ながらえば
後編
- 作品:
-
ながらえば
1982年11月(全1回)NHK - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 伊豫田静弘
- 音楽:
- 湯浅譲二
- 出演:
- 笠智衆、宇野重吉、堀越節子、長山藍子、中野誠也、佐藤オリエ、田中俊男、田島浩美、中村多恵子ほか
コップ酒を酌み交わしながら。
さらにそのあといい場面が続く。
笠智衆の隆吉が、宇野重吉演じる宿の主人にお悔みをいうと、主人は隆吉を自分の部屋に誘い、一升壜を持ってきて、二人で日本酒をコップで飲み始める(さすがにこの場面では二人ともあぐらをかいている)。
妻を亡くしたばかりの宿の主人は「いろいろ思い出してしまって」としんみりした口調で話しはじめる。
家内には何もしてやれなかった、ひところグアムやサイパンに行く話も出たが結局、行けなかった。外国どころかあいつが行きたがっていた萩にも行けなかった、考えると、やかましいやかましいと、愚痴も聞いてやらなかった。
宇野重吉が時折り涙ぐみながら妻に詫びるようにぽつりぽつりと話す。隆吉のほうも思い当たることがあるのだろう、うなずきながら話を聞いている。
一般にこの世代の日本の男はこんなものだろう。長いあいだつれそった妻に、心では感謝していても照れ臭さもあって、それを口に出していえない。死なれてそのことを後悔する。
二人の老名優がおりなす名場面。
小津安二郎監督の『東京物語』で東山千栄子演じる老妻に先立たれた夫の笠智衆は悄然としていった。「こんなことならもっと優しくすればよかった」。妻がいなくなって後悔する。
宿の主人の話を聞いていた隆吉も、名古屋の病院に入院している老妻のことを思いながら、自分も同じだ、家内のいうことを何ひとつ聞いてやれなかった、家内は何も話さなくなった、愚痴ひとついわなかった。
名古屋と富山と離れてしまって、急にもう一生会えなくなると思って、矢も楯もたまらなくなって、何かいってやらなきゃならんと。
そこで隆吉は、金の持ち合わせがなく、この町に途中で降りることになったと事情を打ち明ける。そして恥をしのんで、腕時計をはずすとこれをかたに「かねを少々…」「こんなときに…」と深々と宿の主人に頭を下げる。
主人は事情がわかって、喜んで金を貸す。そして、いたわるようにこういう。
「仏があんたはんを、うちへ泊めたのかもしれん。明日、しっかり逢うて、ええこというてあげて下はれ」
この約十分ほどの二人だけの場面は、心に残る名場面。妻を亡くしたばかりの男と、妻が入院している男が、それぞれに口下手なりに妻への愛情、感謝を打ち明ける。
笠智衆と宇野重吉。二人の老名優ならではの名場面といえる。
老人の枯れた美しさ。
『ながらえば』で笠智衆の息子役を演じた中野誠也(俳優座の演出家でもある)は、笠智衆についてこんなことを語っている(「深い想像力の中で、死を見つめている芸術家」。KAWADE夢ムック『総特集 山田太一 テレビから聴こえたアフォリズム』河出書房新社二〇一三年刊)。
「昔、名優とは老優の美しさのことだったのです。東野英治郎、杉村春子さんなんかもそう。山田(太一)さんは笠さんに最晩年までこだわって、日本の老人の美しさを描いてみせた」「ところが今は老人の美しさに気に留める人が少なくなってしまいました」「深い想像力の中で、死を見つめている芸術家がいるということが今の日本では大切だと思うんです」
アメリカ映画では老人を描くとき、どうしても「オレはまだ若い」と若さを誇示する老人をよしとすることが多い。
それに対し、「わびさび」「もののあわれ」の伝統がある日本では、老人を老人として描く。無理に若さと競わない。老人には老人の枯れた美しさがある。『ながらえば』の笠智衆と宇野重吉の語り合いの場面にはそれが静かに出ている。

イラスト/オカヤイヅミ
世代の違いによる夫婦の姿。
翌朝、宿の主人に押されるようにして隆吉は高山本線の朝一番の普通列車で名古屋の妻のもとへと向かう。
列車は新緑のなかを走る。清流に架かる鉄橋を渡り、田植えの終わったばかりの水田を抜け、ひたすら名古屋へと向かう。富山へ向かう時は列車のなかで顔をこわばらせていた笠智衆がここでは温和な顔に戻っている。
それでも車窓に、畑のなかに墓地の墓石を見たときは、人の世の無常を思ったのか、ふと顔をくもらせる。
名古屋の病院にたどりつく。昨夜から母親の病状が悪化して病院に詰めていた娘の悦子と、やはり母のことを、そして行方知れずになった父親のことを心配して富山から名古屋に駆けつけてくれた息子の理一が、ほっとして父親を迎える。
悦子は目の下に痣を作っている。夫との仲がうまくゆかなくなっていて、夫に殴られた。この夫はどうしようもない男で、昨夜も酒に酔って病院にやってくると、母を心配して病院に詰めている妻を、家事をおろそかにしていると殴りつけた。小さな娘の前で。いずれもう別れることになるだろう。親の世代の、言葉には出さなくても理解し合っている夫婦とは違ってきている。
娘の悦子に、昨日はどこにいたの、心配したのよと叱られながら、隆吉は妻のいる病室に駆けつける。
無骨な男の精一杯の告白。
妻は昨夜の危機を乗り越えて、ベッドで静かに眠っている。妻を演じる堀越節子は大正四年(一九一五年)生まれ。このドラマの時には六十七歳。戦前から映画だけではなく文学座の創立に参加し舞台でも活躍した。文学座で一緒になった森雅之と結婚したが、のちに離婚。地味な脇役に徹した。
妻が無事なのを見て安心した隆吉は、ここで一世一代の妻への愛情の言葉を口にする。さすがに照れがあるのだろう、妻に背を向け、窓の方を向いて。
この言葉をどうするか。山田太一は考えに考えただろう。この世代の男が「愛している」とか「好きだ」とかいえる筈はない。ではなんというか。
「いたい。わしはお前とおりたい。おりたい」
無骨な男の精一杯の愛情告白である。妻も背中越しに聞くこの言葉で、夫の気持ちが十分にわかっただろう。
妻に、なんとかいいたかったことをいえて隆吉は、息子の理一と共にまた富山へと帰ってゆく。こんどの車両は、晴れ晴れとした気持ちをあらわすようにグリーン車なのが微笑ましい。
列車から始まったドラマは、最後、列車が富山へと走ってゆくところで終わる。走り去る列車は、図らずも人の世の哀歓、無情感をあらわしている。
※次回は『冬構え』(6月4日公開)を予定。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)、『陽だまりの昭和』(白水社)がある。