評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。2年間にわたった連載の最後を飾るのは、笠智衆と吉永小百合が共演した『春までの祭』です。数ある山田ドラマの中で、語られることの少ない本作ですが、名優・笠智衆へのリスペクトにあふれ、吉永小百合が戦後日本の新しい女性像を体現しています。まさに山田ドラマの神髄が、川本さんの解説からよく伝わってくるのではないでしょうか。
春までの祭
前編
- 作品:
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春までの祭
1989年4月(全1回)フジテレビ - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 河村雄太郎
- 音楽:
- 福井崚
- 出演:
- 吉永小百合、笠智衆、藤竜也、野際陽子、坂詰貴之、山口美江、和久井映見ほか
老人三部作の好評を経て製作。
笠智衆の老いの三部作のあと、山田太一は敬愛する笠智衆のためにもう一度、脚本を書く。それが一九八九年四月に、フジテレビで開局三十周年記念として放映された『春までの祭』。
三部作の最後の『今朝の秋』のあと、笠智衆は手術をし、体調はよくなかった。それでも、フジテレビから開局三十周年記念ドラマを吉永小百合主演でという依頼があったとき、山田太一は、吉永小百合の横に配したいと、無理を承知で笠智衆に出演を依頼した。はじめは、手術のあとのことゆえ大きな役はもう無理と断られたが、山田太一の熱意が伝わったのだろう、最終的に笠智衆は承諾し、出演がなった。三部作が好評だったためもあっただろう。
山田太一によれば、笠智衆は、台詞は完璧で一度もNGがないという充実した仕事ぶりだったという(山田太一作品集18『今朝の秋・春までの祭』大和書房、一九八九年)。
吉永小百合は、若き日、笠智衆とは、日活映画『愛と死をみつめて』(64年)、『四つの恋の物語』(65年)、『青春の海』(67年)で共演している。
江ノ電沿線の風景から始まる物語。
亡夫の父親と、未亡人となった嫁の物語である。
吉永小百合演じる安東香奈(あんどうかな)は、三年前に夫を亡くした。高校二年生の息子、章太郎(坂詰貴之)と義父の安東逸次(笠智衆)の三人で暮している。
家は、鎌倉の江ノ電、稲村ヶ崎駅近くにある。和風の一戸建て。寒くなるとまだこたつを使うような昭和の暮しをしている。
香奈は、ガラス製品を作る会社のデザイナーをしている。仕事が忙しいようで、なかなか家事に手がまわらず、週のうち何日かは息子の章太郎と義父の逸次が食事を作る。
逸次は、徐々に分かってくるが、一流商社の重役まで務めた。退職してもう二十年ほどになる。妻には先立たれている。
冒頭、江ノ電に乗って章太郎が学校から帰ってくる。江ノ電といえば『遠まわりの雨』で、最後、渡辺謙と夏川結衣が江ノ電の極楽寺駅で別れる、涙なしには見られない別れのシーンを思い出す。
笠智衆の思いがけない若々しさ。
章太郎は通学に江ノ電を利用している。
帰宅のときは稲村ヶ崎駅で降りる。小さな場面だが、同じ電車に乗ってきたセーラー服の少女に目をやるのが印象に残る。恋心を抱いているらしい。
朝、登校のときは海辺に近い駅として知られる鎌倉高校前駅から電車に乗る。ここでもセーラー服の少女に出会う。どうやら章太郎はこの女の子の登下校の時間に合わせているらしい。
このセーラー服の清楚な少女を演じているのは少女時代の和久井映見。のち、山田洋次監督の『息子』(91年)でブレイクする。
稲村ヶ崎駅で降りた章太郎を駅前の喫茶店で、笠智衆演じる祖父が待っている。スーパーで買い物をしすぎたので章太郎に荷物を持ってもらおうとしている。
このときの笠智衆は、ロサンゼルス・ドジャースの野球帽とジャンパーを着ている。思いがけず若々しい。
前述したように嫁の香奈は仕事を持っているので、週の何日かは逸次と章太郎が食事の支度をする。そのためにスーパーでたくさん買い物をしてしまった。
実の娘と義理の娘のあいだ。
家に戻ると、逸次の娘で結婚して別の家に住んでいる典子(野際陽子)が、用事があって来ている。細かいことだが、章太郎は叔母である典子を「藤沢のおばさん」と呼ぶ。
親族などを正式の名前ではなく住んでいる場所で呼ぶことがある。「柴又の寅さん」「雑司ヶ谷のおばさん」などがその例。これを「小路名(こうじな)」という。
典子は、逸次の実の娘だが、逸次は娘だからこそ無愛想に接する。嫁の香奈を「香奈さん」と呼ぶのと対照的。典子はそれが面白くない。こんなことをいう。
「お父さんがお米といでるなんて聞いたらお母さんがお墓の中で寝返りうっちゃうわよ」。さらにこんなひとりごとを——。
「(お父さんたら)香奈さんだって。嫁なんだから香奈でいいじゃない。(香奈さんが)きれいなもんだから」
どうも典子は、実の娘より嫁のほうに気を使っている父が気に入らないらしい。また、父に米をとぐような家事をさせている香奈のこともよく思っていない。よくある実の娘と嫁の不和を山田太一は、小さな台詞でうまくあらわしている。

イラスト/オカヤイヅミ
遠慮のない不良中年の登場。
香奈はガラスのデザイナーとして夜遅くまで働く。通勤には自家用車を使っている。自分で運転する。
ある夜、帰宅のため車を走らせていると、後ろからついてくる高級車がある。男が運転している。車をとめると、男は車から出て、香奈の車の窓越しに香奈に話しかける。
西崎達夫という中年の男。藤竜也が演じている。口ひげをはやし、見るからに不良中年。図々しく香奈の車に乗ってくる。
西崎は一週間ほど前にガラス会社が開いたコンサートで、はじめて香奈を見かけ、ひと目惚れした。香奈が未亡人と知って思いをつのらせた。そして彼女のあとをつけてきたらしい。いまふうにいえばストーカーのよう。
しかし、彼は悪びれず香奈の隣に座る。
「こんなに遠慮のない人、はじめて逢いました」と香奈が迷惑そうにいっても「美しいものは人を狂わせるんです」と平然としている。
当時、吉永小百合は四十代なかば。大人の美しさを見せている。
西崎はガラス会社の客でもあるから無視も出来ない。西崎の強引さに負けて、後日、ランチをともにすることを約束する。無論、昼食だけだと念を押す。
香奈はさまざまなガラスの作品を作る。あるときはワイングラスをいくつも並べ、それぞれの縁をこすって美しい音を出してみせる。いわゆるグラス・ハープ。
映画ファンなら一九八一年に公開されたギュンダー・グラス原作、フォルカー・シュレンドルフ監督の『ブリキの太鼓』(製作は七九年)で、サーカスの団長が観客の前でこのグラス・ハープを演奏した場面を思い出すだろう。澄んだ音色に息を呑んだものだった。
※以下、中編に続く(8月20日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)、『陽だまりの昭和』(白水社)、『荷風の昭和』(新潮社)がある。