山田太一論 家族と暮せば 文 川本三郎(評論家) 山田太一論 家族と暮せば 文 川本三郎(評論家)

イラスト/瀬藤優
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春までの祭
中編

作品:
春までの祭
1989年4月(全1回)フジテレビ
脚本:
山田太一
演出:
河村雄太郎
音楽:
福井崚
出演:
吉永小百合、笠智衆、藤竜也、野際陽子、坂詰貴之、山口美江、和久井映見ほか

西崎に言い寄られる香奈。

香奈のガラス会社では、ガラスでフルートやマリンバを作る。それを使った演奏会で西崎は香奈に会った。

車のなかで西崎は、はじめて香奈に会ったこの演奏会で香奈の美しさに見惚れたという。

「あなたのデザインしたガラスのフルートも素敵だった。演奏した女の子もきれいだった。それでも私はふり向きたくてたまらなかった。一番うしろの席にいるはずの、ガラスデザイナーの安東香奈さんの美しさには、なにものもかなわない」

なんとも気障なことを口にする図々しい男だが、香奈は意外なことに笑顔を見せる。四十代で、高校生の子どものいる身、もう「美しい」といわれることもないからだろうか。

次の日(翌日らしい)、香奈は西崎と昼食をとるために家を出る。さすがに子どもには、銀座で展示会があると嘘をつく。家を出ると驚いたことに家の前に西崎の高級車がとまっている。迎えに来なくてもいいといっていたのに。これでは近所で目立ってしまう。

しかし、例によって強引な西崎は引き下がらない。仕方なく香奈は西崎の車に乗り込む。そこを散歩に出ていた逸次に見られてしまう。車のバックミラーでそのことに気づいた香奈は動揺する。まずいところを義父に見られてしまった。

1989(平成1)年4月6日(木)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

義理の娘に対する嫉妬。

キャリア・ウーマンとして働く、自立した女性でありながら香奈は、嫁として義父に遠慮があるし、母として子どもにも気を使わなければならない。女性の生き方が昔に比べれば自由になったとはいえ、香奈は昔ながらに「家」に束縛されている。

ドラマが放映された一九八九年といえば女性の社会進出が急速に進んできているが、それでも香奈のようなキャリア・ウーマンといえども「家」の圧力を感じざるを得ない。

その日の夕食の席で、香奈は西崎の車に乗るところを義父に見られてしまったことに苦しい言い訳をする。

あの男性は、仕事の注文をくれた人で、ちょうど通りかかって駅まで送るというので、断るのも悪いと思い、鎌倉駅まで乗せてもらったのだ、と。

それを聞いて逸次は苦い顔をして「あまり感じのいい男ではなかったね」「なるべく、乗らん方がいいね」。

逸次は嫁が、自分の知らない男に誘われていると知って、気分がよくない。いわば一族の「長」として嫁に釘をさしたわけだが、女性の社会進出が進んでいる時代に、四十歳を過ぎた働く女性に、こんな説教のような差し出がましい口をきくのは、逸次が香奈のことを特別に思っているからだろう。実の娘の典子が呟いたように、美しい香奈を逸次は大事に思っていて、他の男が近づいたことに嫉妬の思いがあるのだろう。

『山の音』を彷彿とさせる設定。

義父と嫁の物語というと、シニアの映画ファンならすぐに思い出すだろう、日本映画の名作がある。

昭和二十九年(一九五四)の作品、川端康成原作、水木洋子脚本、成瀬巳喜男監督の『山の音』。

『春までの祭』と同じく鎌倉を舞台にしている。老齢の父(山村聰)は、息子(上原謙)とその美しい嫁(原節子)と共に暮している。息子夫婦に子どもはいない。この先も二人きりだろう。

息子夫婦は、このところ夫婦仲が冷えている。息子の女遊びが原因らしい。

義父は美しく、大人しい嫁を不憫に思っている。彼女に優しく、いたわるように接する。どこかに恋心もあるかもしれない。

結局、嫁は息子と離婚する決心をして家を出ることになる。義父はそれを寂しく見送るしかない。

この映画、舞台が同じ鎌倉ということもあって『春までの祭』によく似ている。山村聰演じる義父が、実の娘(中北千枝子)よりも原節子演じる嫁のほうを大事にするところなどよく似ている。山田太一はこのドラマを書くにあたって『山の音』を意識したのではないか。

イラスト/オカヤイヅミ

藤竜也の強引な二枚目ぶり。

西崎の強引さは続く。

香奈とレストランで昼食を共にし、香奈に仕事を頼む。得意先に配るワイン・グラスのデザインをしてくれと。無論、それは香奈と会いたいための口実にすぎない。香奈は、仕事の話ならこんなレストランではなく会社に来てくれというが西崎はひるまない。

「私は何度もあなたの色香に迷ったといっている」「あなたがきれいだといってはいけませんか」

いい大人の男が、聞いていて恥ずかしくなるような誘いの言葉を口にする。藤竜也にはこういう二枚目がよく似合う。

西崎は自分でも図々しくなっているのに気づいている。だからいい訳のようにいう。

「本来の私は、こんなに図々しくない」「あなたに対しては、気持ちを励まして図々しくしてるんです」

女性に対するエール。

ちなみに藤竜也は吉永小百合より四歳ほど年上の四十七歳。西崎は一度結婚しているが、離婚していまはひとりという設定。

「あなたに対しては、気持ちを励まして図々しくしてるんです」という西崎には図々しいようでいて中年の純情を感じさせる。

西崎には、自分に心を開こうとしない香奈が「貞淑な未亡人」の殻に閉じこもっているように感じられる。なんとかその殻を破りたい。四十代なかばで、高校生の子どもがいる女性だって恋をしてもいいではないか。自分の「図々しさ」こそその殻を破る。

西崎にはそういう思いがある。それは作者である山田太一の思いでもあるだろう。

女性の社会進出が進んだ時代、女性はもっと「女」であってもいいのではないか。いつまでも「家」に閉じこめられてしまっていいのか。山田太一の女性に対するエールでもある。

日本人の寿命が伸びたこともあるだろう、女性は年齢を意識せずもっと自由になっていい。現在、テレビで活躍している女優には五十代、六十代が多くなっている。彼女たちは大人の美しさを見せ、かつての女優なら引退する年齢になっても現役でいる。

『山の音』に出演していたときの原節子は三十四歳。当時の女優としてはもう高齢になる。そして一九六四年に引退したときは四十四歳。『春までの祭』の吉永小百合と同じである。

原節子が引退した年齢で吉永小百合は恋愛ドラマに出演する。時代の変化を強く感じる。

吉永小百合が二年前、山田洋次監督の『こんにちは、母さん』(2023年)で、大泉洋演じる、社会人の母親でありながら近くの教会の牧師(寺尾聰)に淡い恋心を抱くのが、少しもおかしくはなかったことを思い出す。女性の恋にいまや年齢は関係がない。
※以下、後編に続く(8月27日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)、『陽だまりの昭和』(白水社)、『荷風の昭和』(新潮社)がある。

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