評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主人公にした『日本の面影』を取り上げます。それまで戦後の日本人の家族を中心に描いてきた山田さんが、小泉八雲を主役に選んだ理由は何だったのでしょうか。近代日本国家の歴史をひもときながら、本作に込められているテーマを川本さんに掘り下げていただきました。
日本の面影
後編
- 作品:
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日本の面影
1984年3月(全4回)NHK - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 中村克史、音成正人
- 音楽:
- 池辺晋一郎
- 出演:
- 檀ふみ、ジョージ・チャキリス、津川雅彦、小林薫、樋口可南子、加藤治子、杉田かおる、佐々木すみ江、加藤嘉、佐野浅夫、日高澄子、河原崎長一郎、真行寺君枝ほか
ハーンと対立する英語教師の存在。
国家をあげて殖産興業、富国強兵を貫き、新しい国を作らなければならない。日本は西洋から見れば遅れた国なのだ。西洋に追いつくためにはエリートほど前を向いて生きてゆかなければならない。
ハーンの耳には、そんな多くの日本人の声が聞こえてくる。その考えの代表は、伊丹十三演じる五高の同僚の教師。
ハーンが古き良き日本の価値を賞揚するたびに、この伊丹十三演じる英語教師は、ハーンを批判する。
日本の国が西洋社会に追いつき、追いこそうと国を挙げて必死になっているときに、あなたの考えはあまりにうしろ向きすぎる。あなたの意見は、近代化を成し遂げた西洋社会の人間だからいえることで、遅れているわれわれ日本人は、あなたのように過去に戻るような余裕はない。
まして、九州で唯一の高校である五高はエリートを育成する教育機関だ。彼らには歯をくいしばって国のために、がんばってもらわなければならない。西洋の列強に追いつくためには、古い日本を変えてゆかなければならない。
ハーンと対立するこの英語教師は、縁なしメガネにヒゲをはやした、いかにも仇役然とした悪役に描かれているが、彼のいっていることは決しておかしくはない。
日本の古き良き価値観が崩れるとき。
実際、西洋列強が迫るなか、国力が劣ったままでは日本は他の多くのアジアの諸国のように西洋の植民地になってしまう。そうならないためには日本は強くなければならない。ハーンがいうように以前の日本が大事にしていた徳——「単純、温和、親切、思いやり、子どものような信仰心」にばかりこだわっていたら、日本は列強から遅れを取ってしまう。日本が強い国になるには、人間が強くならなければならない。
伊丹十三の演技があまりに憎々しいので、この英語教師がいっていることは間違っていると思いがちだが、決してそんなことはない。彼もまた日本の国力の充実のために必死になっている。実際、近代の日本は、彼の意見が多数のものになり、必死に近代化の道を歩もうとした。西洋社会が百年かけてしてきた近代化をより短期間でなしとげようとしたら、どこかに歪みが出るのは仕方がない。しかし、それを乗り越えても前へ進まなければならない。
近代化を進める日本の宿命。
山田太一はいつものように黒か白か、どちらかを選ぼうとはしない。ハーンの考えも、それに反発する伊丹十三演じる英語教師の考えにも一理ある。
事実、ハーンの理解者である津川雅彦演じる服部一三は当時、岩手県の知事をしていて、そこで農村の貧困を目のあたりにし、それを克服するために、日本の近代化、産業化、合理化をハーンのいうように必ずしも悪とばかりはいえないとモノローグする。
西洋列強に追いつくためには古き良きものも切り捨てなければならない。遅れて近代化をはじめた東洋の小国の悲しい宿命だろう。
劇作家で評論家の山崎正和は名著『鷗外 闘う家長』(河出書房新社、一九七二年)のなかで感動的な場面を書いている。
明治十七年、二十一歳の森鷗外はドイツへの留学が決まったとき、宮中に招かれて明治天皇から親しく励ましの言葉を受けた。
若い明治国家を担う若い天皇(当時、三十一歳)は鷗外に切実な期待を寄せていた。
「それは尊大で余裕のある激励というよりは、むしろ国家がひとりの青年にかけて切ない依頼の言葉であった。小さな、無力な国家が彼を送り出して、『頼むよ』と、肩に手をかけているのが彼(注、鷗外)にはまざまざとわかったはずである」。
山崎正和のこの文章のなかでは「切ない」という言葉が胸を打つ。天皇も鷗外も、「小さな、無力な国家」がなんとかして近代化を達成したいという切実な思いにとらわれていた。それは明治のエリートに共通した「切ない」思いだったろう。だから、憎々しげな伊丹十三演じる教師を必ずしも否定出来ない。近代化を願う彼にいわせれば、日本の昔ばかりを称揚するハーンのうしろ向きの「趣味につきあう暇はない」のである。

イラスト/オカヤイヅミ
戦争に突き進む日本とハーンの居場所。
熊本が居心地悪くなったハーンは結局、五高の職を辞し、神戸の英字新聞記者になる。日本を愛したハーンが神戸で外国人相手の新聞の仕事に関わる。当然、その交際範囲は外国人ばかり。サロンのコンサートに出入りしてウイスキーを飲む。日本にいながら日本に遠去かってゆく。ここでも自分の居場所がない。
唯一、落ち着くのはセツが支えている家庭だろうか。二人のあいだには男の子が三人生まれている。ひ孫が出来たことで堅物の祖父の態度も柔らぎ、大家族は幸せに包まれてゆく。この間、ハーンは日本国籍を取り、日本名、小泉八雲とした。
そのころ、ハーンが書いてアメリカで出版された『知られざる日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan)を東大教授の外山正一(河原崎長一郎)が読み、その内容に感服し、東大教授に招く。俸給は四百円。自分は大学も出ていないと、ハーンは遠慮するが、外山の申し出にうれしくない筈はない。明治二十九年のこと。その後、三十六年に辞するまで東大で教えたが、このドラマは全四回と時間が限られているので、東大時代のことは省略されている。
ハーンが愛した日本は、富国強兵の道を進み、明治二十七年(一八九四)の日清戦争、明治三十七年(一九〇四)の日露戦争と、それぞれに勝利したため、ハーンが危惧したように、日本人は自分の国は強い国だと思い込み、やがて日中戦争からアジア・太平洋戦争へと突き進み、破滅してゆくことになる。
ハーンは明治三十七年(一九〇四)九月二十六日、現在の新宿区大久保一丁目の自宅でセツに「ママさん、先日の病気また帰りました」と言って、狭心症のため急逝した。五十四歳。
山田太一はこの作品を気に入っていたのだろう。のちに演劇用に書き改め、木村光一演出、風間杜夫、三田和代主演で舞台化された。二〇〇一年には、ハーンゆかりのアイルランド、ダブリンで、〝Out of East〟のタイトルで上演された。
ハーンの墓は東京・文京区の雑司ヶ谷墓地にある。
※次回は『キルトの家』(2月12日公開)を予定。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。