山田太一論 家族と暮せば 文 川本三郎(評論家) 山田太一論 家族と暮せば 文 川本三郎(評論家)

イラスト/瀬藤優
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冬構え
後編

作品:
冬構え
1985年3月(全1回)NHK
脚本:
山田太一
演出:
深町幸男
音楽:
毛利蔵人
出演:
笠智衆、沢村貞子、岸本加世子、金田賢一、せんだみつお、谷村昌彦、藤原釜足、小沢栄太郎、水原英子ほか

裕福に見えた老人の正体。

田老を出てタクシーでさらに北へ向かう二人と、鵜の巣断崖を離れタクシーで北へ向かう圭作は、偶然、二台の車がすれ違ったことから再会することになる。 

そして三人は旅館で一泊する。灯台が映るが、これは陸中黒埼灯台だろう。

三人はこたつに入りながら夕食をとる。鍋を囲む。圭作がまたなごやかな顔になって、昭二を相手に酒を飲む。麻美はいつか自分たちの店を持つのが夢だと圭作にいう。「そうしたら店に来てね」と。圭作の顔にも笑みが浮かぶ。三人は一瞬、家族のように見える。

しかし、その夜、麻美と昭二が圭作とは別室で床に就いた時、昭二は思いがけないことをいう。

あの老人の靴を見たか。何度も修理に出した靴だ。服だって高いものじゃない。とても金持ちとは思えない。

昭二のほうが、冷静に老人を観察していた。旅館で心づけを五万円ももらったし、老人が大金を持っていることを知っている麻美は、それを聞いて驚く。麻美は、この気のいい老人はひょっとしたら自分たちの店のために資金を用意してくれるのではないかと思っていたのだから。

1985(昭和60)年3月30日(土)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

かつての同僚との再会。

翌日、三人は八戸(はちのへ)へ行く。八戸には昭二の実家がある。若い二人はそこに行くつもり。八戸ではウミネコの繁殖地として知られる蕪島(かぶしま)を訪れる。ちょっとした家族の観光旅行。

八戸の駅(まだ新幹線は通じていない)の近くで圭作は二人と別れる。別れ際に「気持ちだ」と二人に新聞紙の包みを渡し、タクシーで去る。二人は新聞紙をあけてみる。なかには万円札の束が(あとで百五十万円とわかる)。これには二人は驚く。さすがに麻美も大金にうろたえる。返そうにも去っていった老人の東京の住所を知らない。どうしたらいいか。

若い二人と別れた圭作は八戸に以前、同じ会社で働いていた篠崎豊太郎がいることを思い出し、その家を訪ねる。

豊太郎は病院に入院していた。圭作は見舞いに行く。豊太郎はやつれてベッドにいた。

豊太郎を演じているのは名優小沢栄太郎。明治四十二年(一九〇九)生まれ。笠智衆より五歳若いが、ドラマのなかでは豊太郎のほうがやつれているので年寄りに見える。

圭作は、東北に旅に出て、八戸には豊太郎がいることを思い出し、立ち寄ったのだという。

胸を打つ老優たちの演技。

二人が会うのは二十八年ぶり。豊太郎は、五十歳のときに父親が亡くなったので会社をやめ八戸に帰り、父親の町工場の跡を継いだ。

そして思いつめたようにいう。家内もこの病院にいる。もう四年も寝たきりだ。自分は癌だ。二人とも病院で死ぬのを待っている。もう家に戻れないと思うと気が滅入る。

それを聞いて圭作も自分のことを話す。息子と娘はそれぞれ家庭を持っている。孫もいる。しかし妻に先立たれていまは一人で暮している。やがて身体が弱くなるだろう。子どもたちに迷惑をかけたくない。その前に……。

実はこんどの旅の前に貯金を全部おろした。贅沢な旅をしようと思った。

豊太郎は淡々と圭作が話すのを聞いて気づく。圭作が死に場所を求めて旅をしているのだと。そして何度も「いかんよ」と声を絞り出すようにいう。

笠智衆と小沢栄太郎。二人の老優がそれぞれ迫り来る死を前に思いを語り合う姿は胸を打つ。豊太郎は病院でもう早く死にたいという思いがある。そして圭作は、もうろくして子どもたちに迷惑をかける前に、自分で死にたいと思っている。鵜の巣断崖で思いつめた表情になって崖の下の岩場を見下ろしたときの厳しい顔つきが見る者には痛々しく思い出させる。

老優が演じているだけに、俳優たちはどんな気持ちでそれぞれの役を演じているのだろうと思うとつらいものがある。

イラスト/オカヤイヅミ

断崖絶壁を前にして。

翌日、圭作は下北半島の霊場、恐山(おそれざん)に行く。荒涼とした岩だらけの彼岸のような風景のなかを老人がひとり歩く。見る者は、圭作が死に場所を求めているともう分かっているから、圭作の姿に暗然とする。

圭作はそのあと海を見下ろす断崖の上に立つ。ここで思いもよらない展開になる。圭作は崖から海へ身を投げるのだが、途中で岩に引っかかり、うまくゆかない。するとそれまでの決意が嘘だったように圭作はなんとか助かろうと岩にしがみつく。生の執着と死の恐怖が入りまじっている。結局、死に切れなかった。岩に必死にしがみつく笠智衆の演技は鬼気迫るものがある。

その夜、圭作は恐山に近い薬研(やげん)温泉のホテルに泊まる。そこに圭作の事故を聞いた麻美と昭二が駆けつける。若い二人の前で圭作は、ほら、この通り元気だよと何事もなかったのように振舞う。二人が、もらった金をあまりに大金だからと遠慮して返すと、圭作は、では改めてきみたちにこの金を貸そうと申し出る。圭作の好意を二人はうれしく受け取る。

泣くはずのない九州男児が見せる涙。

このあと少し驚く場面になる。

夜、ひとりになった圭作が泣くのである。

死にきれなかったわが身を情けないと思ったのか、生きてまた若い二人に会い、励ますことが出来たことの喜びのためか、暗い部屋のなかで一人涙を流す。

実は、笠智衆は九州男児として子どもの頃から、「男は笑うな。男は泣くな。男は喋るな」と言われてきたので、俳優になってからも笑顔はあまり見せないし(せいぜい微笑む程度)、お喋りでもない。そしてまず泣かない。

小津安二郎監督の『晩春』(49年)の最後で、娘の原節子が結婚で家を出たあと、一人になった父親の笠智衆の悲しみをあらわすために小津監督は「慟哭してくれ」と指示した。

しかし、子どもの頃から「男は泣くな」といわれて育ってきた人間として、声をあげて泣く演技など出来ない。それで「先生、それはできません」と言ってしまった。後にも先にも恩人ともいうべき小津監督の演出に異を唱えたのはこれ一度だけ。小津監督は笠の意をくんで泣く姿は求めなかった。

その泣かない男が、このドラマのなかでは涙を見せる。きわめて貴重。自殺には失敗したが、自分の先はもう長くはないと改めて知っての涙かもしれない。若い二人に会って生命の大事さに改めて気づいての涙かもしれない。いずれにせよこの涙には死を間近にした人間の万感の思いがこもっている。

新しく誕生するふたつの家族。

泣くことで気持ちが落ち着きを取り戻したのだろう、圭作は若い二人と共に昭二の実家を訪ねる。下北半島の尻屋崎(しりやざき)の近くの集落らしい。実家には老いた父親が一人で暮している。古ぼけた農家。いずれ廃村になるかもしれない。

演じているのはこれも名優藤原釜足。笠智衆とは山田太一のドラマ『男たちの旅路』の、老人たちが自分たちをないがしろにする社会への抗議として都電を乗っ取る「シルバー・シート」で共演している。

笠智衆より1歳年下の藤原釜足演じる浦川惣造というこの老人は、決して豊かな暮しではないが、一人で充実した暮しをしている。農業という大地と共に生きる安定感があるからだろう。

圭作は落ち着いた老人を見て思うところがあったのか、「ここで一緒に暮さないか」という惣造の言葉に心を動かされる。おそらく一緒に暮すことになるのだろう。また、若い二人も、八戸の町で新しい仕事を見つけることが予感される。ふたつの新しい家族が生まれることになる。つねに家族を大事に考える山田太一らしい穏やかな最後になっている。
※次回は『今朝の秋』(7月9日公開)を予定。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)、『陽だまりの昭和』(白水社)がある。

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