イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は東日本大震災を題材にした三部作の最終作『五年目のひとり』です。3・11のその後を生きる人たちの苦悩と再生を、一人の女の子の目を通して描いたドラマ。謎めいた場面から始まるこのドラマを、川本さんに繊細に解き明かしていただきました。

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五年目のひとり
前編

作品:
五年目のひとり
2016年11月(全1回)テレビ朝日
脚本:
山田太一
演出:
堀川とんこう
音楽:
川井憲次
出演:
渡辺謙、高橋克実、木村多江、柳葉敏郎、板谷由夏、西畑大吾、蒔田彩珠、山田優、大出菜々子、原舞歌、市原悦子ほか

3・11で生き残った男の物語。

東日本大震災が起きたのは二〇一一年の三月十一日。それから五年がたった二〇一六年の十一月にテレビ朝日で放映されたのが『五年目のひとり』。

あれから五年たった。五年たって被災した人々の気持ちは落ち着いたのか。それともいまもなお悲しみのなかにいるのか。悲しみはより深まっているのではないか。

とくに家族を失い、自分一人だけが難を免れた者は、悲しみをどうすればいいのか。年を経ても悲しみは深まるばかりではないのか。家族は死に、自分だけが生き残った。自分を責めたくなるだろう。生き続ける気力を失うこともあるだろう。

『五年目のひとり』は表題どおり、被災した家族のなかで自分だけが生き残った男を主人公にしている。

渡辺謙演じる木崎秀次は五十代になる。ドラマのはじめでは彼の来歴は明かされない。ただ無口な、孤独な男として登場する。

渡辺謙は以前この連載で紹介した『遠まわりの雨』の、やはり口数の少ない元職人が素晴らしかったが、このドラマでも山田太一は、はじめから渡辺謙を主役に考えてシナリオを書いたという。

震災と津波の悲劇は簡単に口にして語れるものではない。どうしても口が重くなる。だから渡辺謙のような無口が似合う俳優に演じてもらう必要がある。

2016(平成28)年11月19日(土)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

無給で働く男の事情とは。

渡辺謙演じる木崎秀次が、ある町にやってきて、人の紹介で町の小さな「ここだけのパン屋」というパン屋で働くところから物語は始まる。

この町がどこなのかは明示されていない。どこか関東の町か。あとで、画家の福沢一郎の美術館が出てくるから、美術館のある群馬県の富岡かとも思われるが、緑の多い街並の様子からは、どこか東京の多摩地区で撮影されているようだ。いずれにせよ東北から離れた、津波の被害とは縁のなかった町であることは確かだ。

パン屋は商店街のはずれにある。上野弘志(高橋克実)が妻の春奈(木村多江)と切りまわしていたが、妻が膵臓の病で倒れ入院してしまったので、急に手伝いの人間が必要になった。

パン屋の主人の事情を知った近所の面倒見のいい女性、花宮京子(市原悦子)が、同郷の人間でこの町で一人暮らしをしている秀次を紹介した。

福島出身の京子は、妹がこの町で老人ホームを経営していて地震後、妹を頼ってこの町に来た。アパートで一人暮しをしている。そして、同郷の秀次がこの町でやはり一人暮しをしているのを知ってパン屋の弘志に紹介した。

秀次は若くはないし、立派な外見をしているのでパン屋で働くには似合わないと弘志は始め躊躇するが、無給でいいというので雇うことにする。

秀次はなぜ一人暮しなのか。なぜきちんとした仕事をしていないのか。この段階ではパン屋の主人と同じように視聴者にも分からない。

初めて「きれい」と言われた女の子。

これより先、冒頭に不思議な場面がある。

町のある中学校で文化祭が開かれている。吹奏楽部が校庭で演奏する。そこに秀次がやってくる。秀次は演奏を聴いたあと美術部の教室に行き、生徒たちの絵画を見て、そのうまさに驚く。

そこへ中学三年生の女の子、松永亜美(蒔田彩珠(まきたあじゅ))が美術部の友人、二人の女の子を呼びに教室に飛び込んでくる。リズム・ダンスがもうすぐ始まるからすぐ来てといって、二人を連れてまた急いで教室を出て行く。

秀次は、その女の子が気になったようで、体育館で行われているリズム・ダンスを見に行く。秀次は女の子が踊るのを見て、驚いたように注視する。何があったのか。

このあとさらに奇妙なことが起こる。

学校の帰りの亜美というその女の子が歩道橋を歩くと、うしろから秀次がついてきている。そして亜美に声をかける。

「すばらしかった。発表会のリズム・ダンスの君はすばらしかった」「きれいだった。一番だった」。「きれいだった」と三度もいう。

知らない中年男にいきなり声をかけられて亜美は驚きながらも、「きれいだった」といわれてうれしいことはうれしい。しかし、なぜこの男は、こんなことをいうのか。少しおかしいところがあるのではないか。

亜美は「なんだよ、これ」と気味悪くなって、家に走って帰るが、「きれいだ」といわれたことにうれしさを隠せない。それまで親にもそんなことはいわれたことがなかった。

イラスト/オカヤイヅミ

秀次と亜美のぎこちない再会。

亜美の家は両親、松永満(柳葉敏郎)と晶恵(板谷由夏)、それに高校生の兄、晋也(西畑大吾)がいる。父親は町工場で働いている。いつも残業が多い。母親はクリーニング店で働いている。

亜美が、知らない中年男に「一番きれいだっていわれた」ことを兄に語ったことが、母親に伝わる。

見知らぬ中年男から、声を掛けられたと知って心配した母親は警察に相談した。するとすぐに警官が二人家に来た。

ことが大きくなった。亜美は後悔する。「ああ、兄ちゃんやママなんかにいうんじゃなかった」。

亜美は、自分のことを「きれい」と賞めてくれた中年男のことが気にかかる。

親しい友人である二人、イッ子(大出菜々子)と雪菜(原舞歌)に会ったとき、「あの人に会いたい」とまるで恋心を打ち明けるようにいう。なぜと聞かれ、それは「いいたくない」と言葉を濁す。

そのあと、亜美は偶然、秀次が自転車でパンの配達をしているのを見かけ、思わず追いかける。

そして秀次にいう。

母親が騒いで警察が来ちゃったから、自分にかまうのはやめてほしい。警察におじさんが捕まるのは困るから。

それだけいうと亜美は去る。秀次のほうは何と答えたらいいのか分からない。亜美も、本当にそれをいいたいから、秀次に会いたいと友達にいったのか。なんとなく二人のあいだにちぐはぐな空気が流れている。

幻想のなかに現れた牛の意味。

このあと不思議な、幻想的な場面がある。

夜、秀次がパン屋の店先でなぜか放心したようにしゃがんでいると、通りの向こうから何か大きな動物が近づいてくるのが見える。

よく見ると牛だった。大きな牛が秀次に親しげに近づいてくる。そして、秀次をじっと見つめる。

牛はやがて消えてしまう。なぜこんなところに牛があらわれたのか。秀次はなぜこんな幻想を見たのか。

のちに徐々にその理由が分かってくるのだが、まだこの段階では分からない。秀次の行動は謎になっている。
※以下、中編に続く(4月16日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)、『陽だまりの昭和』(白水社)がある。

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