になるかもしれないが平和な城である。茶の文化もさかん。武張ったところのない町である。
朝、シジミ売りの声で目を覚ます。湖を見るとシジミ取りの漁師の船が浮かんでいる。朝日が昇ると船の上で漁師は、朝日に向かって手を合わせる。信仰心の強さを感じさせる。
松江中学の生徒たち(男子ばかり)も素直で、ハーンの授業を熱心に聞く。ハーンの世話をしてくれる西田千太郎(小林薫)という親切な同僚にも恵まれる。
なによりも松江は、『古事記』を生んだ神話の里。出雲大社をはじめ、神社には神さびた美しさが残っている。
イラスト/オカヤイヅミ
のちの妻、セツとの出会い。
豊かな近代国家とはいえ、歴史の浅いアメリカからきたハーンは、千年以上の歴史を持つ日本の古層に触れて心を躍らせる。古い日本に夢中になる。
旅館の暮しから、一人暮しを望んで下宿に引き移る。食事の世話は相変わらず旅館がしてくれて、女中の信が「ディナー」と慣れない英語のカタコトを言って運んでくるのが可愛い。
また、身のまわりの世話をする「住み込み女中」として小泉セツ(檀ふみ)が雇われることになる。
セツは士族の娘だが、家はご多分に漏れず明治維新のあと零落し、母親(佐々木すみ江)と弟(柴田恭兵)と粗末な部屋で暮している。そんなセツにとって、外国人の男性の家の「住み込み女中」になるのは、心苦しいが、給金として二十円もらえるのは有難い。
セツはもちろん英語は話せないが、ハーンが少し日本語が分かるようになっているし、何よりも言葉は通じなくとも、手ぶり身ぶり、表情でなんとか心が通じ合う。
※以下、中編に続く(1月22日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。